第2話 現状打破

 どうしようも無い現実を認めたはいいが、まずは足元の馬の化け物をどうにかせねばならん。


 しかしながら、最初はスライム辺りの雑魚と戦いたかった。


 こちとら異世界に来たものの、神様に力を授けられたわけでも、秘めた力を求めて召喚された訳でもないのだから。


 だが鼻息は悪臭と共に現実を突きつけてくる。


 追い払おうにも、投げる石が木の上にある訳も無く……


「やむおえん。 恨むなよっと」


 腕程の太さの枝をメキメキ折り、何とか獲物ゲットである。


 長さは十分。


 強度は不安。


 ならば狙うは目だ。


 届きもしない木の枝に熱心に首を伸ばし続けるあの馬面は、幸いにして馬鹿らしい。


 恐る恐る低い幹に降りると、バイコーンはちょっと頑張れば届くと考えたようだ。


 後ろ足だけで立ち上がり、首を伸ばしてくる。


「おぅらっ!」


 ヨタヨタと立つ格好の的に枝を突き立てる。


 ギィバァァァァァァ


 野太く汚い嘶きを上げて、転倒するバイコーン。


 地面でのたうち回るバイコーンの目から、少しづつ枝が抜けかけてるのを見て、迷ったのは一瞬であった。


 急いで飛び降りると、枝を引っつかみ更に深く押し込んでいく。


 目指すは脳だ。


 しかし、バイコーンもただでは終わらなかった。


 バルルルルルッ!


 何かが煌めいたと同時に、左肩に強い衝撃が走る。


「いってぇ!」


 反射的に叫ぶが、その後にズキズキとした本当の痛みが襲ってきた。


 上半身の左側の何処かを動かすだけで、痛みと猛烈な気だるさを覚える。


 あまりの痛みに杖のように体重をかけてしまったのがいけなかったのか、枝が付け根で折れてしまった。


 しかし、不思議な事にそれが怒りのトリガーになったらしい。


「てめ、大人しく死んどけや」


 最早大声を出すのも左肩に響くため、悪態をつきながら、枝を足蹴にしてさらに深くねじ込む。


 ある程度の深さまで突き刺したところで、不意にズルんと滑るように枝が沈み、バイコーンは痙攣して動かなくなった。


「あークソいてー……」


 傷口を手で抑えると、ぬるりとした血液の中で、筋繊維のような束を感じられた。


 慌てて思考をストップする。


 きっと今、傷口を正確に確認したら歩けなくなる。


 ただでさえ僅かに膝が笑ってしまっている状態だ。


 爆笑でもされたら、待っているのは死だろう。


 トロトロと足を動かして進む。


 先程見た景色の通りであれば、あの道を通ってゆけば人の住む場所に出られるはずだ。


 しかし、現実は無常であった。


 再び蹄の音が近ずいて来たのだ。


「そうですよね、馬ですもんね。 群れで行動するんですかね。 分かります、クソが」


 重たい体に鞭を打ち、腹から息を吐いて再び走り出す。


 その間にも、蹄の音はどんどん大きくなってくる。


 走りながら振り返れば、チョロッと走る真っ白な影が見えた。


 目眩で見間違えたかと思ったが、どうやら現実に存在しているらしい。


 そこに見えたのは、白くてモフモフの長い何かであった。


 何だろう、動物……狐か何かかな?


 あぁ、よく見れば、中型犬程の大きさの白いキツネのような生き物だ。


 体の倍ほど長いフワフワの尻尾がユラユラ揺れている。


 あれで注意を引いてしまっているのでは無かろうか。


 どうやらバイコーンは自分を狙っている訳では無いらしい。


 ならば……


 腕の痛みを無視して、再び手頃な木の上に避難する。


 安全を確保してバイコーンを確認すれば、なんと群れで追いかけてきていた。


「あんなちっこい獣、絶対カロリーに見合ってないだろうが。 やっぱ馬鹿だな」


 逃げ惑う白い狐っぽいのを見れば、徐々にであるが距離を縮められている。


 よく見れば、その獣の顔が思いのほか幼い事に気がついた。


「まだ子供なのか」


 これでは囮にするのに心苦しいでは無いか。


 かと言って今の怪我で手を差し伸べれば、ミイラ取りになりかねない。


 ならばと、首のマフラーを輪っかにしてぶら下げる。


 後は、あの小狐がこのマフラーの意図に気付くかどうか……


「こっちおいで 俺は食べないよ」


 ユラユラ揺れるマフラーに気付いた小狐は俺の顔を見あげると、間髪入れずマフラーに飛びついた。


  だが見間違いか?


