第59話 選挙の裏側で

 翌朝。今日は土曜日なので、誠也とえり子はいつもより2時間ほど遅い電車で学校へと向かっていた。2人を乗せた電車がトンネルを抜けると、車窓には薄曇りの空が広がる。誠也は快晴でもなく、かと言って「どんより」とも表現しがたいその曖昧な空模様に今の部活の様子を重ね、小さくため息をついた。

 そんなざわついた心を払拭するかのように、えり子が明るい声で誠也に話しかける。

「ねぇ、誠也。そういえばね、昨日みかんからLINEが来てさ。私の誕生日会やってくれるって!」

 えり子のひまわりのような笑顔につられ、誠也の顔も自然と綻ぶ。

「あぁ、そう言えば前にみかんと約束していたもんな」

 ちなみに「みかん」とは、2人の中学校時代の共通の友人、樋口美香みかである。

「うじ。明日の昼なんだけど、誠也予定空いてるよね?」

「あぁ。俺も行っていいのか?」

「もちろん!」

 そう言ってえり子は、ピースサインをしながら可愛らしい笑顔を作る。

「じゃぁ、俺も参加できるってみかんに伝えておいてもらえるか?」

「大丈夫。もう昨日、2人で行くって返事しておいたから」

 相変わらずの笑顔で話すえり子に、誠也は呆れ顔で返答する。

「はい? なら、なんで今俺に予定を確認した?」

「まぁ、万が一、予定があったら困るから?」

「だったら、次からは返事をする前に予定を確認してくれ」

 誠也は再びため息をつくが、先ほどのような不快な気持ちは残っていなかった。


 音楽室に着くと、荷物を置いて早速楽器の準備をする。今日の部活は午前中のみ、参加は任意である。そのため部活開始時のミーティングもなく、登校してきた部員から順次練習に取り掛かっていた。誠也がパッと見まわしたところ、参加者は2年生が半数程度、1年生はほぼ全員といったところ。この参加率も今の部の状況を如実に表しているように誠也には感じられた。

 そんな中、トランペットパートは1・2年生ともに全員参加していたが、パートリーダーであるまりん先輩の判断で、パート練習ではなく個人練習となった。来週土曜日の体育祭まであと一週間となったが、演奏する楽曲は生徒の入場時の行進曲と、校歌、閉会式の際の得賞歌の3曲のみのため、部全体にあまり緊張感はない。誠也も曲の練習にそれほど時間を割く必要はないと判断し、まずは時間をかけてじっくりと基礎トレーニングに励むことにした。


 パート練習が無いとはいえ、使える教室の数に限りがあるので、個人練習は基本的にパート練習の教室となる。屋上も使えなくはないが、9月も半ばとはいえ連日30度越えの暑さが続く中、好んで屋上で練習をしようとする部員は皆無だ。誠也は冷房の効いた教室内で基礎練習をしながら、なんとなく教室を見渡す。まりん先輩は部長としての調整事が色々あるらしく、ほとんどの時間、パート練習の教室にはいなかった。えり子は今日も、初心者である穂乃香ほのかの練習に付き合っている。誠也の真向かいの窓際には、2年生の拓也たくや先輩と陽菜ひな先輩がそれぞれ練習をしている。2人の先輩を見て、誠也はふと、先日のえり子の話を思い出す。えり子曰く、2人は互いに相手を好きだという気持ちはあるが、どちらも自信が無くて言い出せないでいるのだと言う。正直誠也はそれほど2人の関係性や今後の進展に興味があるわけではなかったが、多くの部員たちが気づいている事実に対し、自分が気づけなかったことに若干のショックを覚えた。改めてこうしてみると、2人の先輩は今日も隣り合って座っているが、その間隔は他のメンバーよりも広くとられている。この距離感が、即ち今の2人の自信の無さを表しているのだろうか。


 一人で基礎練習していると、集中しているようで気付くと頭の中で違うことを考えてしまうことがしばしば起こりうる。誠也は無意識に、先ほど音楽室に到着した時の光景を思い出していた。ほとんどの1年生が参加している中、今日は陽毬ひまりの姿は見られなかった。練習熱心な陽毬は、これまでたとえ任意参加の日であっても、練習を欠かすことはなかったはずだ。やはり、これも文化祭のバンドステージを機に、えり子に対して芽生えた嫉妬心が影響しているのだろうか? それとも別の原因があるのだろうか?

