2. - Someday in The rain
「で、今日はどこに連れて行かれるの?」
「アキバ」
不本意だが最後は完全に分からせられてしまい、あの日はとりあえずネットで音楽制作ソフトを購入した。
ただ、そのソフトだけでは足りずにプラスで機材が必要とのことで、チカ相手に、いる/いらない 議論ですったもんだあったが、必要最低限かつ極端に高価な物は買わないことで合意し、週末に買い物へ行くことを約束させられた。
「めっちゃ雨なんだけど」
梅雨入りしたのかは知らないけど、今日が雨という事実が全てなので、どうでもいい。
チカはチカで、天候など関係ないというイキイキとした表情で、楽しそうにベースを弾いている。
「お前、本当に私にだけは愛想いいよな」
「ん? 他の人にも愛想良くした方がいい?」
「んー。それはちょっとヤダなぁ」
「悠妃、今日は素直」
「ば、ばか、そんなんじゃねー」
(突拍子もないこと聞かれたから、何にも思わないで素で答えちまった…………恥ずかしすぎるだろ…………)
「んで、お前は当たり前のように朝イチで来て私を叩き起こしてくれたけど、やっぱり今日行かなきゃだめなのか?」
「思い立ったが吉日。でも、お金くれれば私が買ってきてもいいよ」
「それは絶対いやでーす」
万年金欠のチカはすでに一銭も出さない宣言をしている。
どこかしかるべき機関にコイツを訴えた方が私以外の被害者を生み出すこともなく世の中のためになると思うが、一旦、棚上げにしておく。
いずれにしても、購入する機材は自分で納得するものを買いたいと言って、現地に行くことを主張したのは確かに私だった。
久しぶりのチカとの買い物が『楽しそう』だと思ってしまったのは秘密だけど、雨の日にまで外出をしたいかと言えば、答えはNOだった。
(チカと一緒にいるなら、別にわざわざ外出しなくてもいいって考えちゃうのが、私が出不精な証拠だよな)
「チカ、今日は行くの辞めて、家でまったり過ごすんじゃダメ? 好きなだけベース弾いていいから。んで、明日雨じゃなかったら行く感じで」
そこまで言うとチカは私の椅子の横に立ち、スマホで何かを検索すると、スッとスマホを私の目の前に差し出してきた。
「明日も雨、ずっと雨。今日も明日も一緒」
チカは私の頬にスマホを押し付けるように主張してくる。
(こいつジト目も可愛いのかよ! って、そんなこと考えてる場合じゃねーか)
「近い、近い、近い! わーった。わかったから少しはーなーれーろー」
画面を見せる気がないのは明らかだったが、雨で濡れたチカの服がエアコンの効いた室内に入って乾きはじめたことで、チカと密着するとチカが愛用しているミント系の香水と、チカの匂いがダイレクトに私の鼻腔をくすぐってくる。
頭が沸騰しておかしくなりそうだ。
「で、行く店は任せていいんだな」
「完璧」
「本当だろうな。信じていいんだな。自分の趣味の店とか、関係ない所に少しでも寄ったら許さないからな!」
「……………………」
(怪しさしかねーな)
「カメラ、三脚、照明、オーディオインターフェースは私が使っているものをそのまま代用な。今日買うのは、スピーカーと、音楽制作ソフトへの打ち込み用の……なんだっけ? そうそう、鍵盤が付いてるMIDIキーボード」
「カメラもいいの欲しい」
「だから、それはもう話ついたはずだろ? カメラなんてキリがないって。最初にお前がオススメって提示したやつ、ウン十万円したじゃねーか。私を破産…………てか、リアルに生活出来なくするつもりか!」
「………………ケチ」
「何がケチだ! フザケンナ。弾いてみた動画が百万回再生されたら広告収入で自分で買え! てか、MIDIキーボードも必要性をあまり感じないんだけど…………。マウスと普通のキーボードでよくない?」
「良くない。効率が全然違うってネットに書いてあった。悠妃、ピアノやってたんだから、あったほうがいい。むしろ小ちゃいMIDIキーボードじゃなくて、八十八鍵盤のフルサイズの買ってよ、また悠妃のピアノ聞きたい。あと、それ用のアンプも」
(そうやって素直に褒めるな! その気になっちゃうだろ。コイツ、ほんっっとに性格悪い)
「はいはい。今度な。それじゃー行くぞー。さっさと行ってさっさと帰るぞー」
「雨降ってるからタクシー……」
「使わん! 歩け歩け。貧乏人!」
ったく。コイツの言うことそのまま何でも聞いてたら、いつかしっかりと自己破産する気がする。
雨が降ってたって、最寄り駅の門前仲町はマンションから出てすぐだし、茅場町乗り換えで秋葉原までおよそ二十分くらいしかかからない。
文句言わずに歩けと思う。
気分は優れないが出かける準備をして、マンションのエントランスから外に向かうと、どうもチカの格好に違和感を感じた。
「って、なんでお前は傘持って来ないんだよ!」
