乙女ゲームなのに百合ルートが無いなんて嘘だ!

伊予葛

前途多難

「ごめんねええええぇ!!」


ㅤ机に頭をなすりつける勢いで謝ってくるのは、親友の財前紡ざいぜんつむぎだ。穏やかな午後のラウンジにはおよそ似つかわしくない光景に、周りからの視線が痛い。ぐいぐいと押して頭を上げさせた。


「いや、いいよ。いつものことでしょ」


ㅤ顔を上げ、こちらを見つめる彼女の瞳には涙が滲んでいる。罪悪感に潤んだ瞳で謝られては許さないわけにはいかない。ほんとに、いつものことだし。まだ開けていない紙パックのミルクティーを差し出す。わかりやすく表情を輝かせた紡は、おずおずとミルクティーを受け取った。


凛瀬りせちゃん優しい! 大好き!」

「はいはい」


ㅤ現金な紡の頭をぽんぽんとしてやれば、すっかりご機嫌だ。


「今度こそは失敗しないから! 今日は何を聞きたい?」


ㅤミルクティーにストローを刺しながら、紡が首を傾げる。長く伸びた黒髪が、さらりと揺れた。


「じゃあ、そうだな。耀ひかりくん、今日休んでたけど、何があったか知ってる?」


ㅤ頼られるのが嬉しいのか、にこにこしながら口を開いた。


「事故だよ」


ㅤ事故、明るい声音に似つかわしくない単語に、思わず聞き返す。


「気にすることないよ」

「いや、気にするって」

「リセちゃん、ヒカリくんと仲良かった?」

「仲良かったとかではないけど、クラスメイトでしょ?」


ㅤ気にすることないよ、と紡は繰り返した。こんなにあっけらかんとしているということは、大したことないのだろうか。それならいいのだが。この話はおしまい、とばかりに近場にできたチョコレート屋の話を始める彼女を見ながら、困ったことになったなと思う。耀くんと私は仲良くないが、これから仲良くなるはずだったのだ。どの程度の怪我をしたのかはわからないが、しばらく学校に来れないなどということになったら、どうしよう。また初めから考え直さなければならない。このゲームで一周目から攻略可能なキャラクターは、彼を除けばあと四人だ。その中から、決めなければいけない。


ㅤ聡明な読者諸君はお気づきだろうが、この世界は乙女ゲームの世界である。


ㅤそして私はこのゲームをクリアできなければ死ぬ。というか、私は一度死んでいる。神様が慈悲でチャンスをくれたらしい。曰く、前世で好きだったゲームの世界に転生させてやるから誰かひとりでも攻略できたら生き返らせてやるとのことらしい。正直、なんで? と思った。思ったが、エンタメとは往々にしてそういうものなのだろう。デスゲームみたいなものだ。多分。どこかで観客がこの様を観ている。条件をクリアできなければ、死ぬ。わかりやすいことこのうえない。あるいはここは彼岸と此岸の境目で、私はあまりにゲームが好きすぎて、夢を見ているのかもしれない。どちらにせよ、やることは変わらない。ゲームをクリアするのだ。


ㅤここで一つ問題が立ち上がる。このゲームでの私の推しは親友キャラなのである。そう、目の前でチョコレートの話をしているこの子だ。可愛らしい笑顔でこちらを見つめているこの子だ。そしてこのゲームには百合エンドが無い。というか、親友キャラの個別エンドが無い。友情エンドすら無い。無かった。自力で辿り着けずに攻略サイトや個人の呟きを漁って、どこにも無いということに気付いたときの絶望感ったらなかった。正直なところを言うと、攻略なんか投げ捨てて紡と話していたい。しかしそんなことをしたら私は死ぬ。だから私は推しに恋愛指南を乞うているのだ。紡は親友キャラであり、アドバイスをくれるポジションである。が、いかんせんポンコツである。彼女が教えてくれた攻略対象の好物が好物であった試しはないし、三年生のあおくんに至っては部活すら間違えていた。バスケ部の滄くんを攻略するのに危うくサッカー部のマネージャーになりかけたのは今や笑い話だ。聞けば好感度を教えてくれるが、合っているかも怪しい。まだ挨拶くらいしか交わしたことがない相手の好感度が半分を超えていたので、多分、いや、絶対正確ではないだろう。


「だってだってリセちゃんに笑顔で挨拶なんかされたら好きになっちゃうよ!」


ㅤとのことだ。甘い。私に対する評価が甘すぎる。紡が知るよしはないが、これは乙女ゲームなのだ。一つ選択肢を間違えただけでBADENDやSADEND、果てはDEADENDに辿り着くゲームで笑顔で挨拶なんかで好感度が稼げるわけがない。そもそも、挨拶はおそらく選択肢すらないテキスト部分だ。


ㅤ私だって、できることなら親友をポンコツだなどと言いたくはない。親友に恋愛マスターたれと望みたくはない。だけども命は惜しい。紡の役に立たないアドバイスをなんとか役に立てようと四苦八苦し、足りない情報を足で集め、東奔西走し。クラスメイトが一番楽じゃないか? という結論に達したのが昨日。そしてその彼が事故にあったというのが今日。どうしろっていうんだ。仕切り直しだ。考え直そう。


「行ってみる? そのお店」


ㅤ目の前でチョコレート屋に思いを馳せる紡に声をかければ、わかりやすく瞳が輝く。腹が減っては戦は出来ぬ。「うん!」と勢いよく頷く紡の頭を撫でながら、私は思考を放棄した。なるようになる!

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