第11話 宿屋
ギルドから宿へ向かう帰路、俺達の懐は昼に比べて随分暖かくなっていた。
ギルドもまさかホブゴブリンがいるとは思っておらず報酬の上乗せがあり、さらにホブゴブリンの魔石がゴブリンの倍以上の値段で売れたのだ。
そんな事を考えながらも、ギルドでポルトの伝言を受け取ったアルがフラフラ歩いてゆくのを追う。
「えっと……たしかここだったはずだ。『渡り鳥の羽休め』」
着いたのは、お屋敷を思わせるような大きな建物であった。
しかし外観がボロいと感じてしまうのは、日本の価値観がまだ残っているからだろう。
中は賑わっているようで、大きく開放された入口からは明かりと人の声が溢れていた。
早速入ろうとすると、ガタイのいい門番がギョッとした様子で止めてくる。
「待ってくれ! その魔獣は入れられない」
「でも暴れないよ?」
「いくら安全だとしても、体がでかすぎるだろ……。 厩舎に案内するから着いてきてくれ」
それを聞いてショックを受けたのは、他ならないムアだ。
口をあんぐり開けてガーンと効果音がつきそうな顔に、門番も申し訳なさそうに頭をかいた。
「そんな顔するなよ……。 つーか言葉分かるんだな」
「そうだよ、うちの子頭いいからね。 だからワンチャンいけるかと思ったけど、やっぱり厳しいかー」
「この巨体だと、他の客も怖がっちまうだろうしな。 ……で、これは何をしてるんだ?」
俺と門番が話している間に、ムア真っ白な霧に包まれて姿を隠していた。
駄々っ子をあやそうと手を伸ばすと、手は霧の中を空ぶってしまう。
「あら?」
おかしいな、ここら辺に頭があるはずなんだけど……。
しばらく手探りでムアを探していると、霧がシュルシュルと引っ込んで、ちっこくなったムアに吸い込まれていった。
出会った頃を思い出させる、柴犬サイズのムアである。
「ワウッ!」
ムアは門番に「これならどうだ!」と言わんばかりにひと鳴きして見せた。
「という事みたいなんだけど……、どうでしょうか」
何が「ということ」なのかは俺自身よく分からないが、この健気で愛らしい姿で許して欲しい。
「あー……、女将さんに聞いてくるわ」
上目遣いで見上げるムアに屈した門番は、「待ってろ」と言い残して宿に引っ込むと、女将と思しき女性を連れて出てきた。
「女将さん、この魔獣なんですけど……」
「まぁまぁまぁ、可愛いねぇ! この子あんたの子かい?」
エプロン姿のふくよかな女将は、ムアの前にしゃがみ込むと顔を覗き込んだ。
「物壊したり、毛を散らしたりとかはしない子なんで、一緒に泊まれないかなと思いまして」
「いいよ。 ただし予め言っとくけど、万が一物を壊したりしたら弁償して貰うのと、他のお客さんとのイザコザは責任取らないからね」
「分かってます。 ありがとうございます」
抑えるべき点を説明してくれる辺り、むしろしっかりしている印象を受ける。
当然文句など無い。
「俺達ポルトって奴のツレなんだけど、ここで合ってるかな。 俺はアルで、こいつはアギトだ」
「はいはい、聞いてるよ。 案内するわね」
なるほど、あらかじめこっちも名乗っておく事で、宿泊客の知人であると示すのか。
学びを得ながらも2階の一室に案内される。
ゴンゴンとノックしたアルが呼ぶと、中からは着替えたポルトが出てきた。
「おつかれさん。 商売の方はどうだ?」
「上々だ。 明後日には全部仕上がるそうだよ。 そっちはどうだった?」
俺とアルがズッシリ膨らんだ巾着を懐から出して見せると、ポルトの目が見開かれる。
「初心者向けの依頼を選ぶんじゃなかったのかい?」
