第08話「狼獣人と練習試合」

 この世界の人々の暮らしは太陽と共に始まり、太陽と共に終わる。電化製品などの便利なものがないため、夜は基本的に寝るしかないからだ。そして、帝国人のほとんどは日の出と共に目を覚まし、午前中に働いて午後からは余暇を楽しむ。

 しかし、剣闘士というのは、そんな大多数の帝国人に娯楽を提供する職業だ。試合が始まるのは午後からであり、そちらが仕事の本番と言える。では、午前中はいったい何をしているのか。


「さあ、来い! 私がしっぽりと扱き倒してやろう」

「……はぁあっ!」


 数年振りにやわらかい寝床で一夜を明かした翌日。朝食を摂り、体をほぐした俺は、宿舎の裏手にある庭で剣闘士と組み合っていた。


「やっちまえ!」

「わからせだ、わからせ!」

「お前! ドサクサに紛れてどこ触ろうとしてやがる!」

「うるせぇな。コレはれっきとした鍛錬だからな!」


 もちろん、私闘や乱闘といった血生臭いことではない。周囲には〈ソルオリエンス〉の他の剣闘士たちも集まり、やいのやいのと好き放題に声を上げている。

 午前中の剣闘士は、こうして仲間同士で組み合ったり、立木に向かって木刀を振ったりして、己の技と体を鍛えるのだ。強さこそが唯一にして絶対の指標となる稼業ゆえに、当然のことだろう。


「ふふふっ。やっぱりヒトのオスは弱いなぁ」


 俺の相手に立候補したのは、昨日大部屋のドアを木っ端微塵にした張本人だ。

 カウダという名の狼獣人で、当然のように俺よりもはるかに身長が高く、体格もいい。例に漏れず野生的な美女といった容貌で、濃い色に日焼けした肌も健康的だ。頑健な筋肉とは相反するような巨乳の持ち主でもあり、軽く布で隠しただけというのが逆に魅力を掻き立てている。

 彼女は剣闘士団の中でも古参らしく、仲間達からの信頼も厚いようだ。剣闘士としての実力も高く、剣と盾を使う標準的なスタイルを得意としているものの、素手による組み手も不得手というわけではない。


「オスとか言うんじゃない……っ!」

「ぬぅあっ!?」


 勢いを付けて、押し倒すつもりで飛びかかった俺を、カウダは泰然と受け止める。やはり獣人の女相手に真正面から力で押し切るのは難しい。俺は即座に方針を変えて、彼女の重心をずらすように足を掛けた。余裕の笑みを浮かべて鋭い牙を見せていたカウダも、バランスを崩して後ろへ倒れ込む。


「うおおおおおおっ!」


 雄叫びを上げながらカウダの太ももに足を乗せる。その太い腕の関節を狙って手を掛ける。

 力で敵わないなら、技で勝負に出るしかない。関節技は上手く嵌ればどんな屈強な獣人でも動きを封じることができる。


「あまぁい!」

「ぐあっ!」


 しかし、俺が技を決めようとしたその直前、剛腕がぶんと振るわれて視界が三回転する。気が付いた時には俺が逆に地べたに仰向けになり、右腕をカウダの硬い太ももががっちりと挟み込んでいた。

 いわゆる十字固めのような形で、俺はもうまったく動けなくなってしまった。

 力でも技でも相手の方が上回っているなら、勝負はすでについている。


「カウダてめぇ!」

「いっつもそんなに密着する技掛けねぇだろうが!」

「ドコにナニ押し当ててんだよ! このスケベ!」

「はんっ。これは正当な鍛錬だからな。文句を言われる筋合いはない!」


 周囲の仲間たちから非難轟々のカウダだが涼しい顔で全て聞き流している。俺の腕は彼女の太ももに挟まれ、胸の谷間に埋められ、なかなか羨ましい状況になっている。激しい攻防でお互いに汗が滲み、屋外だというのに熱気が立ち込めていた。

 しかし、ここで負けるわけにはいかない。


「カウダ」

「なんだウィリウス。次はもっと過激な寝技でも試したいか?」

「いや、まだ勝負は終わってない」

「なにっ!? ぐわーーーっ!?」


 俺が無抵抗で力を抜いているのをいいことに、すっかり油断していたカウダ。俺はその隙を突いて腕を引き抜くと、彼女の腹の上を転がるようにして移動し、そのまま上体に覆い被さった。

