私が大好きな小説家に殺されるまで

冬場蚕〈とうば かいこ〉

私が大好きな小説家に殺されるまで

『憧れの相手が見る影もなく落ちぶれていくのを見て、目を瞑るのが愛情で、目を開くのが信仰だと思っていた。だから私は、先生から目を背けました。』

 洒落た言い回しだと思った。当然だ。この文言は私が生み出したものなのだから。

 この小説を読んだとき、顔も知らない誰かに骨の一本一本まで視姦されているような恐怖と心地よさがあった。タイトルが『私が大好きな小説家に殺されるまで』というのも、その感覚を大きくした。

 昔、ある大手の小説投稿サイトで開催された、小さなコンテストに応募された作品だ。もちろんフィクションだし、この作内のSという小説家と、私には何の関わりもない。しかし、どこかで歯車がずれていたら、きっと私もSのようになっていただろうと思った。

 当時は怖いもの見たさで読んだだけだった。仕事を言い訳にして、周囲から読まない方がいいと釘を刺されていたのにも拘わらず、私は一文目を読んでしまった。そこから取り憑かれた。ネットの小説なんて、いつ消されるのか分からない。作者本人が消す意志を持っていなくても、サイトの運営が、コンテストの審査員である私の小説を模倣した作品を、いつまでも放って置くとは思えない。

 そしてこの作者Tはきっと、消す意志を抱えている。

 彼(あるいは彼女)がこの小説をあまり良く思ってないことは分かっていた。

『正直に申し上げます。この小説は、選考委員であるS先生を題材にして書きました。あまり褒められた行為でないことは重々承知です。もしご本人様が気分を害されたようでしたら私はこの作品を削除いたします。どのような手段でも構いませんので、その際はご一報ください。』

 だからもう、読まざるを得なかった。編集からも読まない方がいいと止められていたけれど、いつ消されるか分からない、短命なこの作品を生かしてやれるのは、他の誰でもない私しかいないのだ。

 最後まで読んで、また始めに戻って、また最後まで読む。その繰り返し。フィクションというヴェールで包まれた、あり得たかもしれない私の人生に何度も目を通しては、骨肉に刻み込むんだ。いつかこうならないように、いつかこうなってもいいように……

 そして、そのいつかの今、私はまたTの小説を読んでいる。彼女が作家としてデビューしてすぐ、ネットからは消されてしまったが、私は本人からコピーしたものをもらっていた。既に作家として死んだ私に、彼女は未だ期待を寄せ続けてくれている。その期待で芽生えさせられた幻想を打ち消すように、一刻も早く人間としての自分に見切りをつけられるように、小説家として死ねるように、私は繰り返し繰り返し読み続けている。あの日の反省会をするように繰り返し繰り返し繰り返し……


      *


 憧れの相手が見る影もなく落ちぶれていくのを見て、目を瞑るのが愛情で、目を開くのが信仰だと思っていた。だから私は、先生から目を背けました。

 先生の作品が酷評されていたときも、人気作家の作品の盗作疑惑が浮上したときも、そしてそれが真実だと露呈したときも、私は、私の中に作り出した、S先生の理想像を盲いた眼でなぞっていました。

 今でも考えてしまいます。あのとき、先生と出会わなければ、出会ってもただのファンとして交流を終えていれば、終えていなくても小説家なんて目指さなければ、目指しても小説家になんてならなければ。

 いくつもの無意味な可能性は幽霊みたいに私の脳みそに張り付いています。

 小説家になっても先生を追い越すことがなければ、先生は今でも小説家として、私の神様として、生きていてくれたかもしれない。追い越していても――

 ねえ、先生。小説家というのは難儀な生き方ですね。自分の才能をどのように誇示したところで、一度死んでしまってはもう取り合えってもらえないのですから。それまでと変わらない作品をいくつ生み出したところで、先生がそうされたように、彼らはきっと酷評するでしょう。あるいは、名だたる文豪のように、本当に死んでしまえば、認めてもらえるのかもしれません。死ななくては幽霊のように扱われ、死んで初めて存在が許されるなんて、皮肉なことです。

