茜色を写す君

ATライカ

茜色を写す君

 奇異の視線。それと陰口。

 それは、異質な物に向けられる透明なナイフ。

 特に、未成熟な子供が集まる、学校と言う閉鎖的な空間ではそれが本当に向けられやすい。

 “異質な物”であるアルビノの少女、前田雪はその視線と陰口の二つには慣れたものだと、本人は思っていた。

 未成熟な子供が故に易々と一線を超え、一部が成熟しているが故にそれを大人の目の届かない場所で行う。そんな透明なナイフは本当に厄介で、傍から見てそれで付けられた傷と言うのは見えないし、自分でもつけられた傷が上手く自覚できない。

 前田雪は、透明なナイフを向けられるのには実に慣れたものだ、と思っていた。



 夏休みが終わっても夏は真っ盛りで、太陽が雲のない青空に張り付いて、刺すような痛みを伴う日光をあたりに振りまいていた。そんな時分、雪が通う高校では文化祭の準備が着々と進められていた。

 あちこちから聞こえる学生の声。きゃいきゃいという高い声や、言い合いにも似た低い声のやり取りが文化祭への期待感と、準備そのものに対する楽しさを思わせる。

 そんな中で、雪は長袖に長ズボン、それから白い日傘を差して、汗を白い額に滲ませながら学校の外から帰ってきた。彼女はもう片方の手にビニール袋を提げていて、彼女はその荷物を、学校の下駄箱の近くへと持って行く。

「やっと帰ってきた」

 と、青空の下大きな木の板にペンキを塗りたくっていたクラスメイトが、外から帰ってきた雪に気が付いて顔を上げる。そして、雪の手から荷物をひったくるように取り上げると、しっしと手を振って彼女のことを追い払う。

 追い払われた雪は踵を返して、下駄箱に行って日傘を閉じる。夏の強い光は、屋根の下にいてさえも彼女の赤い瞳を刺してきて、その眩しさに雪は顔をしかめる。

「あーあ、アルビノか何かは知らないけど、サボれるなんてねぇ?」

「暑いのが駄目とかイミフ。そんなんなら私らだって暑いじゃん」

 そんなわざと聞こえるように零された陰口に、雪は自分の白くて短い髪を指先で弄りながら、赤い瞳を務めて彼女達から逸らして、校舎の中へと入ろうとする。

「ジャマ」

「っ!」

 すると、ペンキの缶を両腕で抱えて中から出てきたクラスメイトが、雪の肩にぶつかりながら通り過ぎようとし、肩をぶつけられた雪が痛みに顔をしかめながらよろける。

「ごめん」

 雪が小さく謝って下駄箱へと視線を向けると、果たしてそこには親友が眉を吊り上げてこちらに歩いて来ているのが見えた。まずい、と雪は目を見開き、咄嗟に笑顔を作って口を開いた。

「遥!ただいま」

「おかえり!」

 雪に遥と呼ばれた少女はざっくばらんに言葉を返しながら、速足のせいで揺れる長い髪を首の後ろで押さえつつ、雪の横を通り過ぎようとする。

「大丈夫だから」

「退いて!」

 そう言って遥のことを押しとどめようとする雪と、それに小さく怒鳴る遥。そんな二人の耳に、致命的な声が聞こえた。先ほど雪にぶつかってきたクラスメイトの声だった。

「白いから太って見えるんだよ!」

 その侮辱にいよいよもって我慢ならなくなった遥は、強引にでも雪のことを押しのけて上履きのまま外へと出ていく。そして、作業をしている子にペンキを手渡した女に対して、遥は怒鳴り声を上げた。

「おい!」

「ひゃっ、な、何?」

 突然怒鳴られたことにびっくりした彼女が振り返らない内に、遥は握り込んだ拳を振り上げつつ、助走をし始めていた。そんな遥に、ぎょっと目を見開いた雪は、背中から彼女に抱き着いて止めにかかる。

「だ、大丈夫だから!私は!」

「大丈夫じゃない!もし大丈夫でも、私の腹が収まらない!」

 遥は雪の手を振り払って、不届き者へと改めて拳を振り上げた。

「いやっ!」

 今まさに暴力を振るわれかけた子は、小さく悲鳴を上げながら両手で自分の顔を庇い、後ろに倒れて尻もちをついてしまう。そして、固いコンクリートの上に尻もちをついて「痛いっ」と悲鳴を上げた。

 そんな彼女を見て、遥は振り上げた拳をそのままに、頭に上った血がすこし冷たくなるのを感じた。だけれども、腹の底や心臓がむかむかするのは変わらないし、むしろそれが増えていた。

「遥……」

 雪の消え入りそうな声に、遥ははっと振り返る。彼女はその赤い目を潤ませていて、その白い肌を僅かに赤くさせていた。遥はそんな雪の感情を推し量ろうとして、それができない事にさらに感情の靄を濃くさせる。雪自身も自分の感情がぐちゃぐちゃになって、訳も分からず涙が溢れそうだった。

