第37話「決戦」

 一波乱あった準決勝を勝ち抜き、俺はついに炎龍闘祭トーナメントの決勝戦へと進出を果たした。対するはまさかの同門、〈ソルオリエンス〉所属の剣闘士“豪傑”のウルザだった。

 俺がフォルティスやエクィア、デミットたちと戦っている間に、彼女もまた別の剣闘士たちと激闘を繰り広げていた。そして、〈ソルオリエンス〉の仲間たちが一人、また一人と脱落していく中でも、技と力と気合いで勝ち抜いてきた。

 炎龍闘祭で優勝し、炎龍王へと至る。いつか語ったそんな夢が、目前に迫っているのだ。


「ウルザ! ウルザ! ウルザ!」

「やっちまえそんな小息子!」

「テメェの本気見せてやれ!」


 帝都最大の面積を誇る大闘技場。五万人以上を収容できる広大な観客席は既に満ち満ちていた。前代未聞の男剣闘士の決勝進出を見届けるため、多くの人々が詰め掛けたのだ。

 熱を帯びた砂を踏み締め、舞台に上がる。既に姿を表していたウルザは、観客の声に耳も傾けず、ただ泰然と立っていた。


「ウィリウス勝ってくれーー!」

「ウィリウーーーース! 私と結婚してくれーーーー!」

「信じてるぜ、坊ちゃん!」


 下馬評ではウルザの勝利が有力視されている。それは彼女が獣人であり、女性であり、また屈強で力もある熊獣人であり、そして何よりこれまでの輝かしい戦績から、そう判断された。

 一方で、俺も多少人気を得られているらしい。俺もまた勝ち続けてトーナメントを駆け上がり、さらに準決勝では皇帝まで出てきたのだ。皇太子までもが俺の実力を認めているというニュースはこの数日で帝都中に知れ渡っている。


「ウィリウス、ウルザ、どっちも頑張れ!」

「試合の結果はどっちでもいいが、祝勝会と慰労会はしっかりやってやるからな!」

「うおおお、我も応援しているぞ!」


 〈ソルオリエンス〉の仲間たちや、頭に大きなたんこぶを重ねたトリクスも惜しみない応援を送ってくれている。彼女たちの期待を受けて、正々堂々と勝負に挑まなければならない。


「両者、準備はいいか?」


 審判も緊張気味の面持ちで、試合開始の準備を進める。

 俺は剣と盾を。ウルザは斧を。それぞれに確認する。お互い、装備らしい装備は着けていない。ウルザの攻撃は重たすぎて胸当てなど着けていても意味はなく、俺の攻撃は軽すぎて防具が必要ではないのだ。


「それでは――」


 最前列の席にゆったりと腰掛けるのは、鉄拳皇帝ベスティア。質実剛健を体現するかのような厳威を放ち、試合の開始を見届けている。彼女が、手をわずかに動かした。それが合図だった。


「――始めっ!」


 審判の宣言と共に、楽団が高らかに楽器を鳴らす。五万人の観客たちが一斉に吠え、石造りの堅牢な闘技場がぐらぐらと揺れる。震える砂粒をサンダルの裏に感じながら、俺とウルザは同時に走り出した。


「うおおおおおおおおっ!」

「はああああああああっ!」


 一撃。ウルザの斧がまっすぐに振り下ろされる。熊獣人の膂力は凄まじい。岩をも易々と砕く、必殺の一撃だ。

 彼女は俺が同じ剣闘士団の仲間だからといって、手心を加えるつもりは一切ないようだった。俺たちは仲間である以前に、剣闘士なのだから。天地神明に披露し恥ずべきことのない闘争を繰り広げるのだ。


「せいっ!」

「なっ」


 ウルザの斧。必殺の破壊力を孕んだ凶器。普段の俺ならば、まともに取り合わずに回避へ移るだろう。彼女もきっとそれを織り込んで行動を組み立てていたはずだ。

 だが、俺はあえて斧を盾で受け止めた。

 ウルザの瞳が動揺に揺らぐ。


「その顔が見たかったんだ」


 思えば、初めて彼女と戦った時もこの表情を見た。俺が剣を投げた時、うまく彼女の意表を突けたあの時だ。

 だが、その代償は大きい。


「ぐぅ……っ!」

「馬鹿か、お前は!」


 斧は容易く盾を割り、木っ端微塵に砕く。その衝撃は直接俺の腕にまで響き、骨が折れる嫌な感触が内側で広がった。熊獣人の一撃は重く鋭い。そんなものを受け止めればどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。