「一本あれば十分間に合う。一緒に入ればいい」
(だからウチに来た時あんなに濡れていたのか…………傘立てに傘なかったよな。もしかしてウチに来る時も傘無しだったのか? 何考えてるかわかんねー)
「…………お前の方が背高いんだから、お前が傘持てよな。まったく。横着すんな」
お互い同じくらい濡れながら地下鉄を乗り継ぎ、チカに案内されたのは、秋葉原の普通の家電量販店。
楽器が売ってる専門店に連れて行かれるとばかり思っていたけど、ここにもあるらしい。
「雨降ってるし、駅から近いし、まずはここでいい。スピーカーとMIDIキーボードしか買わないし」
エスカレーターで目的のフロアに到着しスピーカーコーナーへ向かうと、想像以上に品揃えが充実していて素直に驚いた。
「んで、スピーカーはどれがいいんだよ。あのネットにあった、音量がどの音域も同じっていうモニタースピーカーなら何でもいいのか?」
「好きなのでいい。そこまでお金払わないんだったら、そんなに変わらない。安すぎず、高すぎず、あとは悠妃の好きな形で選べばいい」
「お前なぁ…………」
(一銭も払わないくせに、何が「そこまでお金払わないんだったら」だよ。まったく…………)
チカに聞いてもらちが明かないので、詳しそうな店員さんを呼び、ネットで目星をつけていたスピーカーの候補をスマホで見せて説明を聞く。
どうやら、チカが言っていることは概ね正しかったようだけど、悔しいので初めて聞く素振りをしていたら、チカが横でクスクス笑っていたので肘で脇腹を貫いてやった。
店員さんにスピーカーからの音も聞かせてもらったけど、やはり好みの問題らしい。
そこまで部屋も大きくないので、机に置いてもジャマにならないサイズの無難なものを選び、レジで取り置いてもらう。
(それだって、三万円くらいしたぞ。金返せ!)
次にMIDIキーボードコーナーに行ったのだか、そこは完全にヤバかった。
結論から言うと、めちゃくちゃハマった。
安価なものは、それこそ子供のおもちゃみたいな感じなのに、八十八鍵盤のモデルはキータッチも本物のピアノのように作られていて、テンションがめちゃくちゃ上がった。
横にいるチカは、店員さんがおすすめする商品を私と一緒に聞いていたが、あまりに私がテンション高く色々質問と試奏を繰り返し、挙句の果てにキーボード用のアンプにまで手を出そうとしたところで音をあげた。
「悠妃、飽きた。そろそろ買って帰ろ。高いのは必要になったら買えばいいよ…………」
「でもチカ、お前『良いの買えばいい』って言ってたじゃん」
少し意地悪をしてやろうと、チカの方を見ずに見本のアンプを弄りながら答える。
(ん? 無言?)
チカから何の返事もないのでチカの方を向くと、よっぽど退屈だったのか、少し涙目になっているチカがいた。
(これ、本気なやつか!)
私は、店員さんに付き合ってくれたお礼をいつつ、鍵盤サイズが本物と同サイズの四十九鍵のキーボードに決めてスピーカーと一緒に購入した。
(チカにもこんな側面あるんだな…………。うーん。なんこう、少し得した気分…………)
普通は罪悪感に苛まれるのかもしれないが、普段振り回されることが多いので、私は逆の感想を持ってしまった。
それに、チカのことだから購入したスピーカーとMIDIキーボードを『手持ちで持って帰る』と言うに違いないと思っていたけどチカの心を折っておいたのは正解で、よっぽど帰りたかったのかすんなりと翌日配送を受け入れた。
配送手続きの途中も、駄々をこねる子供のように私にすり寄り「早く帰ろ?」を連発する姿は新鮮で………………危うく新しい何かに目覚めそうになった。
「つ、疲れた」
家に帰るとお昼を回っていたので、残っていた力を振り絞り、さっきから口数が少なくなっているチカも一緒に昼食を作る。
チカはソファーにベースを抱えて座っているが、練習をするわけでもなく明らかに疲れているような表情だった。
さすがに可哀想だと思い、チカの好きなオムライスを作ってやる。
「チカー、お昼できたぞー。食べるぞー」
「…………悠妃、さっき意地悪だった」
(まだ不機嫌なのかこいつ)
「いいんだよ。たまには! だから、お前の好きなオムライス作ってやったろ? 食べないのか?」
「………………食べる」
チカは少しずつオムライスを口に運んでモソモソと食べていたが、次第に目に生気が戻ってくる。
「元気でたか?」
「ん。おいしい。悠妃の料理、好き」
(こうやって大人しいと、本当に楽なんだけどな。でもまぁ、それじゃあチカらしくねーな)
「ふふ、皿洗いは頼むぞー」
「…………悠妃、やっぱり意地悪」
しょげた顔も………………いい。
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