第6話 不穏な雰囲気

 5月3日水曜日。


 今日から学校は5連休となるが、そのうち土曜日までの4日間は毎日部活がある。

 6月24日定期演奏会に向けて、楽器の練習はもちろんのこと、比較的時間に余裕のあるこの連休中は、各係の活動も活発に行われる予定である。


 早速連休初日の今日は、午前中パート練習が行われたのち、午後は係活動に充てられることとなった。先週の希望調査で、誠也せいやは主に舞台背景などを製作する大道具係、えり子は演奏会の構成台本を担当する構成係となった。

 

 

 午後1時。係活動スタート。誠也は大道具係の集合場所である教室へ移動した。

 

「おー、これだけ揃うと圧巻ですなぁ」

 

 大道具係リーダーでトロンボーンの平山亮太りょうた先輩が感嘆の声をあげた。今年度の大道具係は1年生6名、2・3年生それぞれ5名の計16名が配属となっている。

 

「では、これから大道具係のお仕事について説明しますね」

 

 引き続き、平山先輩より作業の説明があった。

 

 今年、大道具係のメインとなる一番の大仕事は、演奏会当日ステージに吊るす看板が老朽化していたため、それの新規作成とのことだった。

 

 手順としては、タブレットで作成した文字をプロジェクターで映し出し、模造紙に書き取って型紙を作成。その型紙をもとに今度は発泡スチロールの板を専用のカッターでくり抜くという、やや手間のかかるものだった。


 誠也はこういった作業が好きなので、心を躍らせながら指示を聞いていた。


「1年生は6人だから、3人ずつに分かれようか。左側の3人は俺と一緒にやろう。右側の3人は、直樹なおき、頼むわ」


 平山先輩は端的に指示を出していく。


「OK」


 直樹先輩も阿吽の呼吸で指示を受ける。誠也と2名の女子生徒は直樹先輩と共に作業をすることになった。直樹先輩が女子生徒2人に挨拶する。


「トランペットパートの清水です。お二人のお名前は?」


 凛とした雰囲気の女子生徒が先に応える。


「クラリネットパートの大塚真梨愛まりあです。よろしくお願いします」


 続いてもう一人も、ややおどおどしながら答える。


「あ、えっとー、えっとー、サックスパートの小野寺です。よろしくお願いします」


 誠也も女子生徒二人とは話をしたことが無かったので、改めて自己紹介する。


「俺はトランペットパートの片岡です。よろしくお願いします」


 それぞれが簡単に名前を自己紹介したところで、直樹先輩に連れられて作業のため、別の教室に移動した。


 1年生3人がホワイトボードに模造紙をマグネットで張り付けている間、直樹先輩は慣れた手つきでタブレットを教卓の機器に繋ぎ、プロジェクターで文字を映し出した。


「誰か、文字の輪郭をペンで書きとってくれるか?」


 直樹先輩がそういうと、真梨愛がすぐに応えた。


「私やります」


 真梨愛は映し出された文字の輪郭をすらすらとペンで正確に写し取っていく。程なくして一文字目が書きとれた。


「そしたら、今書きとった文字は誠也と大塚さんで切り抜いてもらおうかな。小野寺ちゃんは俺と新しい文字をやろう」


 直樹先輩の指示で二手に分かれて作業が始まった。真梨愛が模造紙をホワイトボードから外している間に、誠也は机をいくつかくっつけて作業スペースを作った。真梨愛が作業箱からハサミを2丁取り出し、1丁を誠也に差し出した。


「どうぞ」

「ありがとう」


 誠也はハサミを受け取ると、早速模造紙を切り取り始めた。作業をしながら誠也は真梨愛に話しかける。


「大塚さんはどこの中学校出身?」


 真梨愛は手元の模造紙から目を離さずに答える。


「野原八中」


 誠也は軽く目を見開いた。野原市立第八中学校は吹奏楽コンクールで全国大会の常連校である。


「すごいな。そしたら、去年は全国行ったんだ!」


 興奮気味の誠也に真梨愛はそっけなく答える。


「まぁ、銀賞だったけどね。片岡くんは?」


「俺は若葉中。潮騒の」


「コンクールは?」


 真梨愛は相変わらず真剣な表情でハサミを進めながら、ぶっきらぼうに聞いてくる。


「B編県予選でダメ金」


「そうなんだ。良い音してるのにね」


 誠也は怪訝な顔をする。


「俺の音、聞いたことあるの?」


 2人が両サイドからハサミを進めていって、もう少しで落ち合うという地点の少し前で真梨愛は切るのをやめた。残りは誠也が切れと言うことだろう。誠也は意図を理解し、中心に向かって切り進めた。


「基礎練の時とか。片岡くんの音は抜けてくるから判る」


 ちょうど一文字目が切り終わった。誠也が直樹先輩に指示を仰ぐ。


「直樹先輩、一文字目、終わりました」


 直樹先輩は小野寺さんと作業をしながら指示を出す。


「OK! そしたら、タブレットで次の文字表示して、同じ作業やって」


「了解です!」


 誠也と真梨愛は再び、模造紙をホワイトボードに貼る作業から始めた。真梨愛が黙々とペンで文字の輪郭をなぞる様子を、誠也は黙ってみていた。真梨愛が書き終えると二人はホワイトボードから模造紙を外し、再びハサミで切り抜く作業に移る。


「黙々と作業して、大塚さんって職人みたいだね」


 誠也はハサミを進めながら沈黙に耐えかねて話しかける。


「こんな作業させられて楽しい?」


 真梨愛の丁寧な作業ぶりとは裏腹に、意外な返答され誠也は一瞬戸惑う。


「俺はこういう作業、割と好きだけど」


 真梨愛は一瞬ハサミを止めてため息交じりに言う。


「そりゃあさ、ここの高校は入った時点で今更全国行きたいとか言うつもりはないけどさ、練習時間削ってまでこんな作業させられるとはね」


 誠也はあまり良い気持ちはしなかった。


「でも、これだって、演奏会には必要な仕事だろ?」


「それはわかってはいるけど、別に去年の看板に回数の数字だけ替えればいいじゃないの」


 誠也はそれに対し答えずに、黙々とハサミを進めた。すると、真梨愛は再び口を開く。


「そろそろコンクールのメンバーが発表になるらしいけど、楽器の上手い下手に関わらず3年生から優先に選ばれるらしいよ。知ってた?」


 その件は誠也も噂を耳にしていた。


「ああ、誰かが言ってたの聞いた」


「あり得なくない? 勝つ気がないならコンクールなんて出なきゃいいのに」


 誠也はため息をついた。


「まぁ、正論だけどね」

 

 それは誠也が中学生時代、何度もディスカッションを繰り返した話題だった。しかも当時の誠也は今の真梨愛と同じ意見だった。その考えを180度変えられたのが、去年のコンクール。しかしそれを今、初対面の真梨愛と討論する気にはなれず、誠也はあいまいな返事でお茶を濁した。



 17時になり、今日の部活が終わった。誠也とえり子が音楽室を出るとき、奏夏と一緒になった。


「はにゃ! さかな~♪」


 えり子が笑顔で奏夏に声をかける。奏夏は一瞬びっくりした表情をしたが、すぐに事情を悟った。


「直樹先輩ね、バラしたの」


 そういって、奏夏は若干ふくれっ面をした。


「嫌なのか? この呼び名」


 誠也が問うと、奏夏は不服そうに答えた。


「嫌じゃないけど、高校に入ったのを機に別の呼ばれ方もいいかなって思ってたから……」


「うーん。でも、さかなって呼び名、私は可愛いと思うよ! さかなって呼んじゃダメ?」


 えり子が笑顔でそういうと、

「まぁ、どっちでもいいけどね」

 と、奏夏も渋々承知した。


「ふふ~、さかな~♪」

 えり子はご満悦の表情である。

 

 3人はそのまま一緒に帰ることにした。同じバスには吹奏楽部の他の生徒たちも乗っていたので、他愛もない話をしていたが、電車に乗り換えて3人になってから、誠也は今日の真梨愛との出来事を話した。すると、えり子も構成係の話を始めた。

 

「はにゃ~、構成係にもいたな~。木村夏鈴かりんちゃんって子。ホルンだよね?」


「うん。彼女、野原八中出身で、去年全国銀賞だったんだけどさ」

 奏夏が暗い表情で答える。


「全国銀だったら、さかなの中学校と一緒じゃん! ホルンすごいね!」

 えり子が驚いて言う。

 

「そうなんだけど、夏鈴は金取れなかったの相当悔しがっててね。まぁ、この高校で全国目指すとか、そういうんじゃないみたいなんだけど」

 

 誠也は奏夏の言葉に聞き覚えがあった。

「そういえば大塚さんも野原八中出身で、今日、同じようなこと言ってたな。別に今更全国目指してるわけじゃないって」

 

「もにゃ? じゃ、何が不満なの?」

 えり子が怪訝そうに言う。

 

「そりゃ、コンクールメンバーの選出方法だろうね」

 

 誠也の答えに奏夏も大きくため息をつきながら頷く。


 ホルンパートは現在、各学年2名ずつ、計6名いる。奏夏曰く、そのうち3年の杉本茜里あかり先輩はそれなりに楽器のスキルが高いものの、それでも奏夏や夏鈴のレベルではなく、その他3人の先輩は、演奏のレベル的にはさらに下とのことだった。


「つまり、学年で言うと技術的に完全に逆転現象が起きているってことだね」


 誠也の言葉に奏夏が頷く。


「まぁ、忖度しないで言うとそう言うことなのよ。そんな状況で、『この高校は毎年3年生から優先してコンクールメンバーに選ばれる』って噂を聞いて、夏鈴が激怒してるってわけ」


