第10話 会えたのよ

 運動会ではしゃぎ疲れたのか、いつの間にか寝ていたアビーは夢の中で暗い中に一際明るく輝いている場所に気付く。


「あれ、なんだろう?」


 アビーは回りの様子からなんとなく夢の中だとは思っているが、その光が射す方向はなんだか懐かしい感じがする空間だった。


 それほど歩いた気はしないが、やっと辿り着いたその光射す空間にはかつて歩だった頃の父親がそこにいた。


「あ! お父さんだ!」


 アビーは久しぶりに見た父親の姿をそこに見付け嬉しさのあまりに「お父さん!」と叫びながら、その空間に入ろうとするが見えない何かに遮られ、父親に近付くことは出来なかった。


「あれ? なんでだろ。ここから先には行けないみたいだ。もう、そこにお父さんがいるのに、なんで! ほら、お父さん。見てよ! 僕は元気になったんだよ! お父さん」


 ~父親視点~


 仕事から帰ってきた父親が部屋に入ると、食卓の上には弁当が一つ置かれていた。


「また、これか……おい!」

「スゥスゥ……」


 父親の視線の先にはウィスキーが少しだけ残ったグラスを片手に食卓に突っ伏したまま、静かに寝息を立てている妻の姿がそこにあった。


「もう、三ヶ月も経つのにまだ立ち直れないのか……もう、無理なのかな……」

「歩……ふふふ……」

「歩は亡くなったんだ。いい加減、立ち直ってくれよ。なあ、頼むよ」

「スゥスゥ……」


 父親は泣き疲れ、酔いに身を任せている妻であり、歩の母親だった女性をジッと見る。


「俺と別れれば、自由にしてやれるのかな……」


 父親はスーツの内ポケットにしまっている『離婚届』の用紙をスーツの上からそっと撫でる。


「忘れることが出来ないのはお前だけじゃないんだ。分かってくれよ……」


 父親は寝ている妻の肩に毛布を掛けると自室へと入る。


 ~母親視点~


 歩の父親であった夫が部屋に入るのを確認すると、肩に掛けられた毛布がずり落ちないように手で抑えながら、ゆっくりと身を起こす。


「……また、寝てしまったみたいね。もう、どのくらいあの人と話していないのかな」


 母親はハァ~と嘆息してから、小さな仏壇の前に置かれた歩の遺影に目を向けると「もう、ダメなのかな」と呟く。


 自分でもこのままじゃダメだというのはよく分かっているつもりだが、起きている間はどうしても亡くなった歩のことを考えてしまうため、そこから逃げ出したくなる。そして、気が付けばウィスキーに手が伸びてしまい、気が付けば夫が帰ってきたのも気付かない程に酩酊するのが日課になってしまっていた。


