愚者を憐れむ歌
暗い通りに仄明かりが揺れていた。
あの家だ。夫婦が娘を看ながら寝ずの番をしているのだろう。
俺はドアのベルを鳴らすと、少女の父親が現れた。
「神父さん、こんな夜更けに……また忘れ物ですか?」
男は気さくに笑ったが、目の下のクマがひどい。
掴みかかって情報を強請らなかったのは、疲れていたのが半分。そういえば、最近テオもこんな顔をしていたと思い返したのが半分だった。
「いえ、心配で立ち寄ったんです。今回の悪魔は強力でしたから」
「お陰様で娘は落ち着いていますよ。さっきやっと眠ったところです」
カタンと音がして、二階の階段から少女がふらふらと現れた。後から慌てて母親がついてくる。
「寝てなくちゃ駄目じゃない。そんな顔色で……」
パジャマ姿の少女は枕をぎゅっと握って俺を見上げた。
「もうひとりの神父さんは?」
俺は普段使わない表情筋を総動員して微笑む。
「今は寝てるよ」
「あのね、あのひとにお礼を言って」
「悪魔をやっつけたからか?」
「ううん、やっつけてないの」
「何だって?」
夫婦も戸惑い出す。少女は何度か口籠もってから意を決したように言った。
「あの神父さんが言ってたの。『ごめんね、僕の力不足で祓いきれなかった。でも、安心して。残りは僕がもらっておくから君はもう大丈夫って』」
付け焼き刃の笑みが剥がれ落ちた。
俺は車に駆け戻った。
夜の色を映した窓ガラスに悪魔の羽が溶け込んでいる。
俺は運転席に滑り込み、テオの黒い礼服の襟に手をかけた。触れた首筋がぞっとするほど冷たい。
カソックの襟を引き下ろすと、テオの肌は目を疑うようなザマだった。
あらゆる拷問を受けまくって死んだ罪人のようだった。白い肌はミミズ腫れと擦過痕がのたうち、ケロイド状の火傷痕で引き攣れている。
「何と善良な男だろう。神の子の生まれ変わりのようだな」
唖然とする俺に悪魔が笑いかけた。
「どういう意味だ」
「わかってるだろう。その男は己が払いきれなかった悪魔の呪いを代わりに受けていたんだ」
「馬鹿言うなよ……生贄の身代わりはそれと同じくらい大事な……」
俺は口を噤む。テオは馬鹿だ。大馬鹿だ。
赤の他人を自分と同じくらい大事に思う、正真正銘の馬鹿だ。
だから、身代わりに呪いを引き受けることができたんだ。
バディなのに、俺はこいつがこんなに馬鹿だったとは知らなかった。
悪魔の羽がはためいた。
「その男より死ぬべき者はごまんといるだろう。いい知らせだ。私は現在だけでなく過去未来の人間を殺せる。取引さえすればな」
絶句する俺に悪魔が黒い顔を寄せる。そして、囁いた。
「お前がかつて殺し損ねた父親なんてどうだ?」
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