第5話 ウェディングドレスを取り戻せ!
「戻ってきた……」
アリスは馬車の窓から六日ぶりに実家の門を見上げた。身長の倍ほどの高さがある鉄柵。その奥には、貴族にしては小さめなレンガ造りの屋敷が構えている。幾度となく見てきたこの景色を懐かしいと感じ、すでに実家での暮らしが過去になっていることに気づかされた。
「アリス、お前は話せないことにして誰とも会話するな。ウィリアムと一緒に、必ずふたりで行動するんだ」
ファハドが念押ししながら刺すような視線をアリスに向けた。アリスは生唾を飲み込み彼を見つめ頷いた。裏切るつもりはないが万が一約束を違えれば自分の命はないと悟る。
「はい。約束します」
「よし、行くぞ!」
「「はい!」」
ファハドが後ろに流していた髪の毛を乱し黒い皮でできた眼帯をつけた。変装らしい。よく見たら服装も平服にブーツ、さらに帯刀し狩人や傭兵のようだった。
「俺の身分を明かすのは厄介だからな」
アリスの視線に気づいたファハドが言った。「なるほど」と呟き今度は隣に視線を移す。ウィリアムがローブのフードを被り変装を完了していた。
三人は他の従者と共に屋敷の門を叩いた。そしてアリスの件で訪ねたと伝えると、すぐに使用人のトムが門を開けた。
「旦那様がお待ちです。さあ、どうぞ」
「ありがとう」
トムに案内され屋敷の中に入ると、一行はヴェンダー家の小さな応接室に通された。
「旦那様を呼んで参ります。掛けてお待ちください」
トムは腰を折り身体を直角に曲げて礼をしてから部屋を出ていった。三人とファハドの従者は茶色い革張りのソファに腰かけ、ふうと同時に息を吐いた。
「うちのララの小屋くらいか。可愛らしい屋敷だ。ちなみにララというのはペットの虎でな……」
「…………」
辺りを見渡しファハドがニヤリと口元を緩ませた。アリスはそんな彼に黙って冷ややかな視線を向ける。余計なお世話だしそんな情報はいらないと言いたかったが、ここからは会話禁止なので言い返せない。
「兄さん、失礼だよ!」
ウィリアムが兄を嗜め、アリスに「ごめんね」と申し訳なさそうな細い声で詫びる。アリスは彼に気にしないでと両手を振ってみせた。
間も無くして応接室の扉が叩く音が聞こえた。扉が開き、四十歳前後の金髪の男と茶髪の女が入ってくる。
「お待たせいたしました。アリスの父、トーマス・ヴェンダーです。こちらは妻のソフィアです」
「私はマハド・サウード。こっちは弟のウィリアム・サウード。彼らは私たちの従者です」
全員立ち上がり、マハドと名乗ったファハドに合わせてアリスの両親に頭を下げた。ヴェンダー夫妻は肌に艶がなく、目の下にはクマができていた。どうやらかなり憔悴しきっているようだ。アリスはすぐにでも自分の無事を知らせたかったが、約束を守るためグッと拳を握りその場で耐えた。
「あの、サウードさん。アリスのことでいらしたと伺っております。あの子は……無事なのでしょうか? 一体、なぜ突然いなくなってしまったのか……」
「アリス……っ」
よろよろとトーマスがファハドに歩み寄りすがるように彼の顔を見上げる。ソフィアは顔を両手で覆い涙声で肩を振るわせていた。
「ヴェンダーさんご安心ください」
「ああ、生きていた……よかった」
トーマスが安堵の息を漏らし、涙を流す。ファハドは夫妻にゆっくりと状況を説明した。
「お嬢さんは無事です。今はアラービヤ共和国にあるウィリアムの屋敷で元気に過ごしています」
「アラービヤ? あの南方の?」
今度はソフィアが両手を顔から離してファハドに問いかけた。それに頷きファハドはアリスが事前に書いておいた手紙を夫妻に手渡した。
「弟のウィリアムは先日アリスさんを屋敷に招待し求婚しました。そしてアリスさんはそれを承諾。準備が整い次第、結婚することになっています」
「な、ま、まさか!」
「この手紙を見てください」
夫妻は驚いて反論しようとしていたが、ファハドに制され封筒を開いた。内容を目で追いながら、彼らの目がさらに大きく開く。
「そんな……ウィリアム氏と結婚すると書いている」
「あなた……何かの間違いではないの?」
トーマスは首を横に振り、アリスの手紙を妻に渡した。
「いや、これは間違いなくアリスの字だ」
「そんなことって……」
ファハドはがっくりと肩を落とすトーマスと娘の名を呼び泣きじゃくるソフィアに示談金や支度金についても説明。最終的には婚姻を了承させることに成功した。
しかしアリスの婚約者であるハリーにも説明をするよう求められたため、彼が屋敷に来るまで待つことに。
「実はアリスさんからいくつか荷物を持ってきて欲しいと頼まれています。彼らをアリスさんの部屋に案内していただけませんか?」
「わかりました。トム、頼むよ」
「はい!」
ウィリアムとアリスはトムに連れられ、アリスの部屋に入室した。
「ここがアリス様の部屋です。申し訳ありません、リュカ様——アリス様の弟君が薬を飲む時間でして、一旦失礼してもよろしいでしょうか?」
「はい。応接室への道も覚えましたから、用が済んだら戻りますよ」
「助かります! それでは……」
先ほどと同じように深々と礼をして、トムは部屋を去っていった。
ドアが閉まりトムの足音が遠のいたのを確認し、ウィリアムが息を吐いた。普段の人付き合いは兄任せなので、トムとのわずかな会話も一苦労なのだ。
「さてと、ドレスを探そうか。どこにしまったの?」
ベッド、机、小さなドレッサー、そしてクローゼット。ウィリアムは小さな室内を見渡す。アリスは入室してからずっと入り口付近で立ったままだ。
「……ない」
「え?」
「ドレスが、ないの」
アリスは呆然と立ち尽くしていた。机の横にトルソーを立てドレスを着せていたはずなのに、そこには何もない。
思わず会話しないという約束を破ってしまう。
「え、どうしよう。誰かがしまったのかも。クローゼットは?」
アリスはガチャっと勢いよくクローゼットを開ける。しかしそこには純白のドレスは見当たらない。
「まさか……」
心当たりはあった。完成に近づくにつれ、ドレスをいつもうっとりと眺めていた人物。アリスはクローゼットのドアを閉じる。
「行きましょう」
アリスはウィリアムの手を引き部屋を出る。そしてすぐ隣の部屋に入った。
「やっぱり……」
入った途端、目に入る白いウェディングドレス。ウィリアムが安堵の息を漏らした。
「見つかってよかったね。でもここは誰の部屋?」
「妹よ。早く戻りましょう」
アリスはトルソーに近づき、ドレスを脱がせる。ウィリアムもトルソーが揺れないよう押さえて手伝う。
ドレスを脱がし終えアリスが抱えたところで、突然部屋のドアが開いた。
「え、ちょっとあなたたち何? 泥棒!!」
やってきたのは部屋の主、エマだった。彼女はドレスをまるで自分の物であるかのように振る舞い大声をあげた。アリスは怒りで頭が真っ白になる。
「泥棒はどっち? これは私のドレスよ!」
「あ、アリスっ!」
「その声は……姉様?」
エマが眉を寄せる。アリスは薄布と帽子を取り、彼女を睨みつけた。
>>続く
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