初恋guilty
黒桐
初恋guilty
夏休み一歩手前の午後1時、学期最後のホームルームが終わると同時に家に直行。
照りつける日差しの中、半袖の人波を冬服ですり抜けていく。
人ごみは苦手なので忍者の如く人里を離れるかのよう忍び足で。
殺人級の暑さと呼ばれる今夏。
もちろん日傘はマストで直接太陽が当たるのを避けようと極力あがいてみるが、長袖は暑すぎる。
額から吹き出した汗を拭こうと通学鞄からハンカチを取り出そうとした時、うっかり中の物を落としてしまった。
――藁人形である。
パッと目をやるなり急いで拾い上げて鞄に戻す。
ちらりと辺りを見回す。
数人ほどが近くに居るけど誰もこちらに目を向けていない。
気づかれなくて良かったと安堵する。
これは自作の藁人形なのだ。
以前学校に別のを落としたことで学級集会まで開かれことがあり、冷や汗かいた経験から二度と落とさぬよう注意していたつもりだった。
藁人形は丑の刻参りに使う呪いの人形ということで禍々しいものとされるのが一般的だろう。
しかし、私には一種の精神安定剤にも似た安らぎをくれるのだ。
これを持っているだけで誰でも呪えるような錯覚。
失敗する確率が9割と知って以来、儀式自体をやろうという気は全く無いけど使い方によっては厄除けの効果を生み出しているのは間違いじゃない。
私の想い人にべたべたと近づく人間のロッカーや机の引き出しにそっと忍ばせるだけで相手は恐怖し、時には悲鳴を上げる。
何度思い出しても愉快だ。
ふふっと口の端が緩む。
まあ何回もやっているというのはそれだけ邪魔者が多いからだけど……。
牽制する相手の名前を人形に掘ったりしなかったので筆名等のヒントは無いし、当然他に自分が落とした名乗る酔狂な人間も現れずで結果集会自体はお流れとなった。
しかし、勘付く人間は一人くらい居るもの。
それがよりにもよって担任の佐久間渚といういかにも体育会系のマッスル女で、クラスでやや浮いている私が寂しさや孤独を抱えているというSOSを現す行為なのでは?と睨んでいるらしい。
そんな想像力豊かな担任は、何かと声を掛けてきては世話を焼くようになった。
しかも一昨年からバスケ部の顧問をやっており、元部員である私の想い人とも未だに交流があるようで私のことをクラスに馴染ませようと色々聞いているらしい。
余計なお世話という言葉を一度誰かに教わってもらいたいものだ。
迷惑極まりないため、今日もホームルーム後に話があると言われていたのだが忘れたふりして今に至る。
お節介な担任について思い悩むうちに、いつもは止まらず渡ってしまう踏切前まで来ていた。
急にドッと疲れが押し寄せる。
足元からはアスファルト越しの熱気を感じるほどで次第に頭がくらくらしてくる。
少し休もうと近くの木陰に避難することにした。
もたれるよう木にそっと背中を預けるようにして、ゆっくりと深呼吸をする。
草と土とフローラルの柔軟剤が混ざったような匂いがした。
照りつく陽の中でセミの鳴き声は一向に鳴りやまない。
どことなく生命を色濃く感じる瞬間が多い気がして、夏はやっぱり苦手だと思った。
カン、カン、カンと踏切の音が鳴る。
袖のボタンを外し、腕をまくった。
制服はセーラー服でスカーフも含めて真っ黒な冬服は、他中の生徒には喪服と揶揄されているようで反対に夏服は白地に水色のスカーフでかわいいと高評価らしい。
確かに涼し気で爽やかに見えるし、某坂道系アイドルが似た感じの制服で歌う姿を見た時素直にかわいいと思った。
制服自体に着衣拒否する理由は無い。
去年の夏、私の想い人がその優しすぎる性格故に全く好意の欠片もない人間(私の同級生A)の乱れたスカーフを整えるという場面に遭遇して以来、夏服が着れなくなってしまった。
傍からすれば馬鹿じみた嫉妬と卑屈さのせいで意固地になっているだけに見えるのだろうけど、自分でもこの行き場の無い怒りと悲しみがどうすれば収まるのか分からずにいる。
ポケットからそっとスマホを取り出し、カメラロールを見る。
その全てに映るのは同一人物であり、学年が一つ上の先輩であり、現在高校一年生であり、バスケ部の元エースであり、私の隣の家に住んでいる幼馴染であり、終わらない初恋の相手兼想い人……松戸雅である。
いつだってこの目で見れるようにと撮りためたストックを眺める。
やや褐色の肌、きりっとした涼やかな瞳、鼻筋の通った綺麗な鼻と形の良い唇。
ショートカットが似合う小顔はどんな髪型だろうが、何を着ようが似合ってしまう。
隣に彼女一家が引っ越してきて顔を合わせてからこの長引く片思いが始まった。
そして一目惚れだった。
幼い時の彼女の容姿は今とは全く違う。
色白で天然パーマの似合うややぽっちゃりとした女の子。
それが初めて出会った時の『みやびちゃん』で、私のハートに矢が刺さるのに一秒もかからなかった。
恋に落ちたあの日以来、まるで嵐の中に放り出されたみたいな混乱と動揺で胸は落ち着かず、とにかく自分のことを知ってほしくて、傍にいたくて、独占したくて、笑顔が見たくて、この重たい気持ちのせいで困らせた挙句怒鳴られてもいいくらい私のことで頭を一杯にしてほしくて、……他の誰よりも気にかけてほしい。
そんなことを考えている。
自分でもいかに迷惑なのかは分かっているつもりだ。
近頃は家に押し掛けるのも極力控えるようにしているし、デートの強要などもだいぶ抑えているし以前よりだいぶ配慮している……はず。
それに分からないのだ。
初恋の終わりがどんなものか?