 あの子狐、空を踏んで跳躍したように見えたが。


 スルスルとマフラーを引き上げると、まるでハンモックのようにぶら下がっていた小狐はぴょんと俺の胸に飛び込んで来た。


「よしよし、怖かったろう」


 抱いて受け止めると、小狐はじっと顔を見あげてくる。


 感謝でもされてるのだろうか。


 と思ったつかの間、突然腕の中でジタバタぴょんぴょんし始めたでは無いか。


「ちょ、バカ死ぬ気か? てか俺も落ちるからやめろ! 出会った直後に無理心中か? 太宰も裾まくって逃げ出すぞ」


 まだまだ元気な小狐をマフラーで包んで捕獲し、しばらく抑えているとようやく大人しくなった。


 それでも、ぴょっこり出した頭は忙しなく周囲を見回しているのだが。


 まだ小学校低学年の従兄弟の面倒を見た時『その歳で自殺願望がおありで?』と問いたくなるほど命知らずに駆け回っていたが、こいつも同じだろうか。


 そんな馬鹿な事を考えていると、体が勝手にぐらりと傾いた。


「おっとぉ?」


 原因は直ぐに分かった。


 血を流しすぎたのだ。


 今も尚止まることなく左手から滴り続ける血液は、まるで砂時計のように残り時間を示している。


 今出来る事と言えば、先程のように枝で目潰しをする他無さそうだ。


 それで全てのバイコーンの視界を奪って逃走。


 その先に何があるのかは知りすらしないが、何もしないよりはましであろう。


「その馬鹿顔そろえて待ってろよ。 ビリヤードしてやんよ」


 木の枝に手を伸ばした時である。


 ゴウッ


 木の下を巨大な何かが横切り、乗っていた幹が揺れる。


「おととと……おいチビッコ危ないぞ」


 足を滑らせた小狐を抱き上げると、今度は大人しく捕まり、腕の中で縮こまってくれた。


「大丈夫大丈夫……」


 小狐に言ったのか、それとも自分に言ったのか。


 気付けば手が震えていた。


 独り言で軽口を叩き続けてはいたものの、色々あり過ぎて精神が限界に近かったのだ。


 特に左肩の怪我の実感。


 あれにごっそり心の余裕を削られた。


 小狐の体を強く抱きしめる。


「ふふ……やべぇかな……」


 フカフカの毛に沈めてもなお、指先が冷えてきた。


 もはや体温を維持する力も残っていないらしい。


 死を意識し始めたその時、木の下から声が聞こえた気がした。


「  ……」


「……なんて?」


 重たい体を傾けて下を見やる。


「……っ!? ………!!」


 木の根元で見上げていたのは、簡素な服を羽織った老人であった。


 手招きしているのを見るに、どうやら降りてこいと言っているらしい。


「……おりるってか、落ちるしかできなさそうなんですが……」


 どの道このままでは息絶える未来しか見えない。


 ならば、


「……助かるといいなぁ」


 小狐を強く抱き締めて、幹からずり落ちる。


 備えていた衝撃は……襲ってこなかった。


 恐る恐る目を開くと、長い髪を後ろに下げた老人が心配そうな、それでいて穏やかな目で見下ろしていた。


 どうやらこの老人が受け止めてくれたらしい。


「………こいつは、危険じゃないです」


 マフラーを解いて顔を覗かせた小狐は元気そうだ。


「あ、あざす」


 思い出して礼を言うと、老人は首を横に振る。


「……、 ……!」


 駄目だ、頭がクラクラして何を言ってるのか分から…


「おい、後ろ」


 ハッと意識が冷めた。


 老人の言葉を遮って体を強引に起き上がらせる。


 闇の中から再び、あの蹄の音が聞こえてきたのだ。


 錆びたブリキのような足で腰を浮かし、弓なりに曲がった背を力任せに伸ばす。


 この衝動は、恐怖か、怒りか、それとも……


 光の無い水の中にいるような頭で、考えては消えて。


 肉体が限界に迫る中で、だからこそ自分の中に別の『力』がある事に気付いた。


 モヤモヤして体に纏わりつくそれを自分の中に吸い取ると、胸の奥深くに力の源が出来た。


 左肩を強烈な熱さと痒みが襲うが気にしてはいられない。


 更にもう1つ、腕や足、胴の芯の部分にある水飴のような粘り気のある力強い何か。


 これを柔らかく溶かして早く回し、血液の代わりに。


 朦朧とする意識の中で、バイコーンの一挙一動だけがクリアに見える。


 前足を上げる瞬間、木偶の坊になったそれに、全身を鞭のようにしならせて飛びかかる。


 大きな馬面に肉薄すると、指先に感じる重さの波を逃がさぬよう拳で固め、そのまま振り抜く。


 反応すら間に合わず、頭蓋ごと頭をくり抜かれたバイコーンは大きな音を立てて倒れると、そのまま動かなくなった。


「よっしゃぁ?」


 拳を掲げようとすると、膝がカクンッと折れ視界が暗転する。


「なんと無茶苦茶な……」


 意識が落ちる直前にそんな声を聞いた気がした。

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