棚橋と亀

まがた しおみ

第1話

「どーしよぉ~~……」


 そう呟きながら私はテーブルに頭を乗せる。

 横浜清光女子学院高等学校。静けさ、慎ましやかさを絵に描いたようなこの学校で、こういうだらしのない振舞いは決して歓迎されるものではない。

 昼休みの食堂であらゆる学年の目に晒されている場合なんかは、特に。


 周りの生徒たちが眉をひそめるけれど、私には構っている余裕がない。

 余裕も、時間もない。


 私の所属する新聞部は毎月校内新聞を発行している。

 部員たちが原稿を提出した後で部の幹部たちが相談して構成を決めるのだけれど、部長である下倉先輩の意見が優先されることがほとんどだ。

 上下関係や、それからもちろん力量もあって、一面は最上級生が占めることが多い。


 ところが、七月の新聞だけは特別だ。

 この月は、新米記者のお披露目や、代替わりの示唆などのいくつかの目的があって、抽選で選ばれた高校一年生の記事が一面に載る。

 そして今年は、心理的戦術を駆使した末にじゃんけん大会で私が優勝した。

 私には小説家という夢がある。

 自分の文章で世の中を動かしたいという熱意もある。

 これが腕を試す絶好の機会なのだ。


 なのに私は、未だネタを決められずにいる。


「さーちゃん、何か見つかりました?」


 優しい声がして、私は身体を起こす。


 同級生の下倉ましろだ。

 下倉の苗字からわかるように新聞部部長の妹でもある。

 けれどまるで錠みたいに決めたものしか通さない部長とは大違いだ。

 少し引っ込み思案だけれど、朗らかで、前向きなのだ。

 誰にでも優しいし、そんな彼女だからみんなも彼女には優しい。

 あの下倉部長が彼女にちょっと甘いのは、妹だからというだけではないはずだ。

 ましろは私の記事を手伝ってくれている。


「いーーーや、全く……」


 そう答えながら身体を起こすと、ましろは昼食を運んできたところだった。

 場所を作るために私は、テーブルの上に散らばるあれこれを自分の方に集めた。ペンに、ノート、クリームパン。パンの袋は開けてさえいない。もはや食べる時間さえ惜しい状況だからだ。

 私は向かいの席に置かれたオムライスを羨まし気に眺める。


「いっぱい食べるね……」

「はい! だって、今晩中に記事を書かなきゃいけませんから! 今のうちにたくさん食べておかないと」


 ましろの言葉に、そうだね、とうなずきながら、意図せず皮肉ぽくなってしまった自分を反省する。彼女はまだ記事を諦めていないのだ。

 私も頑張らなければ。

 ノートをましろの方に寄せて、バツ印をいくつか示す。


「吹奏楽部は二年の先輩が取材済み。昨日言ってた陸上部の方は、取材を申し込んだらもうすぐテストだからって断られた」

「そうですか……」

「定期テストなんて一回くらい赤点でもいーでしょーに」

「それ、陸上部の方に言ってないですよね……?」

「言わないよ。言って取材できるなら言うけどそんな感じでもないし」

「あ、あはははは……」


 困ったようにましろは笑う。私も少し笑って言った。


「オムライス、食べなよ。これはもともと私が一人でやるはずだったんだから。遠慮なんかしないで」

「あ、ありがとうございます……。では頂きますね」


 ありがとうと言うべきはこっちなのに、ましろはぺこりと頭を下げる。

 出会った頃からましろはずっとこんな感じだ。誰に対しても敬語で話すし、彼女じゃなければ野暮ったく見えるだろう丸眼鏡をかけているのも、引っ込み思案なのも変わらない。だけど彼女は前向きだ。

 気を遣わせてすみません、じゃなくて、気を遣ってくれてありがとう、と思うことができる。

 彼女のそういうところが私は好きで、中学一年生の時から仲良くしているのだ。

 

 ましろが食べている間に、私はSNSで見つけたネタ候補について話した。

 例えば話題の限定スイーツ。うちの学生たちの多くがいいねを付けている。食レポをするだけでも、部長の求めるような記事が書けそうだ。

 だけどそれには時間が足りなさすぎる。

 学校を終えて、東京まで移動し、一時間並んで、食べて、こっちに戻って来る、そう考えると記事を書く時間がないのだ。

 そうですね、とましろは相槌を打つ。


「あと、寮の門限もありますよね」


 私とましろの暮らす寮の門限は夜の七時なのだ。その時間になると門は閉ざされ、寮監による点呼が始まる。もし点呼に間に合わなかったら、遅れた者だけでなく、同じ部屋の生徒までも寮監に呼び出される。

 下倉部長のように特待生専用の一人部屋だったらどうなるんだろう、と私は考えるのだけれど、そもそも特待生は点呼に遅れたりなんかしないのだ。


「だから話題になってる何かに取材しに行く、っていうのは難しいかな~~」

「ですねえ……」

「もし、私が『わたりこ』の作者を知っていたら、皆が読みたくなる記事を書けるんだけどなあ」

「あはは……。あっ、そういえば今朝更新が来たらしいですよ! さーちゃんはもう読みました?」


 そんな余裕はないよ、と私は首を振る。

 『わたりこ』というのは最近人気のネット小説、『私の寮生活が百合ばかりで困る!!』の略称だ。

 タイトルのとおり、寮に暮らす少女たちの青春を鮮やかに、そして時々エッチに描いているのだけれど、特筆すべきは寮生活の描写のリアルさだ。この生活の賑やかさの裏にある、寂しさ、窮屈さ、煩わしさを余すところなく書き込んでいて、だけど愚痴っぽく感じさせず、楽しく読めるように仕上げてある点が評価されている。


 だけど『わたりこ』には、ある噂がある。

 誰が最初に言い出したのか、寮のタイムスケジュールや、三棟ある校舎、池のある中庭など、様々な点で『わたりこ』の学校と私たちの学校はそっくりだというのだ。

 半ば冷やかしで読んだ私も、それを否定できなかったくらいだ。

 うちの学校や寮は入学希望者にしか見学を許していないから、外部の人がここまで詳しく書けるはずはない。

 つまり、『わたりこ』の作者は私たちの学校の生徒か、卒業生だということになる。

 うちの学生たちはみな、この作品を、このキャラのモデルはあの人だろうか、それならあのキャラのモデルは誰だろう、そして作者は一体誰なのだろう、と好奇心いっぱいに楽しんでいるのだ。

 こんな風に傍観者を気取っている私も例外ではない。

 小説家になるという夢を持ち、この寮生活はネタにできるぞと考えていた私にとって『わたりこ』とその作者である紅星ゆきのは目の上の大きなタンコブなのだ。


「────え?」


 ましろが調子はずれな声を上げた。見ると彼女は自分のスマホを凝視している。


「どうしたの?」

「これ、『わたりこ』の最新話なんですけど、私……」

「うん」


 そこで彼女はふっと我に返った。きょろきょろと周囲を見て、それから手招きをする。

 こっちに来てくれ、という合図だ。

 私が身を乗り出して耳を向けると、彼女も同じようにして顔を近づけ、そして静かに、けれど異常な興奮を持ってささやいた。


「私、紅星ゆきのさんが誰かわかっちゃいました……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る