慈悲の飴玉
われもこう
慈悲の飴玉 上
それは青空が澄み渡る、ある晴れた日のことでありました。穏やかな風の流れに乗って空の果てを目ざす鳥は、旅の道中で、はたりとその羽を止めました。人々が暮らす地上、遥か眼下に何かキラキラと輝くものが見えるのです。
鳥はゆっくりと降下しながら、小高い丘に立つクスノキの一枝に止まりますと、葉と葉の隙間から「キラキラしたもの」の正体を突き止めようと目を凝らしました。
はたしてその瞳に映ったのは、ひとつの賑やかな町並みでありました。
大通りに敷かれた暖色系のレンガ、色とりどりの連なる屋根、緑に溢れた静かな公園、季節ごとの花で飾られた軒下、更にじょうろから溢れる雫などが、朝のひかりに反射して宝石のように煌めいており、それはいっとう丁寧に磨かれた子どものおもちゃを収納した宝箱のようなのです。鳥はおもわずほうっと息をつきました。鳥は、終わりのない旅に疲れ、空の青さと山の緑に飽きているところでありました。
また、耳を澄ましておりますと、風と風との間から子どもたちの笑い声や、町の人々の穏やかな談笑の声が響いてきます。
とても愉快な気分となった鳥は、しばらくこの樹をみずからの棲家とすることにいたしました。
そうして朝、昼、晩と、このクスノキから人々の暮らしや、絵画のような町の景色を眺めて過ごし、旅の疲れを癒したのです。
そんな中、鳥はやがて、町に住むある少年を気にかけるようになりました。
この物語は、かくして偶然、町を通りかかった一羽の鳥が目撃しました、とある少年のお話であります。
○
その町にはたいへん有名な飴屋さんが一軒ありました。
どれくらい有名かと言いますと、隣の町や、さらにその隣の町に至るまで、その飴玉屋を知らない人はいないと言われるほどです。
石造りの小さなお家の一階は、看板さえなければ普通のお家と見紛って通り過ぎてしまいそうになるのですが、店前にはお客さんが、幼い子どもから年老いたご老人までもが列をなして並んでおり、店内では皆がワクワクした様子で飴玉を選んでおります。隅々まで掃き清められたお店の中には、赤と、緑と、黄と、白の、四種類のビー玉のごとき飴玉が、それぞれしずかな光を放ちながら、籠にどっさりと積まれて売られており、それは、大通りを行き交う人たちが思わず足を止めてしまうほどでありました。
もちろん、中で売られているのは普通の飴玉ではありません。味はいちごやメロン、それにレモン、練乳と代わり映えしないのですが、そのお店で売られている飴玉には種々の感情が練り込まれていました。つまり、赤には愛しさが、緑には癒しが、黄には喜びが、白には悲しみの感情が。
店主として飴玉を作っているのは、まだ十に届くか届かないかの、幼い少年であります。目尻のキリッとした顔立ちで、性格はとても真面目であり、それに加えさっぱりとしていて、昨年の冬に親方を亡くしてからは、気丈にもひとりでこのお店を切り盛りしているのでした。
少年は、毎日大忙しです。
客層は様々で、「好きな子に告白するんだ」と言って赤色の飴玉を買っていく少年もいれば、「おかあさんとおとうさんが疲れているから何かしてあげたいの」と緑色の飴玉を買い求める少女もいます。また、「おばあさんと二人で食べたくて」と言って、黄色の飴玉を買っていくお爺さんや、「自分のたのしみに」と色んな種類の飴玉を袋に詰めてもらうおばあさんもおります。また、隣町からもたくさんのお客さんが見えました。
少年は夕方お店を閉めますと、休憩や夕飯もほどほどにして、さっそくたくさんの飴玉をこしらえました。
どれだけたくさん用意しても、来る日も来る日もお客さんがみえて、飴玉は飛ぶようにして売れていきます。なおも少年は、寝るまを惜しんで飴を練りました。
ところが、ある日のことです
日が暮れて空の赤さが落ちたころ、すっかり店じまいを終えた少年は、その夜、飴玉の勘定をしながら、白色の飴玉がほとんど売れていないことに気づいてしまいました。
壁際に積まれた白い飴玉の前に立ち、少年は悩まし気に首をひねります。
丹精込めてつくったのに、廃棄するのはもったいない。――少年は、白い飴玉をひとつ摘み取りますと、パクリと口に放り込み、ガリガリと歯を立てて噛み砕いてしまいました。そうして飴玉の破片を残さず飲み込みますと、大きな波のように抗いがたい、哀しい気持ちに襲われてしまいました。
思い出すのは、泣いているお友達の顔、親方が死んだときのこと、お家で飼っていた金魚が病気になったときのこと、または友達に向かって悪口を言ったり、友達から悪口を言われたりしたときのこと――そういった哀しく、やるせない出来事ばかりが少年の頭に思い浮かんで、飴玉をつくる気持ちなどまったく失せてしまったのです。
それに、よくよく考えれてみれば、飴玉屋のとなりのミミちゃんのお家では、最近おじいちゃんが亡くなったばかりです。自分が飴玉づくりに現を抜かしている間に、世間はこんなにも悲しい出来事があって、たくさんの人が悲嘆に暮れている。――ひどく塞ぎ込んでしまった少年は、その晩、逃げるように布団の中に潜りこんでしまいました。
忙しさにかまけて干せていなかった布団は、夜の湿気を含んでじめじめとしており、ますます少年の気を滅入らせるばかりです。
そんな少年のちいさな姿を、窓辺にかかる三日月だけが、心配そうに眺めているのでした。
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