第17話 愛妻の社交性。
どんなに遅く眠りについたとしても、朝が来ると起きてしまう。
責任感が強くなった証拠、なんて言われるが、ただ単に歳を重ねただけの結果だ。
「だが……さすがに、今日は眠いな」
昨日は激動の一日だった、昼間に試験、夜は事件、王都での一日は
既にベッドに愛妻の姿は無く、階下から朝ごはんの良い匂いが漂ってくる。
卵にチーズ、それに焼いたパンの香ばしい匂いが食欲をそそる。
空かせた腹が既に鳴き始めているし、朝からご馳走にありつけそうだ。
「おや、随分とお早いですね。もっと遅いかと思いました」
一階に降りると、既に朝食に手を付けている男の姿があった。
娘のマーニャも同席し、まるで一家の主のように上座に座っている。
「……ジャミか、随分と早いな」
「いえいえ、結果を知りたいだろうなと思い、早起きして参りました次第ですよ」
黄色く染まったパンを手に取り、パクリと食べながら語る。
やむなし、空いている席へと着席すると、頼みもしないのにジャミは語り始めた。
「結局、レイディーラさんはハッシェさんを許したみたいです。ああ、ハッシェというのは昨日の彼女ですね。営業を自粛した店から苦情が出るやもしれませんが、お触れは出していませんでしたからね。自己責任という形で片付けて頂こうと思っております」
まぁ、想定通りの結果という事かな。
若さゆえの過ち、ハッシェという女性には猛省していただければ、それでいい。
「万事解決、といった感じだな」
「しかしサバス隊長も人が悪い、私は嘘が嫌いなんですよ?」
「昨日の酒場、スクライド君を前にして、不殺隊を知っていると言っていたよな?」
「あれは……はははっ、あの時には既に知っていたという話です」
「苦しい言い訳だな」
スクライド君だけではなく、フェスカに対しても不殺隊を知っていたという素振りを口にしていた。ジャミは根っからの虚言者、まことしやかに語る虚偽の言葉は、まるで真実を語るように聞こえてしまう。彼と接する時には、一言一句気を付けて接しないとだな。
「あら、ジャミさん、何か嘘を付いていたんですか?」
追加の卵浸しパンをテーブルへと置きながら、フェスカは俺の隣へと座る。
金の髪をまとめ、うなじを露出した愛妻が既に艶めいて見える、エプロン姿もとてもいい。
思わず抱き締めようとした手を、鋼の自制心で抑える。
ジャミに弱みを握られたら何を言われるか。
んんっ、と咳払い一つ。
「俺がそう伝えるようにお願いしたんだ。症状を耳にして、原因がジガラシの実だっていうのは直ぐに見当が付いてたからね。そうじゃなくとも、ジャミの回復魔術で治療したとしても、犯人が捕まらないんじゃ意味がない」
治った所で一度成功してしまったんだ、二度三度繰り返す事は容易に想像できる。
「今ならまだ小火で済む、大事になってからでは、彼女も可哀想だ」
「……本当に、お優しい隊長さんですよ。結局ハッシェは、あの酒場で無料奉仕三か月だそうです。歌姫レイディーラの付き人兼、店の厨房手伝い兼、ウェイトレスを兼ねるのだとか」
「それぐらいが妥当だろう。少女の悪戯にしては十分な制裁だ」
追加のパンも、気付けば空っぽに。
何かないか目くばせすると、フェスカが「はい、アルちゃん」と追加で持ってきてくれた。
「レイディーラさんも快気して、その子も加わったとなると、私ももうお役御免かな」
「そのために頑張った様なものだからな」
「あら、私結構楽しかったのよ?」
確かに、思い起こせば、かなり楽し気に歌っていたような気もするが。
だがしかし、俺の嫁が誰かの慰めものになるのは、断固として許せん。
「奥様が出てしまっては、他の歌姫たちが霞んでしまいます。ここは自重して頂かないと」
「そうかしら? なぁんて、ジャミさんったらお上手なんだから」
「はははっ……さて、ではそろそろ私も行かないといけません。サバス隊長」
すっと立ち上がると、ジャミは一枚の用紙を俺へと差し出してきた。
「三次試験のご案内です。試験は明朝、ブリングス王城エントランスへとお越しください」
「……ありがとう、互いに合格できるといいな」
無言のまま笑みをこぼすと、ジャミはペコリお辞儀をして家を後にする。
三次試験か……これの結果次第で、俺の今後が全て変わる。
ダメでも元の生活に戻るのみ、もし合格したら……その時は、祝杯でもあげるかな。
「アルちゃん」
「フェスカ……試験、明日みたいだから、今日はどこかにお出かけに行こうか?」