 それでも、中には幽霊の才能を見つけることのできる人間もいるものです。コンテストの審査員に先生の名前を見たとき、運営会社にどれほど感謝したことでしょう。先生を殺さないでくれて、日向に連れ出してくれて、ありがとうございます。先生を殺した私がこんなこと、お門違いかもしれませんが。

 この小説を書いているのは贖罪です。なぜ先生が世間に殺されることになったのか、その原因は何だったのか、それを知ってほしいからです。

 もちろん分かっています。大手投稿サイトとはいえ、自主企画のコンテスト。私が投稿したとしても大した影響力はありません。それでも私は、過去の自分と、これからの先生への贖罪として、こうして形に残さなくてはならない。それだけが、あのときの私たちに報いる方法だと思っています。

 出会ったときのこと、先生はまだ覚えてくれているでしょうか。私はずっと覚えています。それだけを頼りにここまで生きてきたのですから。あの日、あのとき、先生が私にかけてくださった言葉や時間が、今日の私を作っています。

 先生の作品を読むまで、私はただ何者かになりたいだけでした。同時に、どうせ何者にもなれないという諦観もありました。諦観はいずれ希死念慮に行き着きます。私も例にもれず、いつでも死にたがっていました。中学高校と生きてこられたのは、ひとえに私に度胸がなかったからです。毎日死んだあとの後悔を指折り数えて、それをよすがに暗い朝を迎えていました。

 でも、高校最後の冬、先生の小説にそれは救われました。いえ、救われるなんて生易しいものではありません。あれは私のそれまでを打ち砕くほどの衝撃でした。先生のたった一冊の小説によって、私は変えられました。それまでまったくイメージしていなかった小説家という生き方が目の前に現れたのです。

 大袈裟だと、笑ってくださって構いません。そうやって鷹揚としている方がずっと先生らしいですから。馬鹿にして下さっても構いません。手に取った作品は、小説家が自殺しようとした少女を助けて、作家として死んでいく話だったのですから。理想の死に方から生き方を決めるなんて、笑い話ではないですか。

 それから私は、大学四年間、先生に私淑して小説を書き続けました。死にたい夜はいくつもありました。でもあのとき先生が見せてくれた理想が、私をどうにか生き永らえさせました。今になって、卒業と同時に死んでいれば良かったと思います。そうしたら大好きな先生を殺すこともなかったはずです。

 でも、同じときを何度繰り返したとしても、私は中高で死ぬことはなく、大学を卒業してもきっと、のうのうと生きているに違いありません。人生をすべて捧げる熱意も、人生を真面目に生きられる熱意も当時の私にはありませんでしたから。

 卒業後、私はバイト先にそのまま就職し、普通の社会人としてあくせく働き、家に帰ると明日のためにすぐに寝る、そんな生活に縛られました。次第に小説を書くことはなくなり、読むことすら減り、ひどいときは文字すらまともに読むことができなくなっていました。

 それを窮屈に感じていたといえば嘘になります。存外、社会人としての生き方も悪くはありませんでした。何度も理想を裏切って、このまま生きてしまってもいいかもしれないと考えました。この時代に大手企業に勤め、定時に上がれて、人間らしい生活をできているだけで幸せなのではないかと、理想の生き方を考えるまでに退化しました。

 でも、かつての夢に手招きされる瞬間というのはどの人生にも存在するのです。私の場合、それは歌であり、詩であり、格言であり、有名人の活躍であり、過去の自分の作品でした。

 新生活にも慣れたころ、私はまた小説を書き始めました。でもすぐに限界を知りました。たった数ヶ月書いていなかっただけなのに、大学時代にはいくつでもあった書きたいことが、まったく思い出せなくなっていたのです。それと同時に、過去の自分の作品すら許せなくなっていました。どの場面を、文章を、言葉を切り取っても気持ちが悪くて仕方がないのです。キャラクターの言葉遣いも、句読点の打ち方も、漢字の開き方も、目に入れるだけで総毛立つような悍ましさを感じたのは初めてでした。

