第2話 手のひら返しのSay Yes
アリスは眉を寄せファハドとローブ男ことウィリアムを睨みつけた。
ここが遠く離れた国外であることにも驚きだが「攫い婚」などという風習には、言葉も出ない。
「もう少し詳しく話した方が良さそうだな。三ヶ月前、俺たちは偶然君の実家が経営する宿屋に泊まる機会があってね。そこで誰よりも一生懸命、積極的に働く君を見て弟が一目惚れした。だが君は結婚を控えていたし弟も諦めようとしていたんだ。けれど、諦めきれずに今回攫ってしまった……というわけだ」
「嘘でしょ……」
アリスは呟いてからウィリアムに視線を移した。彼の表情は全くわからないが、ローブの袖から出ている両手の指先をくねくねと絡めたり離したりしていた。
緊張しているのか照れているのか。どちらにせよ不気味で、アリスは隠すこともせず目元と口元を歪めた。
「もう一度言う。アリス・ヴェンダー、我が弟ウィリアムと結婚してくれ」
「無理です」
アリスは彼らを見据え、強い口調で断りの言葉を口にした。さらに右手を広げて彼らに手のひらを見せ押し出し、拒絶の意思を伝える。思った通りに体の動きが戻ってきた。薬の効果が切れてきたようだ。
こんなにはっきり断られると思っていなかったのか、ファハドは面食らっており、ウィリアムは「な、なんで?」と声を震わせた。
「なんでって、わかるでしょう? どこの世界に自分を攫った犯罪者と結婚する人間がいるの?」
アリスは捲し立てるように言い放つと、最後に鼻からフンと大きく息を吐いた。ファハドとウィリアムが圧倒され、体をやや後ろに反らせる。
「我が弟と結婚したくない女がいるとは思わなかった」
ファハドが信じられないと言わんばかりに呟いた。それを見たアリスはギリギリ常識人かと思っていた彼もまた、人攫いなどという非人道的なことをする犯罪者の仲間に間違いないと悟った。
こうなったら彼に懇願し家に帰してもらうのは難しいだろうとも思った。
このまま断って殺されたり売り飛ばされてしまうくらいならと覚悟を決め、息を吸う。
「いるわよ、少なくともここにひとりはね! あなたどれだけ弟が可愛いのか知らないけど、私と結婚したいのは彼でしょう? なぜ彼は自分で何も言わないの? さっきから指先をもじもじ捏ねているだけで気持ち悪いのよ。それにローブのフードまで被って顔も何もわからない相手と結婚なんてしたいわけないでしょう。万が一別人にすり替わってても気づかないじゃない。こんなんじゃ結婚したって子供も作れないわよ!」
アリスは息継ぎを忘れ語勢を強めながら言い切ると、残っていた水を飲んで呼吸を整えた。その間沈黙を守っていた兄弟。兄のファハドが両眉を上げ額に皺を寄せた。
「驚いた。子供のことまで考えてくれているとは……」
「そこじゃない!」
間髪入れずにアリスは反論した。同時に、なぜ余計なことまで口走ってしまったのだろうと自分のことを恥じた。
ファハドは苦笑しながら拳を作って顎の下につけた。小さく息を吐き、拳を崩しその手で弟を指差す。
「アリスの言うことはもっともだ。ウィリアム、結婚したいならローブを脱ぎ正装しておいで。彼女に素顔をさらけ出すべきだ。そして跪いて求婚しろ」
「でも、もし素顔を見せて嫌われてしまったら……?」
ウィリアムがローブをギュッと握りしめた。彼の不安と緊張がアリスにまで伝わってくる。
するとファハドは彼の背中を平手で叩き激励した。
「何言っているんだ。さっき気づいたが俺たちはすでに彼女に相当嫌われている。なんたって人攫いだからな。だがウィリアム。お前がローブを脱げばきっといい返事をもらえるだろう」
「本当?」
「ああ、もちろんだ。さあ隣の部屋で支度しなさい」
ファハドが叩いた手をウィリアムの肩に乗せぽんぽんと優しく弾ませる。ウィリアムは「行ってきます」と言って部屋を後にした。
アリスは部屋のドアが閉まったのを確認し、ため息をつく。