 今度は逆に俺が腕を掴み、脇に体を滑り込ませる。体勢を安定させるように足を広げながら、カウダの太い首に体重をかける。


「ぐええっ!?」


 袈裟固め。体重もそうだが、体を動かす起点となる頭が動かなくなるため、カウダはじたばたと足を振り回すしかなくなる。だが、そこに俺はいないため、蹴飛ばすこともできない。


「カウダてめぇ!」

「なんて羨まし――情けねぇ奴だ!」

「うほぉ、ウィリウスの胸元があんな近くに……!」


 普通に技を掛け合っているだけだというのに、外野は朝から元気いっぱいだ。

 カウダが抜けようとしたので、更にキツく腕を締めて胸も使って押さえつける。ちょうど彼女の鼻先が胸元に密着する形になると、みるみるその頬が赤く染まっていった。


「あいつ、一丁前にのぼせてやがる」

「くぅ、私があそこにいたはずなのに!」

「狼獣人にあれはキツイだろ、色んな意味で」


 しばらく力を込め続けていると、やがてカウダの目から戦意が消える。半開きになった口から舌が垂れ、全身も弛緩した。さすがに意識を落とすまで締め続けるわけにもいかないので、俺は周囲を見渡して勝敗が決したことを確認する。


「くぅん……」


 土埃を払いながら立ち上がる。〈ソルオリエンス〉の実力者にも勝利した俺を、周囲の仲間たちが拍手で称えてくれた。


「カウダの奴、情けねぇ声出しちゃってまあ」

「疾風の餓狼様がすっかり腑抜けになっちゃったな」

「う、うるせぇ!。お前らもウィリウスが男だからって油断するとこうなるぞ。アイツ、普通にめっちゃ強いんだからな!」


 好き放題言われていたカウダも程なくして立ち上がる。獣人というのは力も強いが、回復力も凄まじい。熱った体に水を掛けて冷やしている間に、すっかり息も整えてしまっていた。


「ともかく俺の勝ちだ、カウダ」

「分かってるよ。まったく」


 彼女に向かって手のひらを広げると、狼の耳がぺたんと倒れる。カウダは庭の隅の長椅子に置いてあった袋の中から数枚の銀貨を取り出して手の上に載せた。


「まいどあり」

「くそぅ。私が昨日の修理代を取り返すつもりだったんだけどな」


 剣闘士にとって鍛錬は大切だが、それだけでは身が入らない。そんなわけで、このように練習試合のような形式で戦い、勝敗で金をやり取りすることもあるらしい。昨日、ドミナから教えてもらった話だ。

 そもそも剣闘士といっても毎日のように戦っているわけではない。少なくなったとはいえ命を落とす危険もあるような戦いは、そう頻繁にはできない。だから、手っ取り早く金が欲しい時は、鍛錬の時間に仲間の誰かに勝負を吹っ掛けるのが通例なのだ。


「もともと俺は一文無しだぞ」

「そん時は借金ってことにして、イロイロやってもらうつもりだったんだよ」

「何をさせるつもりだったんだよ……」


 狼の不穏な舌舐めずりに、勝てて良かったと心底安堵する。

 ……とはいえ、実践なら結果は違っただろう。カウダも油断などしないだろうし、素手同士の戦いになるとも限らない。そもそも、今回の練習試合は、彼女からの歓迎の意識すらあったように思える。


「次はもっと激しい戦いをしよう」

「おまっ!? ……はぁ、全く。憎たらしい男だなぁ」


 少し挑発的に目線を送れば、カウダは尻尾を震わせる。そうして、次は容赦しないぞと牙を剥くのだった。


「ところで、なんで金が欲しかったんだ? 飯ならタダだぞ?」


 野生を落ち着けて、カウダが首を傾げる。

 宿舎の中で過ごしているぶんには金も掛からない。ケナが朝昼晩と三食しっかり作ってくれるし、暇なら鍛錬するだけだ。退屈に悩まされるということはないだろう。

 だが、俺は銀貨を握りしめて、ずっと考えていたことを口にする。


風呂テルマエに行きたいんだ。久しぶりにな」


 その言葉にカウダの狼耳だけでなく、意識だけこちらに向けていた周囲の女たちも一斉にそれぞれのケモ耳を持ち上げた。

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