 そうなると突然、すべてがゴミに見えました。今まで夢も追っていた自分も、それによって生み出された文章の集合も、夢に見捨てられた今の自分も、それによって編み出されていく人生という瞬間の積み重ねも、すべて。

 理想の死に方も、理想の生き方も失って、私はただの肉塊に成り下がりました。いえ、もともとそうであったのかもしれません。肥大化させた理想を通して私は、私を人間として自認できていただけなのです。

 死にたいわけでも、生きたいわけでもなく、私は肉塊にふさわしく、徐々に腐っていきました。生活は荒れ、無断欠勤が増え、やがて会社を辞め、会社を辞めてからは加速度的に腐敗が進んでいきました。「もう死んでしまおう」と「まだ死にたくない」だけが存在する思考に、生きたいという言葉は見当たらず、私はただ死んでいないだけでした。

 電気を消しカーテンを閉め切ったボロアパートで、大家と督促状に怯えながらブルーライトを浴びるだけの生活。金の切れ目で死ねることを夢見て、死んだように生きていました。

 先生の講演会を聞きに行ったのは、そんなときでした。私の母校の大学で行われるということで案内が届いたのです。それまで字を読むことすら難しくなっていたのに、S先生の名前だけはなぜか鮮やかに見えました。

 そのとき先生だけが私を救ってくれるのだと、心の底から思いました。それから私は急いで出席希望を出し、久しぶりに風呂に入って、歯を磨いて、洗濯した服と布団で眠りました。講演会が終わったら死のうと、何度目になるか分からない決意を固めて眠りました。

 講演会の内容は正直もう覚えていません。でもそのあとのことはすべて覚えています。私は降壇したS先生を追いかけ、先生を引き留めました。人見知りのくせにそんなことをできた勇気を今でも誇らしく、疎ましく思います。

 先生は嫌な顔一つせず、優しくして下さいました。講演会の感想を聞いてきて、私が答えると鷹揚に微笑んでくださいました。私はひとしきり先生への愛を語ってから、こう切り出しました。

「小説を、読んで下さいませんか」

 先生は訝しげな目をして、先を促すように首をかしげました。

 私はそれから、自分がなぜここに立っているのかを蕩々と語りました。自分を可哀想に見せて、自分の要望を通そうなんて卑怯者のすることです。他人の優しさにつけ込んで、他人を搾取しようなんて、悪人のすることです。でも先生は私とは違って、誠実で、善人でした。だから私の話を慈愛の満ちた目で聞いてくれたし、そのあとには私を慰め、手を取り、小説を読むことを約束してくれた。先生のような有名人が自分のプライベートの連絡先を教えるなんて、あっていいはずないのに。

 三日後に連絡が来ました。メッセージの文章までも洗練されていて、それがとても嬉しかったのを覚えています。

 先生に渡した小説は、私が大学の卒業制作で作ったものでした。先生の作品をベースに、その他、大学時代に読んだ小説や、聴いた曲や、観た絵を取り入れた模倣の極地のような小説でした。

 今になって読み返すと荒削りの構成と稚拙な言い回しが目立ちますが、当時の私にとっては、もちろん先生の作品は除いて、この世に存在するどの小説よりも面白いと確信できるものでした。

 先生のメールでは、まさに私が気にしていた欠陥がすべて詳らかにされていました。それをどのように変えたら改善になるのかまで添えられて。そして、一番最後には、「とっても面白かった。また読みたい」と書かれていました。

 ただの社交辞令だったかもしれないこの一言に、私は狂わされました。以来、私は先生のメールに頻繁に小説を送っては手ほどきを受けました。どのように台詞を配置したら効果的か、どのような情景が感動的か、どのようなキャラクターが魅力的か、想像以上に先生はシステマチックに小説を書く人でした。そこも好きになりました。