 昨日、陽毬と同じフルートパートの果穂かほから「陽毬の件で伝えたいことがある」と告げられた。昨夜、果穂からのLINEで、今日の午後6時に果穂の地元である八田駅前に集合して欲しいと連絡が来た。誠也はその内容をすぐに、同行するえり子や奏夏かなたちのLINEグループへ転送した。昨日、萌瑚もこの提案で新たに作られたそのLINEグループに、陽毬はいない。


 全ては今夜、明らかになる。そう考えて、誠也は今度こそ、楽器の練習に集中することにした。


 ♪  ♪  ♪


 その日の夕方。誠也とえり子は八田駅の改札前にいた。午後6時の待ち合わせ時間までまだ20分ほどあるが、誠也たちは乗り換えの都合で早目に到着した。

「今日、どんな話になるんだろうね?」

 ツインテールに結われた髪の先端を右手の人差し指でクルクルと回しながら、えり子が怪訝そうな顔で呟く。

「まぁ、果穂さんが知っている話だからなぁ。パート内の様子とか?」

 誠也はそう言いつつも、具体的な内容については見当がついていなかった。

「うじゅ~。でもさ、果穂さんは誠也に『伝えたいことがある』って言ったんだよね?」

「あぁ」

「なんかさ、そこが引っ掛かるよね」

 そう言うえり子に、誠也も同意した。


 それから程なくして奏夏が合流、その後萌瑚も到着した。全員、果穂の指示で私服である。

「おじょ~! なんか、いっつも制服だから新鮮!」

 なんとなく湿っぽい空気の中、えり子がひまわりのような笑顔を振りまく。

「私服もリコもかわいい~」

「いえ~い!」

 萌瑚に私服を褒められ、えり子はアイドルよろしくとびきりの笑顔とウインクで応える。そんなやり取りをしていると、誠也のスマホに果穂さんからメッセージが届いた。

【お疲れ様~! みんな揃ったら南口の1階にあるファミレスに来てもらえますか?】

【了解! もうみんな揃ってるのでこれから移動します】

 誠也は返信をした後、集合場所の情報を皆に伝え、移動を開始した。

 

 指定のファミレスに到着すると、店の入り口で果穂さんが待っていた。

「果穂ちゃん、お疲れ~!」

 果穂の姿を認めるや否や、早速えり子が大きく手を振りながら駆け寄る。

「リコちゃん、お疲れ~! みんなも暑い中、遠いところありがとね~。中に入ろうか」

 5人は店内へと入った。場所は違えど、いつもトランペットパートの親睦会などでよく利用するファミレスのチェーン店。皆は慣れた様子でメニューをめくり、オーダーを済ませた。その後、各自ドリンクバーで飲み物を調達し、席に戻ると果穂が早速、本題を切り出した。

「さて、まずは陽毬の話なんだけど」

 果穂の言葉に、これまでの和やかな空気から一転、皆の笑顔のトーンが落ちる。

「今週の火曜日の部活が始まる前の事なんだけどね」

 皆の視線が集中する中、果穂は当日の出来事を話し始めた。

「陽毬が前の方の席に座っててさ、私はそのすぐ後ろくらいにいたんだけど、そこに莉緒りお先輩が来たのよ。そしたら陽毬が莉緒先輩に挨拶した後、『ひまり、早く莉緒たん先輩の指揮で吹きたいです~』みたいなこと言っててさ」

 誠也たちは日ごろの陽毬の様子から、大体その場面は想像が出来た。果穂が続ける。

「まぁ、陽毬が莉緒先輩に媚びを売るのはいつもの事だから、私も何となくそのやり取りを眺めてたんだけどね。そしたら莉緒先輩が言ったの。『これからは厳しくいくから、陽毬ちゃんもお遊びはほどほどにね』って。その時陽毬は、割といつもの調子で『は~い』って答えて、『てへぺろ』みたいな仕草してたけど、その後ちょっと神妙な面持ちでいてね。きっとみんなのバンドの事、莉緒先輩に否定されたと思ったんだと思う」

「うじょ~、にゃるほどね~」

 そう言ってえり子は、何やら考える仕草をする。

 

「その後ね、これはけいから聞いた話なんだけど。クラリネットのパート練習で莉緒先輩が新パートリーダーとして挨拶をしてね。その時、今年の文化祭で吹奏楽部が最優秀賞を逃したことに言及したらしいの。その中で莉緒先輩はね、『友梨先輩は陽毬たちのバンドの事を認めてたけど、やっぱりこれからは演奏の実力で勝負するべきだ』みたいなことを言ったらしいの。その発言も陽毬にとっては追い打ちをかけられた感じになったんだと思う」