「どうしてこうなっちゃったのかな……ねえ、歩。教えてよ、私はどうすればいいの? ねえ、教えてよ!」


 ~アビー視点~


「なんで! お父さん、どうして。お母さんまで!」


 アビーは両親との間を隔てている見えない壁を思いっ切り両手で叩くが、向こうにいる両親が気付くことはない。


「お父さん! お母さん! 僕だよ! ねえ!」


 やがて向こう側にいる父親はベッドに入り、眠りに就く。母親はそのままの姿勢で食卓に突っ伏した状態で寝てしまったようだ。


「お父さん……お母さん……話したかったな……」


 アビーは空間の向こう側に行けないもどかしさを感じつつ、踵を返す。


「ねえ、あなたは誰?」

「なあ、教えてくれないか。ここは一体「お父さん!」……ん? お父さん?」

「お父さん!」


 アビーは振り向いた先にいた両親に声を掛けられ驚くが、二人の問いに答える前に会えた嬉しさから父親の胸に飛び付く。


「ねえ、この子、今あなたのことをって言ったわよね?」

「……そうだな。俺の聞き間違いでなければ確かにそう言った」

「ねえ、答えたくなければいいけど「違うからな!」……そう。私としてはそれでも嬉しかったんだけどね」

「ん? どういうことだ?」

「だって、私は歩をちゃんと産んで上げられなかった。育ててあげることも出来なかった。でも、たとえ他所よそ女性ひとに産ませた子だとしてもあなたの子だもの」

「「違う!」」

「「え?」」


 父親とアビーがそろって違うと答えれば、今度は両親二人が揃って驚く。


「お母さんも聞いて!」

「「お母さん?」」

「おい、どういうことだ?」

「ち、違うわよ! 私は歩一人しか産んでないわよ!」

「でも、今って言ったじゃないか!」

「……そうね。確かに言ったわね。ん?」

「どうした? 何か思い出したのか?」

「そうじゃないわよ。いい?」

「なんだ? 言い訳か?」

「だから、違うわよ! あのね、この子はあなたを、私をって呼んだのよ」

「だから、それが……え?」


 両親二人は何かに気付いた様で、ゆっくりと父親の胸で嬉しそうにしているアビーを見る。


「もう、やっとのこと思い出したの?」

「「……」」

「そう、僕! アビーだよ。あ! 違った、歩だよ。今はアビーって呼ばれているの」

「「……」」


 両親はそう告白するアビーを繁繁と見るが、その姿形は歩だった頃の面影はどこにもない。どこにもないが、両親二人はと否定出来ない何かを感じ取っていた。


「だから、僕は歩だったけど、今はアビーとして別の世界で暮らしているの! 昨日なんかね、運動会で一番速かったんだよ! ね、凄いでしょ!」

「あ、歩?」

「違うよ、今はアビーだよ。ごめんね」

「ねえ、今だけでいいの。歩って呼ばせてもらってもいいかしら?」

「ん~いいよ。お母さんの頼みだもの」

「ふふふ、歩はダメなのに私のことはお母さんって呼ぶのね」

「あ! ダメだった?」


 母親は父親の胸に抱かれているアビーをギュッと自分の胸に抱き寄せる。


「いいのよ。あなたが歩でもアビーでもいいの。だって、こんなに幸せそうなんだもの。ねえ、あなた」

「あ、ああ。そうだな。俺も歩と呼んでもいいかな」

「いいよ! もう、今日だけ特別だよ」

「「歩!」」


 アビーは二人の間でもみくちゃにされながらも、前はこんなことされたことがなかったなぁと考えていたが、やがて二人は離れアビーをジッと見る。


「ねえ、どうしてこうなったのか分かる?」

「僕には分からないよ。でも、夢の中で光る場所があったから、そこを目指していたら、お父さん達が見えたの。僕ね、お父さん達に気付いて欲しくて一杯叫んだんだよ。でも、二人とも疲れているみたいで全然、僕に気付いてくれなかった。その内、二人とも寝ちゃったから僕も帰ろうと思って振り返ったらお父さん達がいたんだよ!」

「「……」」


 アビーの説明に二人はバツが悪い顔をする。


 アビーである歩がいなくなってから、生きる張り合いをなくしてしまい、ただ日々をダラダラと過ごしていたのをアビーに見られてしまったのだから。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない。それよりもその……なんだ、そっちでの生活を話してくれないか」