 そうして、半年ほど経ったでしょうか。再開した新人賞への応募活動が実を結ぶときがきたのです。これまでの失意も絶望も、すべて報われたと思いました。

 だからその新人賞が、先生が小説家になる前、何度も応募しては一次審査で落とされ、ついには諦めてしまった賞だったことは見ないふりをしました。人間の、小説家の、先生の贋者の私が、そんな賞を獲ってしまうなんて、悲劇ではありませんか。

 そのとき初めて、こんな思いをするなら小説家にならなければ良かったと思ったことを覚えています。それから先、私の作家人生にぶら下がり続ける言葉です。今でも思わない日はありません。


     *


 Tと初めて会ったのは、出版社の会議室だった。Tは『私が大好きな小説家に殺されるまで』で賞を獲ったのだ。私もその席に呼ばれ、そこで初めてTを見た。

 固い椅子に姿勢良く座り、編集とインタビュアーに微笑む姿と、作内にまき散らされていた粘着質な執着心とはまったく繋がらず、そのときは盗作すら疑った。Tという女性はそれほどに小説からかけ離れて見えたのだ。

 投稿サイトに載せるためのインタビューにも無難な回答が続いた。

「今回、コンテストの賞を獲って、どのような気持ちですか?」

「とても光栄に思います。今までの努力が報われてほっとしている反面、本当に自分でいいのかとも思っています」

「昔からS先生の小説は好きだったんですか?」

「高校生のときから大ファンです。だから、こうして先生が審査員のコンテストで賞をいただけたことがとても嬉しいです」

「今後も執筆活動は続ける予定ですか」

「小説家になることが夢なので、きっと一生続けると思います」

 退屈な質問と、退屈な回答。しかし、最後の質問だけ、妙に核心的だった。

「『私が大好きな小説家に殺されるまで』のラスト、本当は違った結末だったという話を聞いたのですが、本当ですか? 本当はSが復帰するところまで書く予定だった、と」

 そこで初めてTが言葉に詰まった。

「……そうですね。本当は作内のS先生に幸せになってほしかったです。でも、きっとS先生ならそうしないと思って変更しました。あの判断は正しかったと思います」

 そのとき、Tはどろどろとした熱をもった瞳で、一瞬だけ私を捉えた。視線に質量がなくて、今日が私の人生最後の日でなくて本当に良かったと思った。真っ直ぐな視線は、それこそ本当に私を刺し殺してしまいそうだったし、きっと今死んだら、彼女の信仰に燃える瞳が鮮やかな走馬灯となるのだと確信できるものだったから。

 でも、ここが死に時だったのかもしれないと今になって思う。まだこのときなら小説家として死ぬことができたはずだった。ここで生を先延ばしにしてしまったせいで、私は人として生きることも、小説家として死ぬこともできなくなったのだ。

 インタビューが終わったあと、Tは細く、怯えるような声で話しかけてきた。

「初めまして、S先生。Tといいます。小説、読まれましたか……?」

「ええ、読みましたよ。とても、面白かったです」

「そう、ですか」

 Tは少し言葉を迷わせ、

「先生はあれを読んで、どう思いましたか」

 今度は私が言葉を迷わせる番だった。

「どうって……」

 気の利いた言葉を探している間に、Tはあの燃えるような目で続けた。

「怖がらせましたか、気持ち悪かったですよね。でも、あれが私の気持ちです。私は、死ぬなら先生に殺されたい。作内のSとTの話は全部フィクションですけど、Tの内面と過去とはすべて私のことそのままです。私、本当に先生のことが好きなんです」