 そう言う果穂に、萌瑚から疑問の声が上がる。

「え? ちょっと待って。それって莉緒先輩ののパート内での発言でしょ? 果穂ちゃんは慶ちゃんから聞いたって言ったけど、ひまりんは何でその話を知ってるの?」

 萌瑚の疑問はもっともである。普通に考えて、フルートパートの陽毬がクラリネットパート内の話を知ることはないはずだ。果穂が答える。

「多分ね、真梨愛まりああたりから聞き出してるんだと思う」

「真梨愛?」

 誠也が目を見開く。その驚きは他のメンバーも同様だった。

「陽毬はね、クラのメンバーからしばしば莉緒先輩の様子を聞きだしているのよ。大体は真梨愛だけど、時にはハシモとか、大翔はるととかからね」

 そう言う果穂に、奏夏が半ば呆れるように言う。

「まるでストーカーじゃん」

「はにゃ~、ひまりんと莉緒先輩、そこまでラブラブだったとはねぇ~」

 そう言うえり子に、果穂は苦笑しながら言う。

「まぁ、完全に陽毬の片思いだけどね」

「おじょ? そうなの?」

 そう言って首を傾げるえり子に、果穂が話を続ける。

「まぁ、みんなも知ってる通り、陽毬と莉緒先輩は同じ中学出身だからね。陽毬はものすごく莉緒先輩の事を慕ってるし、まぁ、莉緒先輩も陽毬の事をそれなりには気にかけている様子ではあるけど、実はそれほど親しいって訳でもないのよ。寧ろ中学校時代、コンクールで莉緒先輩の代は県の本選止まりだったけど、陽毬の代で地区大会行ってるからさ。莉緒先輩にとってはそれも面白くないのよ」

 それを聞いて、先ほどから驚きっぱなしの奏夏が呟く。

「へぇ~、そうなんだ~」

「まぁ、莉緒先輩はコンクールへのこだわりが強い人だからね」

 そう言う果穂の言葉に、誠也はかつて柑奈かんな先輩や友梨先輩、まりん先輩から聞いた「莉緒はコンクール一辺倒だから」という言葉がリフレインする。ようやく話がつながってきた誠也の思考回路に対し、えり子は更に先の問題にまで考えを巡らせていたようだ。

「うじゅ~。じゃぁ、莉緒先輩は慶ちゃんの事もあまりよくは思ってない感じ?」

 えり子がそう問うと、果穂は肩をすくめながら答える。

「残念ながら、そう言う事ね」

「慶ちゃんは中学で全国大会に行ってるもんね」

 そう言う萌瑚に、果穂は苦笑しながら言う。

「まぁ、慶が莉緒先輩に好かれていない理由はそれだけじゃなくてね」

「まだあるのか?」

 誠也がそう言うと、果穂はアイスティーを一口啜った後、続きを語り始めた。


「莉緒先輩は1年生の頃から次期部長候補としてみんなから期待をされてきたらしくてね。本人もそれを自覚して、去年の今頃、友梨先輩が部長になった頃から、部長の仕事を間近で見て学び、時には友梨先輩をサポートしてきたわけ。加えて美羽みう先輩みたいな、一部の堕落した今の2年生を引き締め、部全体の演奏レベルが上がる様に尽力してきたのも事実だと思う」

 皆、頷きながら果穂の話を聞く。

「ところが今年の春、慶が入ってきてね。慶は友梨先輩と同じ中学出身じゃない? それにさっきも出たように、莉緒先輩が経験し得なかった全国大会の経験もある。楽器も莉緒先輩より上手くて、みんなから『友梨先輩の再来』とまで言われてさ。そりゃ、莉緒先輩からしたら面白くないわけよ。そんな中で、部長選挙であの結果でしょ? 結果が出た後、莉緒先輩は友梨先輩に『美羽たちの裏工作で結果が捻じ曲げられた』って主張したらしいんだけど、友梨先輩は「3年生は関与しない」の一点張り。これで莉緒先輩は、最後の最後で友梨先輩にも裏切られたって思ったらしいのよ」

「ほぇ~。部長選挙の結果が美羽先輩たちの裏工作のせいだって思ってる時点で、うじゅ~って感じだよね」

 えり子が珍しく、皮肉っぽい笑顔でそう言うと、果穂も同意する。

「まぁね。友梨先輩は、自分自身はプロを目指して一生懸命努力をする一方で、部活に対しては部長としてある程度の「緩さ」みたいなのを許容してきたんだよね。でも莉緒先輩は、その友梨先輩の「緩さ」が、今の部の現状や今回の部長選挙の結果を招いたって考えてるのよ。だから、莉緒先輩はこれまでずっと友梨先輩を慕ってきたけど、今は『裏切られた』って思いの方が強くなっちゃってね。その怒りの矛先が今、友梨先輩を慕っている慶にまで向いてるって感じかな。実際慶は、何も関係ないのに」

