あかい
さちり
ねつをもった赤
自分は普通ではないと思うけれど、普通じゃないことを喜んでいる自分がいる気がする。それってTHE・思春期って感じがして、なんかヤだから、やっぱり普通の女子中学生だってことにする。
私の中学生活の基本はこんなだった。
だから、なんか拗れちゃったのかもしれない。
でも、結局は普通じゃないんだろうなって気がして、小雪に普通じゃない目線を向ける。
私の右斜め前に座る小雪は、とてもかわいい。人見知りであまり人と話さないから目立っていないけれど、真っ白で、大きな目がとろんと垂れていて、白くまの赤ちゃんみたいな女の子。仲良くなった始めの頃はあまりにもかわいいからベタベタ触っちゃったりしてた。
でも、今はしない。私の想いはだんだんと熱を帯びてきて、白くまなんて一瞬で溶かしてしまう。小雪がじゅんって溶けていなくなってしまったら、私はどうしたらいいのだろうか? だからと言って知らない他の誰かが小雪に触れるのも耐えられない。溶かすなら私がいい。
「……美由ちゃん、聞いてる?」
「え? あ、ごめん。聞いてなかった」
「どうしたの? 具合悪いの?」
「あー、うん、なんか頭痛くて」
「大変! 顔赤いし、熱あるのかも!」
小雪はそう言うと、慌てて私のおでこに白い腕を伸ばした。頭が痛いというのは咄嗟に出た嘘であったが、小雪の冷たい手のひらがあまりにも気持ちよくて、本当に熱が出ていたのかもしれないと考える。
そのとき思ったのだ。私はレズビアンで、小雪が好きなんじゃないかなって。
思い返すと、小学校のときに隣の若い男の先生がカッコいいって話にまったくついていけず、むしろ自分のクラスの優しい銀縁フレームの眼鏡をかけた担任の女の先生が好きだったけど言えなかったなんてことがあった。
そんなふうな一応根拠とも言える思い出があり、本格的に悩み始めるも、結局よく分からなかった。
たしかに小雪のことは大好きで、いつでも一緒にいたくて、実は独り占めしたくて。でもハグとかキスとか、その先が欲しいとは思わなかった。
そんなふわふわとした考えだったから、これも、思春期だった、若かったって振り返るものなんだろうなと思ってた。
「小雪ちゃん、おはよう」
「あ。あー、おはよう。チャイムで起きられると思ったんだけど」
「今日は早く終わったんだよ」
「うんー。起こしてくれてありがとう。次体育だよね」
そう言って小雪が立ち上がったのを確認して、私も体操着の準備をしようとして。
あ。
私は伸びをしている小雪のもとに小走りで戻り、耳元でささやく。
「小雪、血ついてる」
「えっ」
小雪はスカートのおしりのあたりをおさえて、素早く椅子を確認した。そこにはぽつりぽつりと血がついてしまっていた。
「うそ。来るのまだだと思ってたのに。予定日に来てよーもう最悪」
「でもどうせ着替えるから」
「あー、もう全部いや。なんかお腹痛くなってきた気がした」
「休んじゃえば? 体育休んで、そのまま早退しちゃえ」
「そうする」
サボりなんてしないいつも真面目な小雪がこんなに弱るとは。私は途端に彼女のことが心配になって、保健室まで着いて行くと言った。
しかし小雪は「このくらい大丈夫。ぶっちゃけサボりだから」とひとりで行くと言い張り、わたしは教室に取り残された。今から急いでも遅刻確定だ。気にせずのんびり行こう。
私はひとりで更衣室でノロノロと体操着に着替えながらため息をついた。
生理ってなんであるんだろう。血をたくさん吐き出して、お腹を痛めて、気分もよくなくて、いいことなんてひとつもない。せめて選ばせてくれればいいのに。たった10歳かそこらで子どもができる体になるなんて気持ち悪い。昔は結婚とか出産も早かったらしいけれど、現代の日本では時代遅れだ。
それに、自分に子どもだなんて、想像ができない。好きな男の子はできたことがない私でも、ウェディングドレスに憧れて、自分の真っ白なドレス姿を想像したことはある。でも自分が分娩台にのっている姿は想像できないし、したこともなかった。理想のファーストキスは考えたことがあるけれど、理想の破瓜は考えたことはなかった。
小雪も。
小雪もいつか……。
あの白い肌を真っ赤に高揚させて大好きだと言うのだろうか。ゲームの攻略を調べているとたまに見かける過激な広告のように、乱れるのだろうか。
と、そんな変なことを考えている自分に気がついて、思考を振り払うように頭を振った。友達のこんな姿を考えるなんて、我ながら気持ち悪すぎる。健全な心身には運動が必要だと体育館へ走り出す。
ただひとつ明らかなのは、私は小雪のそんなかわいい姿を一生見られないということだった。
その夜、私は夢を見た。
こんなふうに言うといつもは夢を見ないみたいだけど、その夜の夢はいつもの不思議な世界での意味不明な出来事みたいなものじゃなかったから、改めてそう言わせてほしい。
私は奇妙な――それでいてとてもリアリティのある夢を見た。
私は、いや、それは永山美由ではなかった。
その誰かの視点で、ただ小雪を見るだけの夢だった。
小雪は頬を紅潮させて、吐息を漏れさせながら、とても気持ちよさそうに、それでいて苦しそうに笑っていた。いつも私に向けてくれる笑顔じゃない。でも小雪が楽しんでいるのはなぜか分かった。
保健体育で学んだよりは情緒的に、でもあの広告よりは理性的に小雪は乱れていた。
「あっ」
私はぱちりと目を覚ます。なんだか頭が重い。いつもならどんな悩み事に頭を抱えていても一晩眠ればスッキリとしていたのに。寝起き特有のモヤがかかった感じではない、曇天のようなどんよりさが私の気分を悪くしていた。