「あなた、どこからそんな自信が? 私、領内一の美丈夫と呼ばれる男性と婚約していたのよ。しかも領主の息子で伯爵。彼がそれ以上の人とは到底思えないわ」
そう、きっと領内一の幸せな花嫁になるはずだったのに。
アリスは攫われる直前のことを思い出し下唇を噛んだ。
「なるほど。ちなみにアリス。俺の顔のことはどう思う?」
ファハドが自信たっぷりに口の端を上げ、アリスに問いかけた。
アリスは不本意ながらということをたっぷりと表情に滲ませ、眉根を寄せる。
「ま、まあ……美形なんじゃないでしょうか?」
まあ、どころではない。ファハドは正直アリスが今まで生きてきた中で三本の指に入る美形に違いなかった。その答えを聞いて彼は満足げに目を細めている。
「ウィリアムは、俺以上に美しい」
「まさか!」
あのもじもじローブ男が? という言葉を飲み込み、アリスはファハドを睨んだ。ウィリアムの立ち振る舞いは、自分に自信がなさそうだった。兄以上の美形であれば人々に賞賛されもっと堂々としているはずだ。
「本当さ。だが彼は自分の容姿を気に入っていないし、人見知りが激しいからローブを手放せないんだ。それでも君の婚約者だった浮気男よりずっと好条件だぞ?」
「なぜ知っているのですか?」
アリスが凄むと、ファハドは両手をあげて降参のポーズをとった。
「君を攫うときに見た。こればっかりは不可抗力だ。うちの弟は一途だぞ。それに貴族階級だし領地もある。さらに結婚するなら君の実家に支度金や示談金も支払うよ」
「え? 支度金?」
アリスはきっと自分の目の色が変わっただろうと自覚した。その証拠にファハドは再び余裕の笑みを浮かべている。
「嫁入りの支度金と君を攫ってしまったことへの示談金として、ヴェンダー家には一千万ラウ支払うつもりだ」
「い、一千万ラウ?」
アリスはパチパチと瞬きを繰り返した。
一千万ラウは実家の宿屋一年以上分の売り上げに匹敵する。もちろん通常はそこから人件費や施設の維持費などが差し引かれるので純利益ならさらに数年分だ。
「それも踏まえてウィリアムは君にとっていい男だと思う。ぜひ考えてくれ」
「…………」
一千万ラウあれば。きっと病気の弟もより良い治療が受けられるだろう。アリスが黙って考え込んでいると、部屋のドアが開いた。
「おう、支度は終わったか?」
「うん……」
アリスが顔を上げドアに注目すると、そこにはウィリアムが立っていた。
出ていく前と変わらぬローブ姿で。
散々待たせてこれかと、アリスは怒りの感情が再燃する。
断ろう——そう思い口を開きかけたそのときだった。
「誰にも見られたくなかったから、支度をしてまたローブを着たんだ」
ウィリアムはローブを脱ぎ、ソファの背もたれに掛けた。そして一歩ずつアリスの元へと近づいてくる。白い絹に金の刺繍を施した衣装に包まれた彼は、ベッドの前で片膝をついてアリスを見上げた。
その間、アリスは彼から目を離すことができなかった。彼の兄が言っていたことは本当だったのだ。
「アリス、突然、こんなに遠い異国に君を連れ去ってごめんなさい。けど……初めて見たときから、君が好きだ……」
アリスは息を飲んだ。
ウィリアムはファハドに若干似てはいたが、兄よりさらに端正で少し優しげな顔立ちをしていた。艶やかな黒い髪、白い肌、そして印象的なのは瞳だった。
この手の瞳の色は美しさを形容する言葉として琥珀色と呼ばれる。しかしアリスには硬質な琥珀というよりは、もっと柔らかく甘く艶やかな色に見えた。
(
「アリス。どうか、僕と結婚してください」
「はい……結婚します」
濃厚で甘い、愛し合うものたちが飲み交わす蜜月の象徴。アリスはウィリアムのとろけるような美しい瞳に、一瞬で心を奪われてしまった。
>>続く
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