 果穂の発言に誠也もあきれ顔で言う。

「まさに『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』状態だな」

「じゃぁ、今、クラはパート内で結構バチバチなの?」

 心配そうにそう聞く萌瑚に、果穂はあっけらかんと答える。

「それは大丈夫。慶は莉緒先輩より大人だから」

 その言い方に、一同失笑した。


 果穂は一呼吸置くと、続きを語り出した。

「慶はね、幼稚園の頃からピアノを始めて、クラの実力も友梨先輩が引退した今、部内でトップだからね。当然、将来はプロ奏者を目指しているのよ。だから同じくプロを目指す友梨先輩からは、これまでも直接的にアドバイスをもらうことも多いみたいで。部長選挙の時も、実は慶が美羽先輩たちの不穏な動きを敏感にキャッチして、事前に友梨先輩に報告したんだけどさ。その時も、友梨先輩からは『今は動くな、見てみぬふりをしろ』ってアドバイスされたみたい。慶も美羽先輩たちにはかなり怒ってたんだけど、友梨先輩の真意を組んで、指示に従ったのよ」

 それを聞いて、誠也は再び驚いた。

「なんか、選挙の後の口ぶりから、てっきり慶さんも裏工作については知らなかったんだと思ってたんだけど、違ったんだ!」

 果穂が答える。

「そう言うこと。まぁ、私も後になって慶から聞いたんだけどさ。ちなみにあの時のミーティングを開くにあたって、慶から陽毬に声を掛けたのも友梨先輩の指示だし、その後陽毬が莉緒先輩のサポート役に回ったのも友梨先輩の発案」

「え~! そこまで?」

 奏夏は驚きのあまり、思わず大きな声を出し、すぐに両手で口を塞ぐ仕草をした。そんな奏夏の様子を横目に、誠也は確かにあの時、慶から陽毬に「この後どうする?」と声を掛けてきたことに違和感を覚えたことを、思い出した。

 果穂は更に続ける。

「その方が陽毬の暴走を抑えらえるし、陽毬なら莉緒先輩を『ヨイショ』するから莉緒先輩の怒りも軽減できるだろうってね」

 これには誠也も、溜め息をつくことしか出来なかった。

「まぁ、そんな感じでさ、慶は友梨先輩から『部活と進路は分けて考えなさい』って言われててね。巷じゃ去年の莉緒先輩みたいに『次期部長候補』って期待され始めているけど、本人にその気は毛頭ないのよ。部内での演奏に関しても、特段吹奏楽コンクールの結果に拘る気も無い。でも今はパート内での波風を立てないよう、表向き『コンクール派』の莉緒先輩を慕っているってわけ。まぁ、慕うと言っても陽毬と違って媚びるようなことは無いし、あくまでクールに莉緒先輩の考えを支持するくらいだけどね。でも、ある意味今は陽毬が自滅してくれたおかげでさ、大分効果はあるらしくてね。莉緒先輩の中では、当初ほど慶の事を悪いようには思ってないんじゃないかしらね」

 

 果穂の話を聞いて、半ばお手上げ状態の誠也をよそに、それまで黙って聞いていたえり子が久々に発言する。

「ところでさぁ、ここまでの果穂ちゃんの話を聞いててさ、ちょっと気になったんだけど」

 果穂が何も言わずに視線をえり子に向けると、えり子は果穂に問うた。

「果穂ちゃんはさ、なんで今日、私たちにこの話をしようと思ったの?」

 

 それを聞いた果穂は、軽く目を見開きながら、笑顔で言った。

「リコちゃんって、そういうところあるよね~」

「おじょ?」

 とぼけるえり子に誠也が言う。

「そりゃ、果穂さんだって、この部を良くしたいからだろ?」

 何を当たり前のことを、と思いつつ誠也がそう言うと、果穂も続ける。

「そう、誠也くんの言う通り。私もこの部を良くしたいと思っているからだよ。でもリコちゃんは『他に何か理由があるんじゃないの?』って思ってるんだよね?」

 それに対し、えり子は素知らぬ顔で答える。

「うじゅ~。もちろん、果穂ちゃんも部をより良くしたいって思ってるのはわかる。でも果穂ちゃんは慶ちゃんと仲良しだから、慶ちゃんたちのグループでいろいろ変えていくことは出来そうじゃない? それなのに、何でひまりんのいる私たちのグループに、しかもわざわざ学校の外でお話する理由ってなにかな~って思ってさ」

 

 えり子の言う通りだ。誠也は俄かに緊張した表情で果穂の返答を待った。

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