第16話 使用人がいっぱい

「そろそろ時間だわ。行かないと」

「本来は僕が行くべきなんだろうけど……アリス、本当にありがとう」


 時計が十五時を示していた。ウィリアムと甘いティータイムを過ごしたアリスは、名残惜しそうに手を握る彼の頬に軽いキスをして席を立った。


「いいのよウィル。私もやりがいを感じているんだから」

「ただいま戻りました」


 まるで見ていたのではないかと思うほどにちょうどよく、ピエールが戻った。アリスはもしかしてと少し気になったが堪えて「お帰りなさい」とだけ返す。


「アリス奥様、そろそろ使用人棟に行く時間ですね。面談前に何か気になることはありませんか?」


 ピエールに問われアリスは眉間に皺を寄せ、すぐに目を見開いて皺を伸ばした。「そういえば」と気になっていたことを確認する。


「使用人たちの意見に耳を傾けて、必要であれば給金を上げたり人員を増やしたりしたいのだけれど……。サウード家の財政状況ではいくらくらい使えそうか知りたいわ」


 貴族といってもピンからキリまである。アリスの実家のように使用人は弟の世話係を兼ねて二名のみ、家族総出で働かなければいけない貴族もいれば、金をいくらでも湯水のように使える貴族もいる。家が立派でも維持に金がかかり、爵位の低い新興貴族に婚姻で身売りをしてなんとか体裁を保っている貴族だっている。


 さて、サウード家はどのタイプの貴族か。アリスは息を飲んで返事を待った——。


「サウード家につきましては、金はいくらでも稼げます。ウィリアム様がご存命のうちは心配無用ですよ」


 ピエールの返事はアリスにとって意外なものだった。つい「え?」と拍子抜けした声が出てしまうくらいに。ウィリアムが生きているうちとは、一体どういう意味なのか。

 アリスが首を傾げると、ピエールはウィリアムをチラリと横目で見てから補足を始める。


「ウィリアム様は国内外で希少な職業である魔法薬師様です。それもかなり優秀な。彼が作った薬をファハド様が国外で捌いて外貨を稼いでいます。ですから金の心配はありません」

「な、なるほど……。ウィル、あなたすごいのね」


 アリスはピエールと同じようにウィリアムに視線を送る。夫は照れくさそうに頬を赤らめ頭を掻いていた。人は見かけによらないと、失礼ながらも思ってしまった。


「それじゃあいってきます!」

「いってらっしゃ〜い」

「いってらっしゃいませ」


 夫と従者に見送られ使用人棟に向かったアリス。グッと拳を握り、入り口のドアをノックした。


「こんにちは!」

「奥様、ご足労いただきありがとうございます!」


 ドアが開くと、エミリーがにっこりと笑って出迎えてくれた。初対面の人間と打ち解けるのが苦手なアリスは胸を撫で下ろした。


「どうぞこちらへ。みんな待っていますよ」

「ありがとう。緊張するけど、あなたがいて心強いわ」

「大丈夫、みんないい人たちですから」


 エミリーに案内されアリスは談話室に辿り着いた。ノックをして室内に足を踏み入れる。一度落ち着いた気持ちが再び緊張でこわばっていく。


「失礼します。みなさん初めまして、アリス・サウードと申します」


 室内には使用人が軽く見積もって二十名ほど揃って立っていた。こんなにたくさんの使用人がいたのに今ままで姿を見たことがなかったとは。アリスの挨拶に皆ぽかんと口を開いている。どうしようかと逡巡していると、一人の使用人が前に出てきてアリスに深く礼をした。


「奥様、初めまして。私は使用人頭のエイメンと申します。今までご挨拶もせず申し訳ございません。使用人一同、心よりお詫び申し上げます」

「いいえ、事情は聞いています。こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳なかったわ」


 アリスは厨房のときと同じように彼らに自己紹介をしてから、待遇などに不満はないか聞いてみた。給金については皆満足という一方、数名の使用人がおずおずと手を頭の位置に上げている。


「手を上げてくれた皆さん、一度前へ出てきてくれるかしら? 詳しくお話を聞きたいわ」


 アリスの呼びかけに、手を上げていた使用人たちが前に出てきた。アリスと向かい合うように横並ぶ彼らは揃って不安げに瞳をやや伏せている。

 そのうちの一番左端にいた女性に顔を向け、アリスは柔らかに笑みを浮かべた。


「ありがとう、それでは一番左のあなたから聞かせてほしいわ」


「はい」と言いながら、女性はアリスにぺこりと頭を下げた。顔を上げ、乱れた黒髪を指先で整え語り始める。


「メイドのサーシャと申します。このような機会をいただき、ありがとうございます。奥様は……エミリーの子を日中預かっているとお聞きしたのですが、本当でしょうか?」

「ええ、本当よ。ジャクソンは昼間、私が書斎で預かってピエールさんと一緒にみています」


 アリスの返事に使用人たちがざわついた。無理もない。逆ならまだしも、貴族がわざわざ自分の使用人の子供の面倒を見るなどということは、アリスだって聞いたことがなかった。


「奥様、私の子供も一緒に見てはいただけないでしょうかっ?」


>>続く

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