「お出かけー!? マーニャね、マーニャね、パパとお出かけ行きたかったのー!」
顔いっぱいにパンくずとミルクを付けたマーニャが喜び叫ぶ。
思えば、王都に来てから練習と試験ばかりで、家族でお出かけは一度もしていなかった。
お出かけという言葉を聞いて、マーニャは早速椅子から飛び降りて準備を始めている。
まずは顔を綺麗にしないとなんじゃないかな? ああ、ほら、パンくずが床に。
「あんなに喜んじゃって、マーニャも嬉しそう」
「そうだね……とはいえ、どこかいい場所でもあるのかな?」
「近場はマーニャと見て回っちゃったから、ちょっと歩いて美術館でも行ってみる?」
「美術館? 美術館なんて、俺が行ってもいいモノなのかな」
「行っていいに決まってるじゃない」
バカね、優しい口調で言われると、悪い言葉も澄んだ水のように受け入れられる。
いや、そこに愛があるから受け入れれらるのかな。
フェスカ、と名を呼ぶと、彼女は分かっていたように唇を重ねてきた。
毎朝しても、毎晩しても、俺達はずっとキスをする。
そんな仲睦まじい俺達を見て、マーニャは「仲良しだね!」と微笑むんだ。
――
ブリングス美術館、ブリングスという国だけではなく、同盟諸国からの献上品も並べられている、とても大きな美術館だ。普通に見て回るだけでも一日、じっくりと堪能しながら知識を深めるとしたら、何日あっても足らない場所なのだと、入場口で説明を受ける。
謳い文句にしては上等な言葉だなと思っていたが、受付嬢の言葉に飾りっ気は何一つなかった。ヴィックス城のエントランス並みに高い天井に、七色のステンドグラスがとても神々しい。飾られた石像や絵画を見たところで価値なんざ分からないが、一級品なんだろうなという感想は俺でも抱いてしまう。
「パパ、女の人の裸の像だね」
「そうだな……でも、ママの方が美人だな」
「ママ、綺麗だもんねー」
裸婦像を眺めながら、家族で談笑する。
なに言ってるの、恥ずかしい。そう言いながら赤らんだ顔のフェスカがまた可愛いんだ。
両手に華の状態で美術館を見て周る……うん、マーニャの教育にこういうのも悪くはないな。
「あら、サバスさん」
宝石が散りばめられた使いにくそうな剣を眺めていると、ふいに声を掛けられた。
透けたショールを肩にかけ、質感の良さそうな薄手のドレスを着込む。
優し気な笑みを浮かべ、白手を付けた手を振りながらこちらへと近づいてくる女性。
俺達よりも若干年上に見える彼女は、身恰好からして裕福さが伝わってくる感じだ。
しかし俺に見覚えはない、視線を見るにフェスカのお知り合いだろうか?
「アルベールさんの奥様、先日は御馳走様でした」
「いえいえ、マーニャちゃんが喜ぶ顔が見たくて、私が勝手に用意したものですから。あら、今日は旦那様もご一緒なのね」
微笑みながら俺の手を取ると、見上げながら彼女は自身の名を告げた。
「急に声を掛けてごめんなさい。私、アックス・Y・アルベールの妻、レリカと申します」
「アックス・Y・アルベール……第二白銀騎士団団長の奥様でございますか!?」
静謐な美術館だと言うのに思わず声を荒げてしまった。
頭の中に「はっはっはっ」と笑う騎士団長の顔が思い浮かんだが、まさか。
プラチナの髪色は綺麗にセットされ、優し気な青の瞳を細めたレリカさんは、ふふっと白い歯を見せながら笑みを浮かべる。騎士職ということは貴族の一員だ、その品格に違わない立ち居振る舞いは、まさに見事と言った所か。
「そんなかしこまらないで、私達もうお友達みたいなものなんだから」
「ねー」というレリカさんと共に、マーニャも「ねー」と楽し気に首をかしげる。
一体いつの間に団長の奥様と仲良くなってたんだ……全然気づかなかった。
「フェスカさん、また一緒にお茶会しましょうね。旦那様……特例試験、頑張って下さいね」
グッと拳を作りながらレリカさんは言うと、少し離れた女性の集いへと消えていった。
あれは貴族の集会なのだろうか? それを抜けてまでわざわざ挨拶に来たってことか?
「……フェスカ」
「なぁに?」
「ああいう人との付き合いがあるなら、俺にも教えておいてくれると助かるんだが……」
「あら? 言わなかったかしら?」
きょとんとした愛妻の顔を見る限り、もしかしたらどこかのタイミングで言っていたのかもしれない。
……ダメだ、全然思い出せない。
もっとしっかりと、愛妻の話を聞かないとだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます