第58話 見えない状況

 新体制の部活がスタートした翌朝。誠也せいやとえり子は学校に到着すると、朝練に参加するため、いつも通り音楽室へ向かった。今週から朝練の参加は任意となったが、この日は凡そ3分の2の部員が参加していた。

 楽器庫から楽器を取り出し廊下に出たところで、昨日先に帰ってしまった陽毬ひまりとすれ違った。

「あっ、リコ! 誠也くん! おはよ~。今日も暑くなりそうだね~」

 陽毬は何事もなかったように、いつもの笑顔で元気に挨拶した。

「おじょ~! ひまりん~! おはよ~」

 えり子も陽毬に合わせて何事も無かったように挨拶を返すが、その後微妙な表情で誠也を見ると「うじだね~」とだけ呟いた。誠也はそんなえり子の様子を見て、何も言わず小さなため息をついた。

(女子って、よくわかんね~な)

 

 その日の夕方。部活が終わると、今日も陽毬は急いで帰ってしまったようだ。昨日同様、誠也はえり子、奏夏かな萌瑚もこの4人で帰路に就く。陽毬のことが気がかりであったが、校内やスクールバスの中では他の部員がいるため、迂闊に話ができない。そのため、いつも重要な話題に触れられるのは萌瑚と別れて電車に乗った後である。

「今日もさ、ひまりん先に帰っちゃったね」

 そう言う奏夏に、えり子はため息交じりで言う。

「うじだね~。まぁ、理由は大方予想がつくけどね」

「まさか、文化祭でえり子が人気者になったからとかか?」

 誠也が問いに、えり子が答える。

「うにゃ~。まぁ、そのまさか、だろうね~」

 えり子の発言に呼応するように奏夏もため息をつく。恐らくえり子の返答が、奏夏の予想していた通りだったからだろう。

 

「そう言えば、前にもそんなことがあったな」

 その話を聞いて、誠也はふと、夏休みにヤマさんのスタジオでバンドの練習をした際の、陽毬の様子を思い出した。

「はにゃ? 前にも?」

 えり子が首を傾げる。

「おう。あれは確か、お盆明け最初のバンドの練習の時だったと思うんだけど。初めて『アイドル』をやった日」

 誠也はその時、陽毬と交わした内容を二人に話しはじめた。

「あの時、えり子がすごいパフォーマンスを披露してさ。みんなで『すごいね~』って盛り上がった後、休憩時間になってロビーに行ったらさ、ひまりんが椅子に座ってうなだれていてね。それで、俺が『どうしたの?』って声を掛けたらさ、ひまりんが言ったんだよ。『リコのあのパフォーマンスは相当努力している。アイドル4年目の自分があっさり抜かれてショックだ』って」

「そんなことがあったんだね」

 誠也の話が終わると、奏夏が驚いた表情でそう呟く。

「そっか、さかなはあの日、いなかったもんな」

 誠也は当日、奏夏は帰省中でいなかったことを思い出した。

「うん。でもさ、それって、ひまりんがリコの努力を認めてたってことだよね?」

 そう奏夏が続けると、今度はえり子が答える。

「うーん、だからじゃないかな?」

「え?」

 えり子は奏夏の方を見ずに、自身のつま先の辺りに視線を落としながら続ける。

「つまり、もともとアイドルやってるひまりんから見たら、それがどれだけ大変なことか分かる。だからこそ、私に『負けた』って思ったんだよ。きっと」

「そうかもな。だから今回も単にえり子が人気になったって言う嫉妬じゃなくて、実力で負けたって思ってるんだろうな」

 えり子の発言を受けて誠也がそう言うと、奏夏が続ける。

「あと、それプラス、嫉妬もかな〜」

 そんな奏夏にえり子も頷く。

「かもね。ひまりんからしたら、私だけが人気が出て、しかもその上、誠也と付き合いだしたから、面白くないんだと思う」

 誠也は目を見開いてえり子に問う。

「え? まさかひまりんもとか言うんじゃないよな?」

 そんな誠也にえり子はいつもの笑顔を取り戻し、言った。

「おじょ~! 今日の誠也さんは勘が冴えてますねぇ」

「まじかよ?」

 そう言って眉間にしわを寄せる誠也に、今度は奏夏が言う。

「まぁ、まりん先輩や真梨愛まりあちゃんほど本気じゃないと思うけどね」

 するとえり子が突然、誠也の方を向くと、いたずら顔で言った。

「まりん、ひまりん、真梨愛ちゃん! なんか、語呂いいね!」

「おい……」

 誠也は言葉に詰まった。「多希は?」という疑問は心の中に留めておくことにする。

「いずれにしてもさ、いつも萌瑚ちゃん抜きでの話になっちゃうから、久しぶりにみんなで集まろうか」

「そうだね」

 えり子の提案に奏夏も賛同し、金曜日の放課後、萌瑚も交えてご飯を食べに行くこととなった。

 

 その後、途中の駅で奏夏と分かれた。その後も難しい顔をしている誠也に、えり子は言った。

「ねぇ、誠也」

「ん?」

「私達さ、付き合い始める前から毎日一緒にいるけどさ、結局二人だけの時間ってこの時間だけじゃない?」

 えり子の言葉に、誠也は改めて毎日の行動を振り返る。誠也とえり子は近所に住んでいるため、朝は地元の駅で待ち合わせをし、一緒に登校する。その後も部活では同じトランペットパート、授業も同じクラスであり、帰りに地元の公園で分かれるまで基本的にはずっと行動を共にしている。しかし、学校に行けば常に誰かがいる。そう考えると、実は二人きりで過ごす時間は行き帰りの電車の中くらいだということに、誠也は今更ながら気が付いた。

「まぁ、確かにそうだな」

「だからさ、この時間は部活の事とか忘れて、2人だけの時間にしよう」

 そう言って、えり子は誠也に身を寄せた。

「そうだな」

 誠也もそう言って、少し微笑んだ。


 ♪  ♪  ♪

 

 金曜日。放課後、いつものように誠也はえり子と穂乃香ほのかの3人で共に音楽室へ向かっていると、階段で偶然、美羽みう先輩と涼乃すずの先輩に出会った。2人は先の部長選挙裏工作事件の「首謀者」である。誠也たちは反射的に身構えるが、相手は先輩であり態度に出すわけにはいかないので、自然な笑顔で挨拶をする。すると、先輩2人も笑顔で挨拶を返してくれた。しかし、誠也がそのまま去ってくれと思っていると、美羽がえり子に話しかけた。

「リコちゃん、すっかり校内で大人気だね」

「え~、そんなことないですよ~」

 えり子は精一杯自然にふるまう。

「なんかさ、優奈ゆうなとかに最近、嫌味言われてるかもしれないけど、気にしないでね~。私たちは応援してるからさ~」

「あ、はい……」

 涼乃先輩の予想だにしない言葉に、えり子はあいまいな返答することしかできなかった。そして、あまりの出来事に3人はその後、音楽室に入ってもその話題には触れることが出来なかった。

 

 定刻になり、いつも通り部活が始まる。今日はまず、各係のリーダーが発表された。例年だと部長等の役員が発表される際に同時に発表されるそうだが、今年は部長選挙のゴタゴタで人事が遅れたようだ。

 全体ミーティングの後、今日はまず各係でのミーティングに移る。誠也が早速、所属する大道具係の指定された教室に向かうと、フルート1年の松村果穂かほが既に座っていた。

「お疲れ~」

 互いに挨拶を交わし、誠也は空いている席に着く。

 果穂とは共通する話題も無く、無言の気まずい時間が流れる。誠也は何か話題はないかと考えていると、果穂は陽毬と同じフルートパートであることを思い出した。

「ねぇ、果穂さん。最近、パート内でひまりんに変わった様子は無い?」

「え~? 陽毬? 特に普通だと思うけど。どうかしたの?」

 果穂は不思議そうな表情で誠也に答えた。

「いやね、文化祭の前までは毎日一緒に帰ってたんだけど、今週に入ってから、部活終わるとすぐに帰っちゃうんだよね」

「えー、そうなんだ」

 そこまで話すと、2年生の本間琴里ことり先輩と飯田柑奈かんな先輩が教室に入ってきた。

「あ、お疲れ様で~す!」

 果穂は先輩たちに挨拶をし、そこで誠也との話は終了となった。

 

 大道具係のミーティング自体は簡単に終わった。新リーダーの琴里先輩の挨拶に続き、まずは近日中に倉庫の整頓をしようという事以外は、特に連絡事項も無かった。

 ミーティングが解散になり、皆それぞれパート練習会場に戻っていく。誠也もそれに続いて教室を出ようとしたところ、果穂に呼び止められた。

「あ、誠也くん、ちょっと待って」

「ん? どうした?」

 誠也が振り向くと、果穂は教室の奥の方の席で手招きをする。

「文化祭の前に譜面隠し作ったでしょ? あのことで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「ああ、良いよ」