「そうよ。お父さんとか、お母さんの話も聞かせてよ」

「いいよ。あのね……」


 それから、アビーは二人に対し生まれてからリレーで一等賞になるまでの全てを二人に対し身振り手振りで一生懸命に話した。


 二人はアビーの話を聞きながら、歩だった頃に出来なかったことを今は楽しく出来ていることに涙するが、アビーはそんな二人の様子に気付くことなく話し続けた。


「そう、歩……アビーは楽しいのね」

「うん! そうだよ。お父さん達も優しいし、ゴン爺もドン爺も優しいんだよ。あとね……お母さん?」

「ごめんね。もう少しだけ、もう少しだけ、このままでいさせて」

「お母さん、どうしたの?」

「……」

「お父さん、お母さんはどうしたの?」

「歩。俺からも頼む。今の時間が後、どの位残っているかは分からない。分からないけど、今はお母さんの望む様にしてやって欲しい」

「いいけど、変だよ。お母さん」

「ごめんね。歩、本当にごめんね。あなたを丈夫に生んであげられなくて。あなたを死なせてしまって、ごめんなさい!」

「お母さん、僕はお母さんのことを一度も悪く思ったことなんてないよ。だから、そんなこと言わないでよ」

「でも「お母さん、僕は今楽しいの」……そう……楽しいのね」

「そうだよ。だから、お母さんも元気になってよ、ね」


 アビーから元気になって欲しいと言われた母親は流れ落ちる涙を拭うとアビーの顔を撫でながら「なんだか大人になったのね」としみじみと言えば、父親はアビーをもう一度抱っこしながら「本当に元気なんだな」と呟く。


「お父さん、お母さん、もうすぐ時間みたいだよ」

「「え?」」

「だって、ほら!」


 アビーが指差す方向を見れば、そちらは両親がいた空間とは逆方向でアビーが歩いて来た方向が、段々と明るくなっていくのが見えた。


「ね、もうお別れみたい……」

「そんな、あなた! どうにかならないの!」

「無茶言うなよ。ここにいるのだって、どうしてなのかも分からないのに」

「でも……やっと歩に会えたのに」

「お母さん、僕は今はなんだ。僕には帰る場所があるんだよ」

「いいじゃない。このまま、私達と帰りましょう。ね、あなた。それがいいわよね。ね?」

「「……」」

「ねえ、二人ともどうして何も言ってくれないの!」

「お母さん……」

「歩?」


 母親の思いとはうらはらにアビーの姿が段々と透けていくのが分かる。


「え? どうして……」

「お母さん、もう時間みたい」

「そんな……歩ぃ……」

「離して上げなさい。その子はアビーなんだから」

「イヤよ! だって、歩だって言ったじゃない!」

「お母さん、ごめんね。でも、僕はお父さん言うようにもうアビーとして生きているんだ」

「イヤよ! 歩ぃ!」


 やがて、アビーの体が細かい粒子となり、母親の腕の中から消えると、両親の体も細かい粒子となり、その空間から姿を消す。


 ~日本の部屋~


 父親はベッドから起き上がると、食卓で寝ている母親の元へと駆け寄る。すると母親も同じ思いだったようで起きて直ぐに寝室へと向かっていたようで二人は廊下でぶつかりそうになる。


「お前……」

「あなた……」

「妙な夢を見た!」

「歩がアビーって名前だったの!」

「「え?」」


 二人は廊下で抱き合うと自然と大きな声で笑い出す。


「そうか、お前も見たか」

ってことはあなたも見たのね」

「そうだ。歩は別の世界で元気に走り回っていた」

「そうね。丈夫な子に育っていたわ」

「でも……」

「そうね。がないって言ってたわね」

「ははは、やっぱりあの子は歩だよ!」

「そうよ。歩よ」


 二人はこれまで歩を亡くした喪失感で胸が一杯だったが、大きく成長したアビーに会えたことで、今までの悲壮感が綺麗サッパリと流されたように思えた。


「ちゃんとしないと、アビーに見られたら恥ずかしいものね」

「そうだな」


 それからしばらくして二人の間に男の子が生まれた。


「ふふふ、この子は歩の忘れ物を着けて出て来たんだな」

「もう、そんなこと言わないの。この子は歩じゃないのよ」

「でも、ここには歩が欲しかったモノが着いているいるじゃないか」

「そうね。ふふふ、可愛いわね」

かけるだな」

「急にどうしたの?」

「この子の名前だよ。お姉さんの名が歩なら、弟は走だろ」

「ふふふ、名付けにはまだ早いわよ。でも、それも候補としてよく考えてね」

「ああ、分かってるさ。なあ、走」

「分かってないじゃない!」


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僕っ娘、転生幼女は今日も元気に生きています! @momo_gabu

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