第13話 屋敷改革の第一歩

「ピエールさん! ベビーベッドを用意してください!」


 アリスは仕事に戻るエミリーと別れ、彼女の息子ジャクソンを抱き書斎に戻った。開口一番、ピエールに事情を説明する。彼はすぐに書斎を出て、十分後にはベビーベッドを引きずって戻ってきた。


「最初に接触したのがエミリーとは、アリス奥様は引きがお強いですね」


 ピエールが乱れた身なりを整えながら言った。


「どういうこと?」とアリスが尋ねると彼はふうと息を吐き話を続ける。


「エミリーは現在二十歳と年は若いですが、すでにこの屋敷で七年勤めています。勤務態度は真面目。性格は社交的で明るく他の使用人たちの信頼も厚い。若手連中のリーダー的存在です。彼女との関係がうまくいけば、使用人の半数の心は掴めたも同然でしょう」

「なるほど……」


 アリスは頷きながらピエールを一瞥した。彼はエミリーとの接触も、彼女の息子を連れてくることも予想していたのでは? 思えばベッドの用意もずいぶん早かった。


「ねえピエール……」

「アリス〜!! やっと戻ったんだね!」


 アリスがピエールに問いかけようとしたタイミングで、書斎のドアが勢いよく開いた。ローブ姿のウィリアムがやってきてアリスに抱きつく。


「ウィル、ローブを脱いで」

「うん!」


 言われるままにウィリアムはローブを脱いで再びアリスを抱きしめ、彼女の首筋に顔を埋めた。そしてスーハーと呼吸を繰り返す。


「アリスだぁ〜。何度様子を見にきても戻ってなかったから心配したよ」

「ウィル、何しているの?」


 夫の不可解な行動にアリスは眉をひそめた。


「だって寂しかったから、アリスを補給してるんだ」


 そう言って顔を上げたウィルはにっこり微笑み再び妻を補給する。アリスは「そう……」としか答えることができず、彼が満足するまで呆然と立ち尽くしていた。


(猫を吸う、みたいなものかしら?)


 すると今度はベッドから大きな泣き声が。ジャクソンだ。アリスは急いで彼を抱き上げ、体を揺らしながら背中をポンポンと叩いた。


「あらあら、起きたのね〜ジャクソン。ママはもう少しお仕事だから、一緒に待とうね〜」

「ひいいい! アリス! 何それっ?」


 ウィリアムがジャクソンを指さし顔を引きつらせている。まさかこんな赤ん坊にまで人見知りを発揮するとは。アリスは小さなため息を吐いた。


「メイドのエミリーの子供でジャクソンよ」

「た、他人だっ。ローブ、ローブ!」


 ウィリアムは急いで脱いだローブを着込んでフードまで被った。彼は亡くなった両親とファハド、その従者数名以外に素顔を見せたのは十年以上ぶりだった。緊張から動悸がおさまらない。


「ウィル、相手は言葉も話せない小さな赤ちゃんよ? そんなに過剰に反応しなくても……」


 アリスはウィリアムを嗜めるように眉を下げる。このままだと使用人とのコミュニケーションなんて夢のまた夢だ。


 しかし「わかってるけど……」と肩を丸めて呟く彼を責めることもできず、肩を落とすしかなかった。


「ねえウィル。あなたのその人見知りを急に治すのは難しいけど、いつまでもこのままというわけにはいかないわ」

「うん……」

「せっかくだし、この子で慣れましょう? しばらく日中はジャクソンの面倒を見ることにしたから、あなたも日に何度か書斎に顔を出すこと。いい?」

「でも……」


 ウィリアムの体が強張る。アリスは泣き止んだジャクソンを一旦ピエールに任せて夫に向き合った。ゆっくり歩み寄り、彼の胸元に頭を寄せ背中に手を回した。


「ウィル、私が一緒にいるわ。だからどうかあなたも勇気を出して」

「アリス……」


 ウィリアムがアリスの腰に手を回しきつく抱きしめる。彼は覚悟を決めるように何度か深呼吸を繰り返した。


「アリス、僕、がんばるよ。それで君に相応しい夫になる!」

「嬉しい、大好きよウィル」


 こうしてアリスは夫の特訓とベビーシッターで屋敷改革の一歩を踏み出した。


>>続く

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