 ウルザが怒りとも取れる表情で俺を見ている。


「腕一本くらい、アンタに勝つためには安いもんだろ!」


 ウルザは一度、俺に負けている。あれは俺に対して大きな油断と慢心があったから。ならば、今なら。お互いの力量を正確に理解し、入念に準備も鍛錬も続けてきた今ならば。純然たる力勝負では、俺に勝ち目は全くないと言っていい。

 だったら、骨を切らせて肉を断つ。文字通りそれを遂行できるだけの覚悟が必要だろう。


「せああああああああっ!」


 燃え上がるような痛みに耐えながら、剣を突き出す。以前の試合では彼女に刃先を突き込むことはしなかった。だが、今回はそんな躊躇いは捨てている。何よりもそれこそが彼女に対する敬意だと知った。


「させるかぁ!」

「ぐ、ぐあああっ!?」


 易々と剣を届けられる相手ではない。ウルザは俺の左腕を掴み、横へ引っ張る。折れた骨が悲鳴をあげ、耐え難い激痛が肉を焼く。喉が裂けそうなほどの絶叫が、本能的に発せられた。

 だが投げ飛ばされる直前、爪先で砂を蹴り上げる。情け容赦のない日光に熱された砂粒が、ウルザの顔面に飛び掛かる。一瞬彼女がたじろいだ隙に腕を振り解き、一気に懐へと潜り込む。


「せいっ!」


 逆袈裟というのも烏滸がましい、体勢も不安定な切り上げ。あまりにも浅い。

 彼女の体には届かず、体表を薄くなぞる。だが剣先が何かを捉え、滑らかに切り裂いた。


「うおおおおおおおっ!」

「ウィリウス! ウィリウス!」

「汚ねぇもん見せんな馬鹿!」

「女の裸なんて見たかねぇよ!」


 会場が一気に湧き上がる。

 ウルザの上衣、胸を押さえつけていた布が風に流れて舞台の端へと飛んでいく。

 だが上裸になったところで彼女に羞恥心はない。その瞳を燃やすのは闘争心だけだ。


「てやあああああああっ!」


 猛然と走り出すウルザ。二歩目にはトップスピードへと至り、俺が反応する前に間合いに捉える。


「ぬぅんっ!」


 強い風が耳元で唸りを上げた。ウルザの大斧が顔面を掠めた。あまりにも力強く、それでいて素早い。俺を殺すことに躊躇がない。間一髪で回避したものの、わずかに間に合わない。


「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「よくやったウルザ! 最高だぞウルザ!」

「ヒューーーーッ!」

「キュオラ、絵師を呼んでくるのだ!」


 俺の上衣が報復のように切り裂かれた。もはや邪魔にしかならないそれを乱暴に脱ぎ捨てると、客席からスケベ共の歓声が上がった。

 お互いに上裸。肌に汗を滲ませ、砂で汚している。見るからに凄まじい様相だ。

 どちらも息が上がり、肩を上下に動かしている。とはいえ、体力の差は歴然。彼女はまだまだ動けるだろう。


「ウルザ、勝ちたいか」

「もちろん」


 体力回復のための時間稼ぎを兼ねて、久しぶりに言葉を発する。ウルザが付き合う義理はないのだが、彼女は頷いてみせた。


「なら、仕方ないな」


 剣を構える。

 盾はない。

 身を守るものは、全て失った。

 あるのは、尊厳だけ。


「俺も勝ちたいんだ」


 走り出す。この一撃に全てを賭け、この一撃で決着を付ける。

 奴隷の身に堕ちて、地獄のような暮らしをした。泥を啜り、灰を喰うような生活を送りながら、剣を握り、舞台に立った。そこで出会ったほとんどの剣闘士たちが俺を見下していた。