一度でも恋をした人間であれば大半は経験済みのはず。
残念ながら一生一人の人間だけを好きでいることは難しい。
だからこそ知りたい。
長引きすぎる片思いを、初恋を終わらせるにはどうしたらいいのか?
電車の通過する音が響く。
揺れる遮断機の旗。
これ以上近づいたらいけないと教えくれるそんなセンサーみたいのものが私にも備わっていたら良かったのに。
そしたらこんな無謀な想いに縛られることもなかった。
友人のような関係でずっと過ごせるかもしれないのに。
「好きにも嫌いにもなってくれないならどうしたらいいの?」
一度強く迫ったことがあったけど結局流されてしまった。
「怜那はほんと困った子だね」
そう言いつつも本気では拒否しない。
そんな優しさが勘違いさせることを知らないんだろうか?
いつかは好きになってくれるんじゃないかと期待すると同時に、諦めの悪い自分の愚かさを知って泣きたくなるような暗い気持ちが混ざり合っていく。
雅はそんな恋をしたことが無い。
だから分からないのだ。
そう断言できる。
今まで恋人の影どころか意中の相手すら居たことも見たこともないし、恋愛に興味がないと本人の口からもしっかりと聞いている。
雅は綺麗だ。そして何より優しい。人によって態度を変えたりしない。
――踏切の音が止み、遮断機が上がるのを確認して木陰から離れる。
鬱陶しいほど眩しい日差しの下、少し離れた先に誰より見慣れた横顔を見つけた。
「あ……」
そこに雅が居た。
制服姿で踏切を渡ろうとしている。
こんな早い時間に帰宅とはなんと珍しいことか。
そして今日もなんて可愛く凛々しいのだろう。
いつだって他の人間より数億倍は輝いて見える。
こちらには気づいていない様子なので声を掛けようとしたが、それじゃつまらない。
動画でも撮りながら近づいて驚かせてやろう。
ストックの新作も増えるし一石二鳥だ。
スマホのカメラを起動し、彼女の元へ。
その時、画面にちらりと一人の少女が映った。
まるで西洋人形のように整った顔立ちに風でさらさらと流れるストレートのロングヘア―。暑さなんて微塵も感じさせないほどキラキラした笑みを浮かべて、雅に声をかける。
同じ制服で容姿も整った二人が並ぶ様子にどうしても敗北感を覚える。
「なんであいつが……馴れ馴れしい」
カメラ越しに悪態を吐く。
その少女……時谷七海はその類まれな容姿でちょっとしたどころか立派に有名人である。
さほど背は高くないにしろ大手ファッション誌のレギュラーモデルであり、インスタのフォロワー数は30万人以上かつ家柄も良くて父親は銀行の取締役らしい。
最近は演技も勉強中のようでチョイ役だが月9にも出ていた。
やや棒読みのくせに若手女優NEXT部門にもひょっこりランクインしているようで嫌みなことこの上ない。
そんな彼女がこの春に雅と同じ学校に入学し、しかも同じクラスで仲良くしていると聞いて以来とにかく目障りでしょうがないのだ。
黒々とした感情が渦巻いてくる。
画面越しに怨念を込めた視線を七海に送る。
『さっさと離れろ、離れろ、離れろ、離れろ……』
大体、雅はべたべたと距離を近づけてくるような人間は苦手なのだ。
きっと内心嫌がっているに違いない。
助けるべく後を追おうとしたその時、雅は七海に微笑んだ。
その眼差しは今まで見たことがないくらい、酷く優しいもので。
「え」
思わず画面から顔を離して二人を見る。
と同時に、カシャッと短くシャッター音が切られた。
突然のことで指が滑り、誤ってボタンを押してしまったらしい。
シャッター音のどこか空しい響きが耳に残る。
でも今はそんなことどうだっていい。
混乱する頭の中、とにかくこれ以上雅と時谷七海を二人で居させちゃいけない。
熱気を帯びた空気を吸い込み、大きく腕を振って駆けだす。
でも一歩一歩踏み出す両足が重くて耐え切れなくなり、踏切を渡り終えるとその場で動けなくなってしまった。
前方には雅と時谷七海が何やら楽しそうに話しているのが見える。
こうして止まっている時間の分だけ当然二人との距離は離れていく。
今、追わないと手遅れになるという焦燥感で体温が急上昇するような錯覚。
私はまだ初恋しか知らない。
でも、これ以上大きい気持ちを雅以外の誰かに抱くことなんて考えられない。
そう思っていたけど、10年も一方通行の片思いを続けてきた人間にチャンスはある?
