星舟
うちやまだあつろう
第1話
地球という小さな惑星に発生した人類と言う生物は、その支配欲と探求心によって活動域を惑星系の外にまで広げていた。活動可能星域をめぐる数度にわたる宇宙戦争は、人類の数を減らした一方で新たな生命とも呼べる存在を作り出した。それは初め人工知能と呼ばれていたが、銀色の金属表皮に覆われた見た目から「メタルマン」。それが訛って、いつしか「メタルマ」と呼ばれる種族となった。
最後の宇宙戦争から、地球時間で一世紀。拡大した活動可能星域に闘争の濃度は薄まっていき、小競り合いこそあれど大きな争いは無くなった。メタルマは、その創造主たる人類に反抗するような素振りも無く、両種は互いに親しい友人として、宇宙の静けさの中に共生する道を辿っていった。
◇◇◇
いくつかの計器が警告信号を発している。大抵の星間飛行機はメタルマによる制御を頼っているのだが、この古い船はアナログな制御によって運行されていた。
しばらく鳴り続いた耳障りな警告音を止めたのは、軟金属によって覆われた銀色の指であった。
『なぜ私に任せないのです? どうせ私が操縦するのに』
そのメタルマは女性を思わせる曲線的なシルエットをしていた。揺らめく金属表皮は、まるで銀色のドレスのように見える。機械に性別は無いが、「彼」というよりも、あえて「彼女」と呼ぶことにする。
彼女の名はピリカ。通常、宇宙航行船には操縦士、機関士、コック、清掃員等の職種に対応した複数のメタルマが搭乗することが多いのだが、この船に乗るメタルマは彼女一人であった。
ピリカは操縦桿を握ると、寸分の狂いもない正確な操作で小惑星群へ向かっていた船の軌道を修正した。
掃除はされているが、お世辞にも行き届いているとまでは言えない船室は、操縦室と居室を兼ねていて、それなりに大きい。重力制御によって弱い重力がかかった部屋の中で、硬いソファベッドに横になっていた男が体を起こした。
「俺が操縦する可能性もあるだろう? それに、メタルマ完全制御にするにはそれなりの設備と金が必要になるからね。あいにく、今はどちらも手元にないんだ」
白いシンプルな飛行服を着て、寝ぼけた目を擦りながら言う男に、彼女は人間らしい動作で呆れたように首を振った。
男の名はアルト。家名は故郷を出る際に捨てていた。見た目は三十から四十辺り、無造作に伸びた髪の毛にはチラホラと白髪が混じり始めている。
「見た目は」という言葉を使ったが、彼の実年齢はその外見とはかけ離れており、地球時間で計算すると百と七十二歳であった。というのも、彼は二十歳過ぎの頃に難病に侵され、その際に「カプセル治療」を受けたのだ。百五十年ほどの半冬眠の中、彼は穏やかな老化の末、三十代後半の肉体で目覚めたのである。
この船に乗るのは、ピリカとアルトの二人だけだった。
「今日の飯は?」
アルトがぼんやりとした声で尋ねる。
『緑;五十グラム、赤;三十グラム、黄:十二グラム。それと水です』
「はぁ、代わり映えしないね」
『食費をケチったのはどなたですか?』
「はいはい」
彼は適当に返事をしながら、壁に埋め込まれたドリンクサーバーのような装置へ向かう。アルミ製のボウルを設置してボタンを押すと、緑色、赤色、黄色の液体が規定の量だけボウルへ注がれた。そのまま慣れた手つきで横の加熱装置にセットすると、ボウルの中の液体は十秒ほどで変性し、たちまちマーブル模様の完全栄養食プリンが出来上がった。
まったく食欲をそそる見た目ではないが、文句を言って別のものが出てくるわけでもない。そもそも、出発の際に「食事なんて完全栄養食で十分」と言ったのは、アルト自身である。
彼は窓際に固定されているテーブルに向かうと、折り畳み式の椅子を広げて座った。たいして美味くもない食事を口に運びながら、丸く縁どられた景色を眺める。
「これも代わり映えしないね」
アルトが呟くと、ピリカは『そりゃそうですよ』と無機質に答えた。彼女は操縦席から立ち上がると、彼の向かいに座って窓の外に広がる無限の星海を眺めた。
長い宇宙航行となると、景色に娯楽を見出すのは難しい。大抵は食事やゲーム等のバリエーションを豊富にして気を紛らわせるのだが、この船においては彼の財布がそれを許さなかった。
『
「故障したんだ。しょうがないだろ」
『だから機関士を雇えと言ったのですがね』
「金が無いんだよ」
『あら、当時は「心配ない。俺は機関士の資格を持ってんだ」とおっしゃっていましたが』
「あの時はいけると思ったんだよ。百五十年でこんなに変わるとはな」
『当然でしょう』
ピリカに口があれば、大きなため息を吐いていたことだろう。彼女はテーブルに置かれていた古い本を手に取ると、挟んでいた栞を取って読み始めた。アルトは本の背表紙に書かれた「星の王子さま」という擦れた文字を不思議そうな顔で見つめる。
「何度読むんだ、その本」
『さぁ』
「そんなに面白いのか?」
『さぁ。お気に入りではあります』
「『さぁ』って…………。お気に入りってことは面白いんだろ」
『まぁ、そうなんでしょうね』
アルトは食事をかきこむと、味わう間もなく水で流し込んだ。
「そういえば」
口元を袖で拭きながら、アルトは言った。
「ヴェルガもその本好きだったな」
ヴェルガは彼の妻である。その名前にピリカは僅かに顔を上げた。
アルトは「ははーん」と何か分かったように呟くと、訝しげに彼女を見て尋ねる。
「もしかして、わざとヴェルガの真似してるのか?」
『……………………「わざと」というのは?』
「半冬眠で曖昧な俺の記憶を取り戻させてあげよう、とか考えてないよな?」
すると、ピリカは呆れたように肩を落とした。
『そんなお節介はしません』
「まぁ、そうだろうな…………。じゃあ、なんで本なんか読むんだ?」
『あなたには関係ないことです』
冷たく答えるピリカだったが、少し間を置いてから、思い直したようにパタンと本を閉じた。
『…………人を、知りたいのです』
彼女は言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
『メタルマの知能は、長い年月をかけて感情を持つまでに発達しました。ただ、それが人のそれと似ているのは確かですが、同じであるとは限りません。私は人の感情の変化を、私自身で体験したい』
「それで本を?」
『えぇ。読者の感想と私自身の感情とを比較して、その誤差を修正しようとしています』
「人を知りたいなら、目の前に良い情報源がいることを教えてやるよ」
『あなたの感性は当てになりません』
「俺の感性の何が分かるんだよ」
『せっかく食事を楽しむことができる機能をお持ちなのに、全て完全栄養食にしてしまうような人ですからね』
「うぅむ」
ピリカは本を置いて窓の外を眺める。アルトもそれに釣られるようにして視線を移した。窓の外には変わらず真っ暗な闇が広がっていて、どこかで見たような星たちがポツポツと瞬いている。
アルトは、初めて星を出たとき、この景色に言いようのない興奮を覚えたことを思い出した。あの興奮の理由は、当時も、今になっても分からない。
百五十年前の彼方に置いてきた記憶の中に、その答えがあるのだろうか。
「ま、ゆっくり探せばいいさ」
アルトはそう言って、大きく伸びをした。
「どうせ
『それもそうですね』
ピリカはそう答えると、再び本を開いた。
無限に広がる星の海を、一隻の古い船が亜光速で進んでいく…………。
星舟 うちやまだあつろう @uchi-atsu
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