時計を確認すると目覚まし時計が鳴るニ時間も前だった。私は二度寝ができる!と喜んでもう一度目を閉じるも、頭の まったく寝付けなかった。寝付けないから考えるのか、考え続けるから寝付けないのか。ベッドの中で意識が落ちるのを待つだけの時間は何もすることがなくて、また嫌なことを考えてしまう。今もそうだ。自分の中の汚い欲望が現れたみたいな夢の内容を考えたくなくて、他のことを考えようとする。
でも、できなかった。私の世界には小雪しかいないのだ。
「おはよー。……あれ? なんか元気ない?」
「うん。よく寝れなくて」
「え? あ、たしかにくまができてる……。珍しいね。具合悪かった?」
小雪の「心配だ」と気遣ってくれる視線から、私は逃げてしまう。その原因が小雪の夢をみたからなんて、ましてやその内容だなんて言えないに決まってる。
「自分でもよく分かってないんだけど、今は元気だから大丈夫」
半ば言い訳のような言葉を使って、小雪の気遣いをシャットアウトする。申し訳ないと思いつつも、これ以外のやり方が分からなかった。
いつもなら授業中にウトウトしているのは小雪の担当なのに、今日は小雪以上に眠ってしまった。数学の時間に「珍しいな」と先生に驚かれたあとに、なぜか得意げな小雪が「珍しいな」と真似して笑った。小雪のウトウトだって平常運転だったのに。
そして私はその夜、また悪夢を見た。
前の夢と同じく、小雪が笑っていた。
次の日も、次の日も、その次の日も。
同じように小雪が見たこともない顔で笑っていた。
幸いだったのは、学校では悪夢を見ないことだった。でも授業中は寝たくなかったので、休み時間を全て睡眠に捧げた。そんな生活を1週間続けたら、いつのまにか小雪と話す時間が激減してしまった。
優しい小雪は何回も私を気遣う言葉を言った。相談にのるとも言ってくれた。しかし、「原因はあなたです」なんて言えるわけがない。私は、今日も大丈夫だよ、と首を振った。
それでも私のそばに居ようとしてくれる小雪が本当に申し訳なくて、だんだん小雪を避けるようになっていた。でもこれは言い訳かもしれない。正直小雪と一緒にいるのが辛かった。毎晩悩まれ続ける悪夢の元凶を断とうとするのは当然であろう。
もっと言うと、こんな気持ち悪い存在が小雪の近くにいることが耐えられなかった。だから、小雪が他のクラスメイトの子と談笑しているのを見て、ホッとした。
それ以上に悔しかった。なんでこんなことに振り回されているんだろう。自分の脳はおかしくなってしまったのかもしれない。医者に行って診察してもらおうかな。そうしたら小雪の友達に戻れるだろうか。
そもそも何がいけないのだろうか。自分はただ小雪が大好きなだけなのに。もし、自分が男だったら、この汚い欲望は正当なものとされるのだろうか。一生小雪の隣に居られるのだろうか。私は一生小雪の隣には居られないのだろうか。それはなぜなのだろうか。
私は、何なのだろうか。
その瞬間、視界がぼやけて、X軸とY軸がめちゃめちゃになる。あれ、違う。私がいるのは3次元だから、あとZ軸があるはずで。
わけもわからず倒れ込む。遠くで小雪の声がする。ああ、また悪夢が始まる――。
「あれ」
「あ! 美由ちゃん起きた!」
真っ白なシーツと布団に挟まれて、自分が保健室にいることを悟った。高校入学8ヶ月目にして、初保健室だ。
どうして保健室にいるんだっけな、と記憶を巡らせる。たしか廊下で気分が悪くなって、でも気を失うとかじゃなくて、自分の足で保健室まで歩いてきた気がする。
すると小雪の声を聞いた保健室の先生がカーテンを開けてこちらを覗き込む。
「軽く貧血起こしちゃったみたい。沢村さんがここまで運んできてくれたの」
「運んだっていうか、支えて歩いてきただけですよ。でもがんばりました」
小雪はそう言って力こぶをつくってみせる。あんな白い細い腕で?と疑問に思ったが、それは小雪も同じらしく、友情パワーかなと笑ってみせた。
「ちょっとだけ席外していい?」
「はい、美由ちゃんのことは任せてください」
先生がいなくなり、部屋で2人きりになる。
「小雪」
私が名前を呼ぶと、小雪は「なあに?」と優しく応えてくれる。
こんなに。
こんなに優しくてかわいくて頼もしくて。
そんな女の子を。
私は。
自分のことが許せないけれど、もう止められなかった。
「好き」
声が震える。泣いてることはバレバレだったけれど、それでも隠したくて、布団を頭から被る。
「好き、好き、好き。大好き。大好きなの」
「うん」
小雪は優しく頭を撫でてくれた。伝わっていない。それとも伝わった上で優しく接してくれているのだろうか。
私はそのあともずっと「好き」と小雪に言い続けた。小雪もずっと撫でてくれた。
ああ。
私が小雪に愛してると言っても、わたしも愛してるよって返されるだけだろう。
私が小雪を抱きしめても、優しく抱きしめ返されるだけだろう。
私が小雪を押し倒しても、ただ添い寝をしてくれるだけだろう。
伝わらない。
どうしたって伝わらない。
せめてもと小雪の手を握る。小雪は何も言わずに握り返してくれた。それがとても暖かくて。
そうなのだ。小雪は、こういう女の子なのだ。
手のひらの温もりと保健室の綺麗なベッドが私の意識をゆっくりと掠め取っていく。
そして、私は久しぶりに夢を見なかった。
あかい さちり @sachiri22
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