 こんなにも強い好きを、わたしはかつて訊いたことがなかった。

 返答に窮していると、Tはこう言った。

「先生がアドバイスをくださったおかげで賞をいただけたんですよ」

 隣で編集のUさんは目を見開いた。

「Sさん、それ本当ですか?」

「本当ですよね。S先生。結末を変えた方がもっと小説が映えるって捨てアカでメールをくださったじゃないですか」

「Sさん……」

 Uさんの縋るような目を裏切る回答しかできなかった。

「本当ですよ。あんな作品を書ける人間、小説家にしないわけにはいかないじゃないですか。Uさんだってこの子の才能には気づいているでしょう?」

「……それは、そうかもしれませんけど。審査員がそんなこと、不正じゃないですか」

「今の時代、小説家は増えすぎなんです。それなのに、Tさんのように才能のある人間が見過ごされているなんて、そっちの方がよっぽど正しくないですよ」

「Tさんを小説家にして、先生はそれでいいんですか。だってこの人は……」

 UさんはTを睨み付けたまま、しかしその先は続けなかった。

「……もういいです。忠告はしましたからね」

 呆れたように首を振り、会議室を出て行った。

「私のせいでごめんなさい……」

「大丈夫ですよ。あなたが小説家になるために、私も今後協力するからさ。それで、いつか一緒に小説書こうね」

 肩を縮めていたTは、その言葉を聞くと華やかな笑顔を浮かべた。

「はい! 先生に恥じない作品を作り続けますね!」

 そうして私とTの関係が始まってしまった。Tの小説を読んで、その願望をすくい上げていたのに、私はその道を選んでしまった。Uさんが危惧していたことはまったく正しかった。私の作品に感化された人間を、私が手を借して作家にさせるなんて、私を殺す作品を作るようなものだった。

 でもそうなってしまうなら、それで構わないと思っていたのも事実だ。私だってTと同じだ。いつでも理想の死に方だけを考えて生きてきた。小説家Sとして生きられなくなり、人間として生きるくらいなら、小説家のまま死にたかった。いつかの私を殺すため、私は、布石としてTを育てたのだ。

 それなのに――

 私は未だに人として生き続け、Tだけが小説家として生きている。どこで生き間違ったのか、どうしたら正しく死ねるのか、そればかりを考えて、死ねないままでいる。


    *


 S先生との関係のピークは、私が小説家になりたてだったときかもしれません。このときはまだ、先生が私を恨むことも、劣等感に苛まれることも、私が先生への感情に戸惑うことも、自身に失望することもなく、ただの小説家仲間としての関係を結んでいました。先生がスランプに陥るそのときまで。

 五年目の新作があらゆる文芸誌で批評され、先生はそのとき自身のスランプを自覚したかもしれません。でも、私はもっと前に違和感に気づいていました。

 当時、先生はよく私にメールをくださいましたね。文学的で詩美的な文章には、隅々にまで作家としてのプライドが宿っていて、私はそのメールも好きでした。だからすぐ気がついたんです。だんだんと美しさの損なわれていく文章に、先生の作家人生すら損なう影を見たのです。

 このとき、きちんと先生に向き合っていたら良かったと思います。でも私は目を背けました。小説家になってからまた荒みはじめた生活を言い訳に、先生への愛情を言い訳に。先生の崩壊を止められたかもしれない私は、何もできないばかりか、感情を言い訳に先生にさらに追い打ちをかけました。

 ある批評文が原因でした。どこの馬の骨とも分からない編集者崩れの書評家が書いた、読むに値しない文字の羅列でしたが、先生はその批評を読み、傷つき、でも受け入れました。

「この人は私の小説をよく見てるよ。私が気にしていたところ全部当てられちゃった」

 先生の新作も大好きだった私には、残酷な言葉でした。まるで先生の作品をきちんと読めていないと言われているようで、私の賛辞など取るに足らないと思われているようで。悔しさのあまり、私は心にもないことを言ってしまいました。

「確かに、今回の作品はいつもとは違って、あんまり先生らしくなかったですよね」

 デビュー五年目に出した作品が、先生らしくないはずがないのに、自分の悔しさを消すためだけに嘘をついたのです。先生はその言葉も受け入れてしまったのです。以来どんどん塞ぎ込むようになり、メールを送ってくることも、電話をかけてくることも、会いに来ることもなくなり、SNSの更新も、新作の刊行も止まりました。

 私はといえば、二ヶ月に一冊のペースで新刊を出していましたが、その実、学生時代の作品の書き直しで、新作はほとんど書けなくなっていました。表だけ見たら順調だったかもしれませんが、私もスランプに陥っていたのです。