 そう言って誠也は果穂の方に向かう。

「ちょっと待ってね。資料探すから」

 そう言いながら果穂がタブレットを操作しているうちに、他の部員たちは教室から去って行き、教室内は誠也と果穂の二人きりとなった。それを認めると、果穂は小声で言う。

「陽毬の件で誠也くんに伝えたいことがある」

「え?」

 誠也が思わず声を上げて目を見開くと、果穂は「静かに」と言うように人差し指を唇に当てるジェスチャーをし、誠也を制止する。

「ひまりんのことで何か知ってることがあるのか?」

 果穂に従い、誠也は小声で問う。

「うん。でも学校じゃ言えない。明日の夕方、うちの地元まで来れる?」

「果穂さんの地元ってどこ?」

「八田駅」

 八田とは誠也の住む潮騒市よりも更に都心寄りに位置する。学校からは距離があるが、行けないことはない。

「分かった。えり子たちも連れて行っていいか?」

「リコちゃんの他に誰がいる?」

「多分、奏夏と萌瑚」

「そのメンバーならOK。その代わり、その他の人には絶対に言わないで」

「わかった」

「あと、念のため私服で来て」

「随分と厳重だな」

「これがバレると、私の身が危ないんだわ。詳しくは今夜LINEする」

「わかった」

 誠也と果穂は事務的な会話を終え、教室を出た。


 今日も17時半で部活が終了した。誠也が楽器を片付けて音楽室隣の教室に入ると、既にえり子、奏夏、萌瑚が集まっていた。陽毬は今日も相変わらず早くに帰っていったらしい。今日はこの後、このメンバーで食事に行く約束をしていた。

「それじゃぁ、そろそろ行こうか~」

 誠也が合流したところでそう言って出発しようとするえり子に、誠也はストップをかける。

「ちょっと待って」

 そう言いながら、誠也は周囲を見渡す。教室内には誠也たちの他は誰もいない。廊下には何人かの生徒が談笑しているのが見えた。しかし、こちらはいつものメンバーなので、集まって話していても他の部員は何も気にしないだろう。誠也はここで先ほどの果穂さんの話を皆に伝えることにした。

「実は、みんなに伝えたいことがあるんだけど」

「なに?」

 奏夏が怪訝そうに問う。誠也は声のトーンを落として話し始める。

「さっき、大道具のミーティングの時に、果穂さんからひまりんについて話したいことがあるって言われたんだ」

「果穂ちゃんから?」

 えり子が目を見開く。

「あぁ。でも、学校内じゃ無理だって言われて。それでな、明日の夕方、話を聞くために果穂さんの地元の八田駅に行くことにしたんだけど、みんなは来れるか?」

 誠也の問いかけに、まずは奏夏が答える。

「いいけど、わざわざ八田までって、随分厳重じゃない? 何かしらね」

 誠也が先ほど抱いた疑問と全く同じ疑問を皆も抱いている様子だ。

「内容はわかんないけど、果穂さんはものすごく警戒してた」

 誠也は時折、廊下の様子を気にしながらそう言った。

「もしかしてさ。私たちも今日、迂闊にその辺で話しない方がいいのかなぁ?」

 えり子は心配そうに、そう提案する。

「もしかしたらな。今日は首謀者も変な動きしてたしな。念のため、今日はやめておくか」

 誠也がそう言うと、奏夏も同意をするように頷く。

「ねぇ、本当はあんまりこう言う事したくないんだけどさ……」

 そう前置きをしてから、今度は萌瑚が提案する。

「一応さ、明日の事もあるし、ひまりん抜きのこの4人でLINEグループ作っておかない?」

 萌瑚がそう言った後、一瞬の間が空いたのちに、奏夏が首をすくめていう。

「そうだね。私、あとでグループ作ってみんなを招待するわ」

 奏夏申し出に、皆も同意した。


 その後、4人はいつも通りバスで駅に向かい、萌瑚とは別れた。誠也、えり子、奏夏の3人は電車に乗り、周囲を警戒しながら先ほどの話に戻る。

「ひまりんについて果穂ちゃんが何かを知ってるってことは、パート内の出来事だよね?」

 奏夏が難しい顔をしながらそう言うと、えり子は考え込む仕草をしながらそれに応える。

「まぁ、もしくはけいちゃん絡みか」

 果穂はクラリネットパートの上原 慶を中心としたグループに属している。慶も1年生の中ではそれなりに影響力がある人物であるが、誠也たちとは直接的な接点はなく、どちらかと言うと距離を置いていた。

「まぁ、いずれにしても、明日だな」

 誠也はそう言いながら、何度目かのため息をついた。

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