 だから勝った。

 三十回勝って、俺は知った。己の腕だけで生きることができるのだと。

 剣闘という一瞬の煌めきの輝かしさを思い知って、虜になってしまったのだ。


「はぁあああああっ!」


 砂を蹴り、進む。ウルザは避けることもせず、構えていた。

 股下に滑り込みながら腱を斬る。直前で横に飛び退き腕を斬る。むしろこのタイミングで剣を投げる。

 去来するのはいくつもの戦術。だが、その全てを振り払う。これは戦術じゃない。小手先の小細工というものだ。騙し討ちには使えるが、それでは完全な勝利は得られない。

 試合に勝ち、勝負にも勝たねばならない。


「――ぁああああっ!」


 真正面から切り込む。

 俺が選んだ選択に、ウルザはわずかに眉を揺らす。だが、飛んで火に入る夏の虫。燃え盛る炎のように彼女は斧を振り上げて迎える。だからこそ隙が生まれるのだ。


「ふんっ!」

「な、速っ!?」


 体を前に傾ける。一気に加速する。力を振り絞り、前へ。彼女はきっと受け止めてくれると、信じている。その焼けた肌の、屈強な肉体の、柔らかな胸に向かって飛び込む。

 生き別れた家族が再会を喜ぶように。熱い抱擁をし合うように。

 俺たちは武器を持って、重なり合う。


「せやぁああああああっ!」


 剣の切先が狙うは胸の少し下、鳩尾。人体の急所。分厚い筋肉の層を断ち切り、奥へと剣を突き立てる。


「かふっ」


 ウルザの口から血が溢れる。降り注ぐ鮮血を浴びながら、剣を引き抜く。

 巨躯が膝をつく、ゆっくりと倒れた。

 赤く濡れた剣を、高く掲げる。勝ったのは俺だと、万民に示す。


「――勝者、ウィリウス!」


 審判の強い宣言。

 数秒の静寂の後、空が割れんばかりの拍手が響き渡る。

 だが、勝利の余韻に浸っている暇はない。俺は剣を投げ捨て、倒れた彼女の方へと向き直る。


「ウルザ、すまない」

「謝る、ことはない、だろ。勝負の結果、だ」


 腹を貫かれたウルザはだくだくと血を流しながら笑っていた。剣闘士として戦い、剣闘士として散るならば、悔いはないと。


「しかし、容赦ねえな。内臓まで、抉りやがって」

「真正面から行くしか方法はなかったんだ」

「分かってるさ」


 彼女がどう動くのか、どう動いてくれるのか信頼して俺も動いた。その結果、俺は彼女を上回ることができた。その結果、俺は彼女を殺すことになる。

 ウルザの巨体が力を失っていく。その瞳から光が消えていく。


「ウルザ!」

「じゃあな、ウィリウス。――アタシはお前のこと、好きだったんだよ」


 最後にそんな言葉を遺して、彼女は瞼を閉じる。

 ――その時だった。


「いいもの、見せてもらった。ありがとう」

「っ!?」


 耳元で幼い少女の聞き慣れぬ声がした。舞台には俺とウルザだけだったはず。今まで全く気配を感じなかった。驚いて振り返ると、そこには金銀の装飾を身に纏った少女が立っていた。


「誰、だ……?」

「不思議。私のために、戦いを見せてくれたのに」


 驚く俺に、少女は首を傾げる。黄金の瞳は無機質で、深い深淵を孕んでいるようにも見える。人のようでありながら、間違いなく人ではない。

 であるならば、彼女はいったい。


「ちゃんと見てたよ。あそこから」


 少女が指で指し示す。その先にあるのは、闘技場の頂上に築かれた神殿。


「まさか――!」


 こくり、と彼女は頷く。

 燃えるような赤髪、金の瞳。肌は白く柔らかそうだが、確かな熱気を帯びている。まさか、この大祭の主がこんな姿をしているとは。


「彷徨える異郷の魂、力強く育ってくれて、私はうれしい」

「俺のことも、知ってるのか」


 炎龍は頷く。天地開闢の時代から存在する彼女ならば、その程度は造作もないのだろう。


「君の戦いはとても楽しい。君たちの戦いは、妹たちも見たがっていた」

「それなら、助けてくれないか」


 客席は、彼女の姿が見えていないようだった。倒れるウルザの前で膝を突く俺しか見えていない。

 トリクス、ベスティア、それと一部の偉そうな祈祷師たちだけが、目を見張っている。


「ウルザを助けてやってくれ」


 彼女ならばできるのではないかと。一縷の望みを賭ける。

 しかし、少女は不思議そうに首を傾げるだけだった。


「ダメなのか」

「できるよ。生命は、輝き。炎と本質は同じだから。でも」


 彼女はウルザへと視線を移す。


「彼女は、平気だよ」

「……えっ」


 血が止まっていた。

 彼女の胸は穏やかに上下している。


「剣闘士の試合で死人が出ることはほとんどない、か」


 獣人のタフネスを、どうやら俺はこの後に及んでまだ見誤っていたらしい。

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