 それから一年が経ち、先生は新作を発表しました。タイトルは『無題』。なんて悲しいタイトルなのだろうと思いました。真相を知っても同じことを思いました。なんて、切実で悲しいタイトルだったか。

 私も同じタイミングで新作を発表しました。タイトルは『あなたへ』。大学の卒業制作で作ったもののリライトでした。出来が良かったわけではないけど、一番創作を楽しんでいたときのものだったから、きっといい評判がもらえるだろうと見込んでいました。

 予想は半分あたり、半分外れました。話題にはなりました。しかしそれはスキャンダラスなものでした。

 そうです。先生の『無題』は、私の卒業制作をそのまま使ったものだったのです。句読点の位置や、キャラクターの名前や、私の文体の癖まで、すべてがそのまま起用されていました。

 当然どちらが盗作をしたのかという議論になります。泥沼も覚悟していましたし、所詮私は先生の贋者ですから、自分が真似をしたとして鎮火しようとも思いました。

 しかし世の中には善人がいるのです。この場合、それは私の大学の先生でした。私の卒業制作を作るにあたり、たくさんの力を貸してくれた恩師ともいえる存在です。先生はこの騒動を聞きつけると、いくつかの証拠を提示し、泥沼になる前に、先生の悪事を暴いてしまいました。

 私には多くの同情が、先生には今まで以上に多くの批判が寄せられました。いくつもの出版社が先生を倦厭し、その代役として私に声をかけました。先生の作品を模倣した私の作品を盗作した先生に、いったいどれほどの罪があったでしょう。でも、どの出版社も言ってくることは同じでした。「Sの作品は、T先生の作品とよく似ていました」。主客転倒していると、きっと私と先生以外は知らないでしょう。

 私はその仕事も受けました。先生のことを誰よりも崇拝していたから、その枠を他の誰かに取られたくなかったのです。

 こうして小説家Sは死にました。私が殺したようなものです。

 この小説を書いているのは、前述したように贖罪ともう一つ。先生への愛情を証明するためです。

 先生が私の作品を盗作していると知って、最初に嬉しく思いました。私が学生時代に書いた作品を、他でもない先生に認めていただけたのですから。でも次に恐ろしくなりました。私なんかの作品に頼らないといけなくなった先生を、私は果たして臆面もなく好きだといえるのだろうか、と。そんなことを考える自分に失望し、同時に、先生にも失望していました。こんな思いをするなら、小説家になんてならなければ良かった。

 ねえ、先生。この作品によって先生は少しでも救われるでしょうか。私の作品はすべてS先生の下位互換でしかないこと、みんなに伝わるでしょうか。

 ねえ、先生。この小説の一文目、覚えているでしょうか。人は愛しているものの前では目を塞ぎ、崇めるものの前では目を開くのです。私はずっと目を閉じてきたつもりでした。でも土壇場で裏切ってしまった。

 だから今度こそ、証明しなければならないのです。先生を心から愛していること。信仰心のように見返りのあるものではない、無償の愛をあなたに捧げていることを。

 S先生、いつまでもお慕いしています。


     *


 読み終わり、私は改めて編集に提出する作品に目を通した。タイトルは『無題』。数年前、Tと関わっているときに、Tが習作として書いた作品の一つだ。もちろんこの小説のことを知っているのは、私とTだけだ。

 本当は作内のSのように、Tによって終わらせられることができたら良いのだが、Tは今でも私のことを愛し、いつまでも小説家Sの復帰を望んでいるから、その未来には期待できない。

 だからもう自分の手で、Tの作品に殺してもらえるように仕組まなければならなかった。自殺よりも空しい行為だ。でも、これで私はようやく、小説家として死ぬことができる。正しい死でなくとも、間違った生よりはずっといい。そしてなにより、これこそがTの本当に望んだ結末なような気もしている。

 私は出版社宛の封筒に『無題』を入れて封をした。

 T、私もあなたのこと愛していました。

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