「初心者向けのゴブリンに行ったら、ホブゴブリンがいたんだよ。 色々面白い話があるから、飯でも食いながら話そうぜ」
荷物の整理を終えた俺達は、1階の食堂で晩飯にすることにした。
「……で、アギトの手がぶった切られたと思ったら、ニョキニョキ生えてきたんだよ」
「本当ですか?」
「まーね。 再生系の固有能力だから、多少の無茶はへっちゃらって訳よ。
あ、マスク取らないと」
牙のマスクを机に置くと、アルとポルトだけでなく周りの客からもチラチラ伺うような視線を感じる。
「……何だよ」
「いや、物騒な格好してる割に大人しそうな顔してんな」
その言葉に、中学生の頃の苦い記憶が思い出される。
「だからこんな格好してんだよ。 ギルドで絡んできたアホ見たでしょ? あんなのが行く先々で沸いてきやがる」
ぶつくさ文句を言っていると、料理が運ばれてくる。
肉と芋、野菜が盛り付けられたワンプレート料理が4人分だ。
1つは言わずもがなムアの分である。
「足りる?」
「ワウ」
普段の巨体を考えるとお腹膨れないのでは?と思ったが、問題は無いらしい。
「んじゃ気を取り直して、いただくとしますか」
「おうよ。 ようやく保存食じゃ無い飯にありつけるぜ」
「最後の2日間はアギトさんとムアのおかげでバイコーンの肉にありつけましたけどね」
それを聞いてふと思い出す。
「そう言えばバイコーンの肉って、ギニンに着いた時まだ余ってたでしょ。 あれ売れた?」
「ええ。 正直なところ、貰いすぎなくらい売れましたよ。 売上に比べるとささやかですが、3日分の宿代は払わせていただきました」
「まじ? あざーす」
「ワウッ!」
「あ、ごめんごめん。 じゃ、食べようか」
椅子にちょこんと座るムアに急かされ、まず芋の炒め物のようなものを頬張る。
「お、美味い」
ホクホクした芋に香辛料と肉汁が染み込んでおり、なかなかに美味い。
試しに野菜も食べてみたところ、こちらも良い塩梅に肉汁に浸されている。
どうやら肉汁を生かす為のワンプレートらしい。
ムアの様子を見れば、霧で肉を押さえつけて丁寧に食べていた。
白い毛並みは霧で守られており、口の周りも綺麗なままだ。
何より有難いのが、ムアと一緒に食卓に着いても店員が何も言ってこない事である。
一応椅子の上に布を引いてはいるものの、流石に文句言われるかなと思ったのだが、周囲からの視線は暖かい。
「この宿は当たりだな」
「宿を探すのにはコツがいるんですよ」
「ならバイコーンの売上で余った分は、手数料に当ててくれい」
「そう言って頂けると嬉しいですね。 世の中には知識を軽んじる人もいますから」
しばらく食事を楽しんでいると、隣のテーブルのほろ酔い気味のオッサンが声をかけてきた。
「兄ちゃん、その魔獣あんたの使い魔かい? 可愛いなぁ」
「そ、ムアってんだよ」
おっさんは鞄から干し肉を取り出すと、ムアの前に差し出した。
「食わせていいか?」
「ムアの気分次第かな」
ムアは少し匂いを嗅ぐと、霧で包んで丁寧に食いちぎって食べた。
「おぉ、食った!」
楽しそうに笑うおっさんにつられて、他の客もなんだなんだと輪に加わる。
気が付けば俺達を中心に、各々が交流を深めていた。
「変な奴以外も案外寄ってくるみたいだよ、ライゼン」
テーブルに置かれた呪いのマスクは、牙を剥き出しにして笑うのであった。
●●●●
「ふぅ……食った食った」
「これって宿代に含まれてるんだよね?」
「えぇ。 メニューは限られますけど、十分に楽しめましたね」
部屋に戻った俺達は、終身の準備を始めていた。
