顔の怪異に関する考察

 差し迫った死という恐怖を前にすると、ある欲が生まれる。

 死が避けられないならせめて、自分が生きた証をこの世に遺したい。

 作家という生き方に憧れていたからだろうか。それともKを死なせてしまった贖罪のつもりなのか。もしくは恐怖を少しでも紛らわすための現実逃避の可能性もあろう。

 いずれにせよ病院から追い出されて自室に舞い戻った私は、床に残された汚染を最低限処理したあと「顔の怪異」についての考察レポートを作成することにした。

 これなら私の頭の中も整理されて、ほんの少しといえども気分がマシになる。

 そうでなくとも私が死んだ後、これが誰かの役に立つこともあるだろう。


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[顔の怪異 概要]

 「顔の怪異」は実在する怪異で、非常に危険な存在。

 それに取り憑かれた者は、「顔」に関連した幻覚症状が現れる。最初は些細な違和感を覚える程度だが、その症状が進むにつれてより明確に視えるようになっていく。幻覚症状がある程度進行した後、「顔の怪異」による「異常行動の強制」が不定期に発生するようになる。


[顔の怪異の歴史]

 1940年代~1999年まで活動していた新興宗教団体「光相の導き」にて、「顔の怪異」と関連性があると思しき存在が信仰対象にされていた。彼らは「自らの運命を切り拓く」ことをモットーとし、「御神貌」という独自の神を信仰し、時には命を落とすような様々な修業によってその存在を感じることを目的としていた。なお、修行に成功した信者は「到達者」として尊敬され、失敗した信者は「碑視者」として扱われ、


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 またあの顔が現れて私の行動を邪魔してくるのでは、という不安はあった。

 始める時はそれこそ恐る恐るだったものの、意外にも何の差し障りなく続けられた。

 かたかたと、自らの意志で押していくキーボード。

 強制されずに行えるということは、本当に素晴らしいことだった。こういう状況に陥って心の底からそう思った。そしてこういう状況に陥ったからこそ、私は今まで集めてきた断片に、幾つかの繋ぎ目があることにはたと気づく。

 パズルのピースが嵌まる。少しずつ寄せ集まって形になる。


 1999年に解散した新興宗教団体の機関紙。おつかれさまでした。卑視者。入寂。翌世での成功をお祈りいたします。卑視者。卑しくも、視てしまった者? 何を視たか。視てはいけないもの。あくまでイメージ。本当に見えてしまったら失敗。運命の神様の見えない顔が自分のことを見ていることをイメージ。身体に運命の神様のパワーを感じたら、それで成功。視てしまったら、失敗。失敗。失敗。

 波導エリは、効率のために安全装置を取っ払って運用し始めた。

 大きな幸も出やすくなるが、裏ではその何十倍もの災いを振りまいている。


 神様の顔に視られているのを感じ取ることができた者は、成功。

 成功すると、自らの運命を切り拓くことが出来る。

 神様の顔に視られているのを卑しくも視てしまった者は、失敗。

 失敗すると、入寂して翌世での成功をお祈りされる。災いが訪れて、死ぬ?


 つまるところこれは、そういう類の儀式なのだろう。


 虚構か真実なのか、わからないところはわかりようがない。

 ただ、奇妙な程にぴったりと嵌め合わせることが出来てしまう。

 だから、私たちはきっと、儀式に失敗した側の人間、ということなのだ。


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 「光相の導き」が壊滅した後、波導エリが「光相の導き」のやり方を参考にしたスピリチュアル・セミナーを開始する。幾度かその組織の在り方を変えつつも、2023年2月18日現在もなお活動していると思われる。


 それに付随し、次のような意見を述べたスピリチュアル業界の関係者がいた。

 かつて幸不幸問わず超常現象を起こす存在(顔の怪異のこと?)が見つかり、発見者はうまくそれをコントロールするための仕組みを作り試行錯誤するうちに宗教団体が出来た。教団消滅後、波導エリはその「超常現象を起こす存在」を原初のままに戻して運用し始めた。だから危険である、と。


[異常行動の強制とは]

 「顔の怪異」の顕現に伴い、当人の身体の一部または全ての支配権が奪われて、当人が意図していない行動を強制されるようになる。どういった異常行動を強制されるのかは人によって異なる。強制されている間も当人の意識だけは正常に働いているが、強制に抗おうとする行動や邪魔になる行動は取ることは出来ず、ひたすら異常行動の強制が一時停止する時を待つことしか出来ない。

 異常行動の強制が起こるタイミング、ならびに強制の継続時間は不明ながら、かなりの長時間行われる場合もある。最悪の場合、異常行動の強制中に肉体の方に限界が来て死亡してしまうという可能性も十分に考えられる。

 また、異常行動の強制をされていない時に、この現象を他人に伝えて助けを求めようとすると、「顔の怪異」によって阻止される。このことから「顔の怪異」が何らかの目的を持って、当人に異常行動の強制を行っている可能性がある。

 なお、強制が開始される際には強い耳鳴りが伴い、強制の終了に耳鳴りも治まる。


 異常行動の強制と思われる具体事例は、次の通り。

・二十代 男性 死亡  …… 彫刻刀を用いた木彫り

・四十代 男性 生死不明…… 道路に飛び出す自殺行為

・十代  女性 死亡  …… 洋服・小物などのハンドメイド

・三十代 女性 生死不明…… 陰謀論の盲信?

・十代  男性 死亡  …… 陸上競技 主に中距離走

・三十代 男性 生死不明…… 執筆活動?

・二十代 男性 死亡  …… 日常的な飲酒


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 修行に成功すれば運命が切り拓かれて、失敗すれば災いと死が訪れる。

 顔の怪異がそういうシステムのものなのだとすると、色々と筋が通る。

 修行に成功したと思われる人物――具体的には、リサイクル会社を起業した千田景太郎氏と、動画配信者によるカルト団体突撃企画で映っていた男性スタッフだ。前者は若くして年商三億を果たす人間離れする働きぶりの社長となり、後者はどんな難問にも応えるといって自らの指を一本ずつ折るという苦行をやってのけた。

 二人の行動もまた、「異常行動の強制」と性質的には似ていやしないか。

 そして彼らはその行動を苦痛だと思っていない。

 なにせ「顔の怪異」――否、彼らにとっては自らの運命を切り拓く手助けをしてくれた、素晴らしい神様だ。それを実際に視るという失敗を犯すことなく、その存在を感じ取り、そして超常的なパワーを我が物にした〝成功〟せし者たちなのだ。


 〝失敗〟しても、生き延びる方法は、ないのだろうか。


 あなたはどう考えているのか教えて欲しい。些細な意見で構わない。どうか私の思考の幅を広げるために協力をお願いしたい。これは〝成功〟と〝失敗〟は紙一重であることの暗示なのだろうか。〝失敗〟してもどうにか生き延びる方法がないか。それともすでに顔を視てしまった以上、私の運命は破滅の一途を辿るのか。

 ああ、死にたくない。

 Kが待っているからいいじゃないかって? 馬鹿を言わないで欲しい。あの世なんて人々が作り出したただの共同幻想だ。死ねば全てを失って無になるだけ。

 こんな風に成っても、やはり死ぬのが怖くてたまらない。

 どうして私がこんな酷い思いをしなくてはならないのか。

 それほどのことを私はしてしまったのか? あなたもそう思う? 本当に? ああ、駄目だ。誰に話しているのだ。混乱している。落ち着かないと、深呼吸をして。

 耳鳴りはこない。耳鳴りはこない。落ち着け、私。

 どうか笑わないで欲しい。私は、私は必死なのだ。


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[顔の怪異に取り憑かれる原因]

 確証はなく、断定はできない。

 ただ、取り憑かれる原因として一番可能性が高いのは、「光相の導き」の修行、並びにそれを元にした「波導エリのおまじない」を行うことではないか。より具体的に言うと、「顔の怪異」を直接視るという禁忌を犯すこと、だと考えられる。

 少なくとも私も、私と似たようなタイミングで行った友人も、そのおまじないを試した結果、「顔の怪異」に苛まれるようになった。

 つまりあれを試しさえしなければ私たちは平穏に過ごすことができた。後悔しても後悔しきれない。どうか、これを読んでいるあなた。あれは決して試してはならない。「光相の導き」も、「波導エリ」にも、彼女の「スピリチュアル・セミナー」にも決して関わってはならない。例え人生が上手くいっていなくたって、こんな最悪な丁半博打に手を出してはならない。惨たらしく死んでも良いというのなら話は別だが。


[顔の怪異に取り憑かれた場合の対処法]

 やり方はある。ふたt


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 やり方はある。二通り。

 打ち込む途中で、私はキーボードから手を離した。


 一つは、絹澤匠と同じ方法。

 自分の命を、絶ってしまうこと。

 そうすればこの恐怖や苦悩から開放される。


 そして、もう一つは。

 進んで正気を手放してしまうこと。

 恐怖も苦悩もすべて正しく受け止められないくらいに、自分の頭と思考回路をおかしく歪ませることが出来れば、ただ生きることだけは出来るかもしれない。それが人間としての尊厳を保っているのかどうかは別として。


 あなたは、どちらを選ぶべきだと思う?


 だけど、私は嫌だ。

 死ぬのも、おかしくなるのも嫌。


 どうにか無事に、生き延びる方法はないのか。思考がぐるぐると回る。回り続けて止まらない。意味のない回転。どうしてこんな目に合わなければならないのか。耳鳴りがし始めた。やめて。やめてください。待って。まだ誰かに助けを求めたわけじゃないでしょう。嫌だよ。どうしてこんな思いをしなくちゃならないのか。耳鳴りが強くなってきた。ああ。ああ。くる。くる。吐息を感じる。笑っている。死にたくない。死にたくない。だから私は最低限のあがきをする。急げ。急げ。始まるまえに。袋の中から携帯食と経口補水液を取り出す。ぐちゃぐちゃに封を開き、口の中に一気に詰め込み、咀嚼もろくにせずに無理やり流し込む。吐き気がする。何度もむせる。食道が痛む。でも、飲み込む。備えなくてはならない。死なないための準備。喉が渇いてもいないのに無理やり一気飲み。最低の味がする。だけど仕方ない。これから喉は渇くのだから。パソコンの前にごみ袋を開いて敷いて、私は泣きながらその中に座った。耳鳴りが最高潮に達する。死刑執行を前にする気分。挫けそうになる。必死に鼓舞する。大丈夫。大丈夫。耐えられる。耐えられる。神様は乗り越えられる試練しか与えない。全ての不幸は幸せへの踏み台にすぎない。ふざけるな。脳裏をよぎった言葉に腹が立つ。考えられる限りの暴言を吐き散らかす。じゃあお前が私と代われよと本気で苛々する。私に何かをやらせるその主が、本気で呪わしかった。死にたくない。死ぬのが怖い。


 手が勝手に、伸びていく。

 ああ、くそ。始まった。

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