第18話 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている


「……おかしな話ですね。仮に事実だとして、なぜ、そちら側が言うのです?」


 愛想のいい表情をしていたウォルターの顔色が変わる。


 怪訝そうな。というより、機嫌を損ねたような顔をしていた。


(破談も覚悟してたけど、まずは疑う、か……。これならまだ巻き返せる)


 セレーナは心で息を整え、冷静に思考する。


 思っていたよりも、落ち着いて状況を見れていた。


 ある程度、こうなるって予想できてたからかもしれない。


(でも、なんか引っかかる。騙されることをむしろ望んでたって感じ……)


 ただ気になるのは、反応とその表情だった。


 嘘の商談が成立するのを、邪魔されたって雰囲気。


 まるで、騙す前提で来たこっち側のような顔をしていた。


「えっと、それは……」

 

 ジェノもその異常を察したのか、言葉に詰まっている。


 やっぱりおかしい。都合がいいけど、違和感の方が勝ってる。


「言えない。つまり、冗談ですか。変な横槍は入れないでほしいものですね」


 ウォルターは冗談だと切り捨て、サラサラと小切手に値段を書き込んでいく。


「……」


 目の前の机には、8000万ユーロと書かれた紙切れ。


 目標の8割にまで迫れるだけの額が、そこにはあった。


「失礼しました。握手が先でしたよね」


 思い出したかのように、ウォルターは右手を伸ばす。


 こっちの手はすでに差し出してる。握られれば商談は成立。


 多少のアクシデントと、危ない橋を乗り越えた、対価が手に入る。


(ぼーっとしてるだけで、このお金はあたしのもの……)


 それも、人生経験上、三本の指に入るほどの大商談。


 やり方は誇れないけど、功績としては十分すぎるほどの金額。


「……やはり、この商談。なかったことにしてくれませんかな」


 それなのに、気付けば右手を引っ込め、断りを入れていた。

 

 大した理由も、根拠もなかった。ただの勘と言えばそれまで。


 だけど、きな臭すぎる。騙すつもりが騙されている感じがした。


「いいのですか? 他にありませんよ。ここまで好条件を出すクライアントは」


 右手は差し出したまま、ウォルターは首を傾げながら語る。


 表情には笑顔を張り付け、先ほど見せた不機嫌そうな面は見えない。


(なに、この人、気持ち悪い……)


 ここまで掴みどころのない人間は初めてだった。


 普通なら一言、二言、話せば、大体の特徴は分かる。


 だけど、こいつは別。性格が表面からだと読み取れない。


(顔と、声と、態度が、致命的に噛み合ってない……)


 女性っぽい見た目で、丁寧な口調で臆病そうな素振りだった。


 かと思えば、撃たれた少年を助けに入る勇敢さも兼ね備えている。


 一方で、少年が商談の不正を申告したら、キレかけたようにも見える。


 まるで一貫性がない。状況ごとに性格を変えてるような不自然さがあった。


「信用を損ねる発言をした小生たちに非がある。ここは見送らせてもらう」


 言いたいことをぐっと抑え込んで、セレーナは告げる。


 もちろん、一貫性のある痛いオタク技術者を演じながら。


「そうですか……。それは残念です」


 渡してたゴーグルを外し、こちらに手渡してくる。


 落胆した顔を作っているけど、その真意は分からない。


「助手よ。帰る準備を」


 商品を受け取り、背を向け、出口に足を向ける。


 商談はこれで失敗に終わった。気付かれる前に帰りたい。


 ジェノは「はい……」と落ち込んだ言葉をこぼし、段ボールを抱える。


「私と同じタイプの人間同士、分かり合えると思ったのですけどね」


 そこで、背筋がぞっとする言葉を後ろから投げかけられる。


(冗談にしても笑えなさすぎ……) 


 一瞬、足を止めてあげるか考えた。


 だけど、これ以上こいつと喋りたくない。


 構ってあげることなく、そのまま出口を目指した。


 ◇◇◇


 Googleドイツ有限会社。三階。応接室。


 中央にあるソファには、ウォルターが座っていた。


「……ふふっ、ふふふっ、はははははっ」


 口元に手を当て、不気味な笑い声が部屋中に響き渡らせる。


 可笑しくて仕方がない。滑稽で愉快で楽しくてしょうがない。


 久方振りだった。ここまで心の底から人間を笑ってやれるのは。


「どうでしたか、今の茶番。お楽しみいただけましたでしょうか」


 指をパチンと鳴らし、合図を送ってやる。


 すると、周りのコンクリートにモニターが映る。


 画面越しで見ていたのは医者。富豪。政治家。資産家。


 Googleドイツと繋がる、ミュンヘン内のあらゆる権力者たち。


『『『――――――』』』


 モニター越しから拍手の音が響き渡る。


 評判は上々。大根役者を演じた甲斐がある。


「見ての通り、払い戻しはB。商談は成立しないが正解でございました」


 また今日も大金が動く。提示した数倍以上の額。


 破産する者もいるだろう。富を倍増させた者もいるだろう。


 しかし、儲け続けるのは胴元であるGoogleドイツだ。損など存在しない。


『……君ぃ、さっきの商談。Bに誘導したのではないのかね』


 また今日もやってくる。負け犬の遠吠え。


 映るのは医者。大病院の院長を勤める薄毛の男性。


 顔を紅潮させ、あまりにも滑稽な怒りを露わにしている。


「ここは紳士淑女が集まる厳正な賭場。雰囲気を壊す行為は慎みなさいませ」


 彼の賭けた代金は遊びじゃ済まない額。


 恐らく、収入と貯金額から考えて、破産。


 今頃、資産の差し押さえに入っているはず。


『……ぐぬぬぬ。不正だ、不正! 認めん!! 認めんぞ!!!』


 歯を食いしばりながら、指を立てて、医者は反論する。


 ここまでくると笑えない。これ以上の奥行きがないからだ。


 商談を断った、先ほどの彼らの方が、数百倍以上の価値がある。

 

「忠告はしました。二度目はありませんよ」


 パチンと指を鳴らし、医者の映像が途絶える。


 その数秒後に、遠くの方から爆発音が聞こえてきた。


 今頃は、ひき肉以下の存在に成り下がっている頃合いだろう。


「お騒がせしました。では、紳士淑女の皆様方、次回の賭場でお会いしましょう」


 恭しい一礼と共に、幕は閉じる。


 これで彼らの情報はミュンヘン中に伝わった。


「不思議なものですね。思い通りにならないものに価値を感じてしまう」


 懐から取り出したのは、携帯。


 画面には地図と赤い点が表示される。


 渡されたゴーグルに密かに仕込んだものだ。


「ただ、これでこそ、転生した甲斐があったというもの。そうでしょう?」


 問いかけるように画面をなぞる。


 画面が切り替わり、映像が表示される。


 そこには、落ち込んだ様子の褐色肌の少年がいた。

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