ポルトとアルは荷物を一纏めにして扉から離れた場所に置いている。
強盗が来た時に窓から逃げる為らしい。
分かってはいたが、日本とは比べ物にならないくらい治安が悪いなぁ。
一方の俺は、荷物はムアの霧に吸い込んで貰えれば盗難対策もバッチリだ。
「便利な能力だな」
「その力を使って行商をしたら儲かるのでは?」
と二人に言われてしまったが、小遣い稼ぎで物を売るならともかく、行商人になる予定は無い。
コートを脱いでムアに預けようとした時に、ふと汚れが気になった。
「ちょっと窓開けていい?」
「構いませんが」
「センキュー」
街の明かりがチラホラ灯る景色に手を翳すと、意識を集中させる。
魔法で空気中の水を拳くらいの大きさに集めると、そいつに流れを作ってコートに押し当て洗濯するのだ。
洗濯を終えたら、汚れた水を気体に戻して街に放り、今度は全身を覆うくらいの水球を発生させる。
それを適度に温めると、服ごと全身にまとわりつかせて汗や垢などの汚れを取る。
言ってしまえば、即席のお風呂だ。
ムアにも別で水球を作り、全身を満遍なく洗ってやる。
でもこいつ全く体汚れて無いんだよなぁ。
恐らく霧で汚れを浮かしているから必要無いんだろうが、俺がやっているから一緒にやりたいのだろう。
汚れた水は再び気体にして風に流す。
ギニンに住む名も知らぬ民よ、俺は君達の1部となる。
そんなキモイ事を考えていると、ポルトとアルがそれぞれ銅貨を5枚づつ差し出してきた。
「もしよろしければ、私達にもそれをやって頂けませんか?」
「いいけど別に金は取らんよ? ここに来るまでかなりお世話になってるし。
ただ、相場だけ教えて欲しい」
ポルトは困った顔をした。
「このような体の洗い方は初めて見ましたが……、宿にタオルと桶を用意するのを頼むと、鉄貨5枚かかります」
「ほう」
記憶が正しければ、地球の銭湯は500円くらいだ。
それを考慮すると、ポルトとアルは妥当な値段を払おうとしてくれてたのではなかろうか。
今更ながら、ライゼンから離れて初めて会ったのが彼らで本当によかった。
感謝を込めて魔法を丁寧に行使する。
「布団も洗っとこうか?」
「いいのか? 助かるよ」
水を作り直して3人分の布団も洗濯。
ついでに部屋の床もざっと洗えば、見違える程綺麗になった。
心做しか空気も気持ちよく感じる。
「宿の人になんか言われるかな」
「言われるとしても文句は出ねぇだろうよ」
「だね。 そろそろ寝ようぜい」
消灯して布団に潜り込もうとすると、ムアが俺の上に乗っかって霧で全身を包み込んできた。
「あ、俺の睡眠スタイルこんな感じだから…」
言い終える前に視界は真っ白な霧に覆われてしまった。
彼らに俺の安否は伝えられただろうか。
「ムアの霧って声通すの?」
「ワウワウ」
何て言ってるかは分からないが、通さないと信じよう。
そもそも、部屋の明かりは消したはずなのに霧が白いのが分かるし、不思議能力として今は流そう。
「ちっちゃいムア久しぶりだね」
俺の胸の上のムアは、この世界に来て間も無い頃を思い出す大きさだ。
一月経たずに抱き枕サイズになり、いつの間にやら布団と化していた。
「ワウー」
撫でろと抗議するムアをワシワシと撫でくりまわす。
相変わらずサラサラで綺麗な毛並みだ。
しばらく撫で、肉球を楽しんだら思いっきり抱きしめて目を閉じる。
「明日も仕事探すからもう寝るよ」
「ワフ……」
雲のような景色の中で、俺とムアは眠りについたのだった。
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