追記 顔の怪異に関する考察(筆者作成)
終わりはもう目前へと近づいている。
そこまで打ち込み終えたところで、私はCtrlキーとSキーを押していた。
――――――。
――――。
――。
私のすぐ傍でにたりにたりと笑っていた巨大な顔が、ふいに消える。
酷く緩慢な動きで、私は身体に付着した血反吐と汚物を拭う。筋張った枯れ木のようになった両手は共に歪な形で固まって、僅かに動かすだけでも激痛を伴う。薄暗い部屋の中で小さく唸り、死にかけの蛆虫のように蠢く青紫色の肌。それが私だ。
この姿を誰かに見られたら、私こそが怪異だと思われるに違いない。
酷い見た目に反して、もうそれほど苦しみを感じない。
あまりに長期的に苦しみが続いたせいで前頭葉が萎縮してしまったからか、もしくは苦しみを少しでも緩和させようと脳内麻薬を蛇口いっぱい延々と出して自壊しかけているからか。いずれにせよ、まもなく私は死ぬであろう。
今になって、なんとなく、思うことがある。
おそらく全て、最初から仕組まれていたんじゃないか。
私が顔の怪異を見つけ出した、のではなくて。
顔の怪異が、私を見つけ出して、選んだのだ。
最初は意味がわからなかった。
どうして私はこんな異常行動を強制されているのか。
だけどきっと、こういうことなのだろう。私が知った・経験したことを文章化することが、きっと顔の怪異にとって「面白いこと」に繋がるのだ。それが誰かに話すよりも、誰かにメールするよりも、もっと効率的に「面白い」ことになる。
これが物語なら、私はそういう役割を担わされたのだ。
現実が酷く遠い。積み重ねてきた価値観が脆く崩れていく。私が二十余年過ごしたところは、きっと箱庭だ。顔の怪異が「面白い」ことを演じさせるための、それだけのための箱庭。私たちが一喜一憂して歩む人生は自分たちが思っているより遥かに無価値で、顔の怪異のふとした思いつきで好き放題に蹂躙される。
気づかなければ、押し付けられた運命を演じられるだろう。
気づいてしまった時点で、物語としては破綻していく。
いや、むしろ――破綻そのものを楽しむ、歪んだ悲劇なのか。
私は、ついに頭がおかしくなったんだ。
なにせ、本気でそうなのだと思っている。
確信があった。世界の秘密に到達した、と。
すかすかになった脳がぐるんぐるんと回転する。
そう。成り立たせるには丁度良い歯車。
誂えたかのようにぴったりだった構成要素。
一体誰なのか、こんな物語を見たがったのは。あなたなのだろう? 違うわけがない。言い逃れなんてできない。だってこうも楽しそうに笑っているんだから。人が地獄でのたうち回る姿を眺めるのは、さぞかし面白いことに違いない。
つまるところ、私は、物語の奴隷だ。
―――――――――――――――――――――――
[顔の怪異に取り憑かれた場合の対処法]
やり方はある。三つ。
一つ目、自殺する。
異常行動の強制から逃れる事ができて、その人間の尊厳は守られる。
二つ目、精神崩壊を起こす。
異常行動の強制による苦痛が緩和され、生きることだけは出来る。
三つ目、解放されるまで従い続ける。
異常行動の強制には、もしかして終わりがあるかもしれない。
※注意 これは、あくまでも仮説である。
取り憑かれた際に引き起こされる異常行動は、抗えない強制力があるという点においては共通するが、どのような異常行動を科せられるのかは一貫性が見受けられない。怪異と称しておいてなんだが、それはあまりに怪異らしからぬ在り方だろう。
私は「顔の怪異」の正体が、この世界の人間を使って多種多様な物語を紡ごうとする、ある種の創造主のような存在なのではないかと考え始めている。
もっといえば、こう考えられないか――この世界で起こる物語性のある出来事はすべて、その「創造主」が起こす異常行動の強制で生まれたものだ、と。
馬鹿げていると思われるだろうか。
ありえない空想に逃げ込んだと笑われるだろうか。
しかしそう仮定すると、一連の怪奇現象が説明することが可能だ。
極限状態に陥った際に、突き動かされるように普段だったら考えられない行動をする者がいる。一意専心して難事にあたっていた時に、常人の限界を遥かに超えた奇跡的な結果を叩き出す者がいる。それらの逆も然りで、普段だったら出来て当然のことが、呪われたかのように出来なくなることもある。
そういうもの全てが、顔の怪異の仕業だとしたら。
有り得るだろう。なにせ顔の怪異は基本的には視えないし、視てはいけないものだ。私たちのように不幸にもその顔を認識してしまった者を除いて、基本的に自覚することがない。気づかない。だから、自分の手で運命を切り拓いたと錯覚する。
全ては、用意された物語だというのに。
勿論、それにしては物語の出来の差があまりに激しい、なんてもっともな意見もあるだろう。しかし、そもそも創造主が単体でなければならない理由がない。
創造主は数多いて、その趣味嗜好は千差万別、力量だってそうだ。
そして各々が紡ぎたい物語を、無限に紡いでいる。
我々という駒を使って、神々のようにこの世界を好き勝手に掻き回している。その力量の良し悪しによっては、駒の方が耐えきれずに壊れてしまうこともある。中には上手く登場人物に「山あり谷あり」を経させた末に、最終的に誰もが納得する幸せな結末を用意するものもいるはずだ。きっとその創造主はかなりの手練だ。
シミュレーション仮説と、創造主の運命操作。
それが、我々が人生だと信じ込むものの本質。
実際の所、人々に自由意志などないのではないか。
あるように感じたとしても、そう錯覚させられているだけ。乾いていて、無機質で、忌避感に溢れた、そんな想像を禁じえない。
しかし、それは逆説的に考えれば。
創造主の用意した物語を、最後まで進めることが出来れば。
結末がいかなるものかは別として、異常行動の強制からは解放されるんじゃないか。可能性がある。前の二項よりかは、ほんの僅かながらも希望は持てるだろう。
これを読んだ者の異常行動が、致死性の高いものではないことを祈ろう。
―――――――――――――――――――――――
そこまで書き記した時、私は自らに科せられた異常行動の目的に勘付いて、静かに絶望した。おそらく私の物語は、こういうシロモノだ。だって、私だったら必ずそうする。私が物語を紡ぐ立場ならそういうオチへと持っていく。
ポストアポカリプスの前日譚。
世界を破滅に陥れる要因を産み落とした者の話。
「顔の怪異」を大勢に感染させた、諸悪の根源たるエピソード。
Kも、編集の佐藤さんも、あのたった一度会っただけの詐欺少女だって、私と接したことで「顔の怪異」に苛まれるようになった。私が媒介者だったのだ。トリガーは単純明快。おまじないをしたかしていないかなんて関係ない。
ただ、興味を持ち、知ってもらうこと。
この時点で、気づいておくべきだった。
きっと、私の物語の終わり方は――。
読んだ者に「顔の怪異」を伝染させる、呪物を書き上げること。
私は、迷った。
世界のために、自ら命を断つか。
世界を破滅に導く悪魔になるか。
私は、
私は、
私は。
ずるい。
だってこんなの。
死ぬしかない、じゃないか。
なんでこんなことになってしまったのか。
私を視ている巨大な顔が憎くて憎くて仕方がなかった。
あなたに良心というものはないのかと問いただしてやりたい。どれだけ想いを込めて念じようとも叫ぼうと、届いていないようだった。
押し付けられた運命という名の枷に、無理やり動かされる。世に溢れる悲劇の物語の主人公たちも、こんな最低な気持ちを心の内に秘めていたのだろうか。私が自ら作り上げた小説の登場人物も、こんな風に苦しんでいたのだろうか。
そう、私も同罪なのだ。
「顔の怪異」にとやかく言える立場ではない。
己が紡いだ楽しい地獄を、作品の形にしてこの世に送り出した。それが顔の怪異と何が違う? 私は作品内の登場人物に多種多様な苦難を与えて、皆に面白がってもらおうとした。その末に完全無欠のハッピーエンドであればともかく、私が選んだのは失ったものを取り返すことの出来ないビターエンド。
私が創造主を恨むように、私は自作品内の人物から恨まれている。
知らなかった。でも、それが言い訳として認められるだろうか。
逆の立場で言われたとしても、納得なんて出来やしない。
死のう。可及的速やかに。
時間的な猶予はない。
次の異常行動の強制が起これば、私はもうこの文章を完成させてしまう。
言葉通り、終わりはもう目前なのだ。やり遂げてしまう前に、世界を破滅に導く呪物を作り上げる前に、悪魔に成り果ててしまう前に、私は私を消さなくてはいけない。
それくらいは、自らの意志で選ぶのだ。
立ち上がった刹那、携帯端末が短く鳴った。
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