レイチェル・デ・ドランの手記

小松加籟

その一


 山荘の扉を、私はひらいた。

 へやに空きが在るか、客を玄関で迎えたオーナーに確認し、上着を脱いで、借りた室に入った。夕餉の時刻、私は食堂に赴いた。既に、外の宿泊客がテーブル席を陣取っていた。私は食堂の一隅に腰を下ろした。

 私は目を附けたテーブルに坐り、面喰ったような相貌の青年に言った。

 「一寸いいかい。面白い話があるんだ」

 私は積極的すぎるかと思ったが、そう云ってから、すぐに言葉を継いだ。

 「ドラゴン乗りの少女の話さ。彼女は家族を殺害された憾みを晴らす為に仇に決闘を挑んだ。然し、彼女は仇にたどりつく前に、賞金首になって了う。彼女は戦いに敗れ、怪我を負った。而して、或る雪山の洞窟に隠れた。怪我が治癒するまで、其処で休む心算だ。彼女は、非常に勇敢だったけれども、深い怪我だった。治療の技術は素人だった。だが然し、ドラゴンの助言に従い、応急処置を済ませた。ドラゴンの火球は仇の頬を掠めた。仇は不敵な笑みを浮かべた。決着は附かなかったが、彼女は涙を落とすこともなく彼との約束を果たすまえに死んで了ってはいけない、と冷静に思った。疼く傷の痛みは彼女の脳裡を勺くらしく、ドラゴンは雪山の洞窟で、彼女が肉体を凍らせないよう配慮した」

 「はあ……、そのドラゴンってマジっすか?」

 青年は稍間の抜けた顔をした。砕けた口調が小癪に障る。

 「マジだ。俺はいつだって真面目に話す」

 夕餉の中途だった。時折、食べ物を咀嚼する。

 「で、その女の子は、未だ生きてるんすか」

 「無論だ。彼女は未だ生きてる。其心臓の鼓動を未だ聴いている。その復讐を成し遂げたいと思っている。思いは巡る。殺害された彼女の家族も彼女の無事を第一に考えるだろう。それでも、罪の償いはしなければならない、ということを了解しているだろうがね。それにしても寒いな。暖房は利いてるのか」

 「どうっすかね。少し暖かいような気もしますけど」

 近くのテーブルに坐った宿泊客が、くちを挟んだ。

 「おとぎ話もいい加減にしろ。ドラゴン乗りの少女だの、その少女の復讐だのよりも、政治や経済の話でもしたらどうなんだ?」

 「アンタは黙ってろ。俺はドラゴン乗りの少女を捜してこんな辺鄙な山まで来たんだ。三界遊び歩く連中とは訳が異うんだよ。で、ドラゴンと少女とは、傷の治癒を待って、洞窟に身を潜めた。そのドラゴンというのは赤い鱗の標準的なドラゴンだが、少し許り人間を差別的な眼で見る癖のあるドラゴンでね。彼女は許したが、家族には裏切りに遭っている。其に天誅を下したのが彼女の仇さ。殺害は行き過ぎだがね。然し、彼女の家族を殺害した動機は俺の臆説さ。実際のところ、あまりよくわかっていない。彼女をただの殺人鬼だという話もあるし、彼女は仇よりも罪が深いなんてことも言われている。まア、おれからすれば彼女が生まれてから最初に目にしたのは母親じゃなくてドラゴンだった、なんて法螺がいちばん笑えるね」

 「面白いっすね」

 青年は真顔で言った。

 青年は学殖のありげな顔附きで、この話を実話として受け取っている。ドラゴンと少女とが、実在の人物として生き生きと青年の脳裡に棲み附いて居る。

 「ところで、あなたの名前を伺っても?」

 「レイチェル・デ・ドランだ」

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