「先輩たちは?」

 今度はえり子が尋ねる。


「さすがに夏鈴も先輩たちの前ではうまく振舞ってくれてるから、今のところ問題にはなってないけどね」


 奏夏はそう答えた。そんな話をしている間に奏夏が乗り換える駅に着き、奏夏は電車を降りて行った。



「もげだねぇ~」

 えり子が良くわからない「えり語」でため息をつく。


「まぁ、よくわからないけど、言いたいことは分かるよ」

 誠也はえり子に相槌を打ちつつ、同じくため息をついた。


(これは面倒くさいことになりそうだな)


 ♪  ♪  ♪

 

 翌日。今日も朝9時から午後5時まで練習だった。昼休み、トランペットパートの1年生5人は一緒に学食で昼食をとることになった。

 食事が一段落した頃、誠也はおもむろに昨日の真梨愛と夏鈴の話をした。


 誠也が話し終わると、まず初めに口を開いたのは穂乃香ほのかだった。


「私、よくわかんないんだけど、うちみたいに3年生からコンクールメンバー選んでいくやり方って異常なの?」


 誠也が答える。

「いや、そんなことないと思うよ。3年生優先で選出してる学校も多いと思うし、もちろん学年関係なく毎年オーディションで選出している学校もあるだろうし。それぞれじゃないかな?」


「なるほどね。リナはどう思う? 附属中も同じシステムなんでしょ?」


 穂乃香は恵梨奈えりなに話を振った。


「そうね、附属中も同じ感じだったから私自身、ヤマセンのやり方に疑問を感じないし、実際中学時代もそういう意見出たことなかったからね。でも、強豪校からすると不満なのかもしれないね」


 また一同、うーんと唸る。


颯真そうまくんはどう思う?」

 さっきから難しい顔で腕組みをしている颯真にえり子が振った。


「うーん、どの意見も間違いじゃないからね。難しいよね。俺個人としては、ヤマセンのやり方で別に構わないと思うし、うーん、正直どっちでもいいかな」


「え~! なげやり~!」

 えり子が笑って颯真をからかう。


「ごめんごめん、そういう悪いニュアンスじゃなくってさ。どちらの方針でも俺は従いますよって意味でさ」


 慌てて弁明する颯真だったが、誠也が「ぶっちゃけ、俺もそう」と同意すると、胸をなでおろした。


 ちょうどその時、近くを副顧問の「ミクセン」こと萩原はぎわら未来みく先生が通りかかったのをえり子が見つけた。

 

「みくせんせ~い!」


 えり子が満面の笑みで手を振ると、ミクセンは誠也たちのテーブルまで来てくれた。ミクセンは村上光陽高校吹奏楽部の卒業生であるため、誠也たちにとっては大先輩でもある。


「おやおや、君たちはトランペットパートのメンバーだね!」

 ミクセンが親しみやすい笑顔で話しかける。


「未来先生、ちょっと聞いてもいいですか?」

 えり子がミクセンに問いかける。


「なぁに?」


「ここの吹奏楽部って、3年生から順にコンクールメンバーを選んでいくって聞いたんですけど、それって未来先生が現役だった当時からの、ヤマセンの方針なんですか?」


 えり子が屈託のない笑顔でいきなり核心に迫る。こういう時のえり子は本当に上手いなと誠也は思った。


「ズバリ聞いてくるわね。そうよ。当時から一緒ね」


 ミクセンは恐らくこういった質問を受けるのは、初めてではないのだろう。動じることなくさらりと答えた。そして逆に誠也たちへ質問してきた。


「ちなみにあなたたちは賛成派? 反対派?」


 誠也は一瞬怯んだが、えり子がまた笑顔で返す。


「正直、どっちでも良い派です」


 ミクセンも笑顔で続ける。


「あなたたちは賢いわね。ヤマセンは生徒の自主性を尊重する方針だから、私も余計な口出しはしないようヤマセンにクギを刺されているんだけど、あなたたちに余計な口出しは無用の様ね」


「えへ♪」


 えり子は小さく舌を出して笑った。ミクセンは「それじゃ、午後も練習頑張ってね」と言って去っていった。

 誠也たちも午後の練習時間が近づいていたため、音楽室に戻ることにした。


 音楽室へ戻る途中、誠也は隣で、ツインテールの髪先を人差し指でクルクル回しながら歩いているえり子に声をかけた。


「さすがのえり子でも、今回は相手が一枚上手だったな」


 えり子は苦笑いで答える。

「さすが片岡! やっぱりわかった?」


「まぁね」


 誠也の予想通り、えり子はミクセンからもっと有益な情報を聞き出したかったようだ。誠也が続ける。


「でも、さらっとかわされちゃったね」


「ああいう風に言われちゃったらさ、これ以上私も食い下がれないもんね。ずるいよ、ミクセン!」

 そういってえり子は頬を膨らませる。


「えり子って、可愛い顔して意外とだよな」


 誠也がそう呟くと、えり子はパッと顔を明るくさせた。


「え? 片岡、今、私のこと可愛いって言った?」


 誠也は呆れ顔で言う。



「そこ拾ってんじゃねーよ」

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