雅は私の恋人じゃない。
特定の相手が居ないならまだチャンスはあるとそう信じていたけど、ただの幼馴染じゃ10年かけても見れない表情を時谷七海にだけ向けた。
事実として認めたくはない。
けど、恐らく『そういうこと』なんだろう。
「……そっか。全然知らなかった……」
雅と七海の姿は曲がり角で消えた。
こんな時が来たらきっと周りが引くほど号泣すると思ってたのに不思議と涙は流れない。
カン、カン、カンと再び鳴りだす踏切の音が背中越しに強く聞こえる。
と、同時に後ろから肩を思いっきり叩かれた。
驚いて振り向くとそこには…。
「え……」
担任のマッスル女、佐久間渚が立っていた。
にこやかな笑みを浮かべて。
「やあ楠木……夏休みは暇かい?」
夏休みも中盤に差し掛かったとある日の夕方。
冷房の効いたリビングで夏休みの課題に嫌々ながらも取り組む。
そんな私の横で、さもおかしそうに雅はくすくすと笑った。
「一週間ずっとドリブルだけってさ、さすがに極めすぎじゃない? なんならもうバスケ部入っちゃえば?」
そんなの死んでも嫌だ。
午前中だけと言えど貴重な夏休みの時間を好きでもないスポーツに費やすのがどれだけ辛いことか。
最初はボールでも磨いてくれたらいいと言っていたのに、なぜか新人部員と同じようなことをやらされているので尚更頭にきているというのに。
大体クラスで浮いてる人間に団体競技が向くわけないだろう。
巨悪の根源である佐久間(担任)はバスケ部に所属していた雅にとって元顧問にあたる訳で、愚痴でも一つ言ってやろうと思ったけど笑い続ける様子が可愛くてそんな気失せてしまった。
なんてずるいんだろう。
時谷七海の前で見せたあの日の笑顔がフラッシュバックする。
なんだかとても泣きたいような切ない気持ち。
そんな私の想いなんてお構いなしに雅は続ける。
「でも怜那が元気そうで良かった。LINEも全然無かったからどうしてんのかなって」
「どうって別に。担任による強制部活参加と宿題に追われてただけ」
「そう。……あ、ここ間違ってる」
「!」
雅は私のノートを見ると、肩が触れるくらいの距離まで寄って来た。
思わずドキッとする。
シャンプーの甘い香りで頭がクラクラしそうだ。
「もう。ちゃんと聞いてるの?」
「……ごめん。なんかボーっとしてた。自分でやるから大丈夫」
なんだか居たたまれなくて、よそよそしく距離を取る。
それにも関わらず、雅は私に近寄って来て、
「ねえ、何かあった? なんか変だよ……いつも変だけどさ、いつもの怜那じゃないっていうか」
そう言って心配そうな目を向ける。
私は何も言わず、近くに置いた鞄の中から一枚の写真を雅に渡した。
困惑しつつも受け取る雅。
「これ……七海じゃん」
――そう。これはあの日、私がうっかりシャッターを押してしまった例の写真だ。
雅が七海に優しく笑みを浮かべたもの。
「好きなんでしょ? 時谷七海のこと」
「え?」
「だからもう優しくしなくていいよ。もう知ってると思うけど、私めちゃくちゃ思い込みが強い女だからさ……そんなに優しくされたら勘違いするよ」
「怜那……?」
好きな人に既に好きな人が居た。
本当に好きならその恋を応援したい。
綺麗ごとじゃなく本当にそう思ったんだ。
それなのに雅は急に笑い出した。
「怜那ってさ、ほんと面白いよね。いきなりどうしたのよ」
「何それ。私は、雅ちゃんのことが本気で……」
言い切る前に涙が滲んだ。
覚悟が足りない自分に心底嫌気が差す。
そんな私を見て、雅は気まずそうに言った。
「だって既に勘違いしてるじゃん。……私も怜那のことが好きなのにね」
「え?」
思わず耳を疑う。
雅は今まで見たことないくらい顔が真っ赤で……。
「気持ち知ってたのにずっと意地悪してごめん」
初めての恋人は私の涙をそっと拭うと頬に優しくキスをした。
初恋guilty 黒桐 @kurokiri_asahi
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