「大丈夫じゃない。雪が傷ついてるのは絶対にそう」

 そう言って、遥は未だに尻もちをついたままの子へと目を向ける。彼女は怯えた表情を遥に向けていて、その視線を遥は真正面から受け止める。

 遥はもうすでに振り上げたこぶしを納めている。怒りはあるが、相手に殴りかかるような衝動的な物ではもう無くなっていた。

「……」

 遥は周りを見る。皆が皆、遠巻きにこの騒動を見守っていて、中には携帯のカメラを向けてきている奴さえいた。ますます遥はむかつき、だからと言ってここで暴れたら、他人の視線が嫌いな雪が嫌がるだろうと、努めて深呼吸をして冷静になろうとする。

 事実、雪は縮こまる様に肩をすぼませていた。。

「お前らは殴り返してこないから、やいやい言うんだろ!」

 でも、結局、遥は怒りに身を任せて行動することにした。だが、あくまで冷静に。

 彼女は目についた、ペンキの缶を乱暴に拾いあげる。

「それは、卑怯だろ!」

 そして、遥はそのペンキの缶を頭の上でひっくり返し、一気に白いペンキを被った。ある程度粘度のある液体が半ば塊になって遥の頭に落ちてきて、白い雫が辺りに飛散する。

 やがて、それは遥の黒く長い髪も、肌色の肌も、制服すらも白く染め上げた。

 彼女は空になったペンキの缶を放り投げ、空いた手で苛立たし気にペンキを顔に塗り広げるようにしながら、余った白い塗料とべたつく前髪を払いのけて目を開ける。

「私の髪の色が白色でも、お前らは陰口をたたくのか!しないだろ!」

 その叫び声に誰も彼も、何も言うことなどできやしなかった。

「雪の性格に付け込んで!なおさら卑怯だろそれは!」

 怒鳴り声の後、静寂が辺りを包む中、遠くからいくつかの足音と、野次馬を解散させるための教師の怒鳴り声。

 陰口をたたいていた女達は絶句していて、肩をぶつけてきた奴も白いペンキの飛沫がかかった顔を半泣きにさせて、唇を戦慄かせていた。

 彼女たちがこの場で謝ることは無かったが、遥はこちらを見てくる人間達が総じてバツの悪そうな表情だったのを見るだけで、胸がほんの僅かにすく思いだった。




 結局、雪と遥が、かんかんになった教師達から解放されたのは夕方ごろだった。教師からの事情徴収やら、親への連絡やら、ペンキを被った遥からそれを取り除く作業やらでかなり時間を取られたのだ。

 日が傾き茜色になった空の下、夏でも影が長く地面に落ちる時間、二人は無言で河川敷を歩いていた。

 雪は制服の長袖に長ズボン、それから日傘といういつものスタイル。そんな彼女の前を歩く遥は髪の毛が白くなっていて、所々に黒い元の色が見えていた。顔や、髪の地肌に近い部分はペンキを取り除いたが、彼女の長い髪の大部分は白いままだった。

 一方の制服は、学校から支給された物を着ていたから綺麗な物。

 雪はそんな彼女の白い、今は茜色に染まった後姿を見て何とも言えない感情に襲われていた。

 日が傾いても、暑い夏。遥は川から吹いてきたほんの少し冷たい風に、そちらの方を向く。その時、雪は遥の夕陽に照らされた横顔を見た。遥は、ほんの僅かに眉を下げ、遠くの方を見つめていたのだ。

「その」

 雪がそんな彼女の表情を見て声を上げる。続きの言葉は思いついてなどいなかった。

「何?」

 遥が足を止めて振り返る。そして、先ほどは下がっていた眉を、大きく上げながら首を傾げてくる彼女に、雪は何も言えなかった。

 一方の遥は、日傘の陰に隠れた雪が痛切な表情をしている事に、ずっと燻り続けている胸の奥のよどみがまた渦巻くのを感じた。そして、口を開く。

「ごめんね」

「え」

 雪がいつの間にか下がっていた顔を上げる。遥は白いペンキで固まった自分の長い髪を指先で弄りながら、申し訳なさそうな表情をしていた。

「雪の気持ちも考えずに、怒って騒ぎを大きくしちゃった」

「ううん。それは……嫌、ではなかったよ?」

「嘘、目立つの嫌なくせに」

 雪の返事に否定の言葉を投げかける遥。雪は右肩にかけていた日傘を、左肩にかけ直す。一瞬差し込んだ夕陽に目を閉じた雪は、赤いようなオレンジ色のような、形容しがたい肌の色をしていた。

「それも含めて、ごめん」

 遥はいよいよ、頭を下げた。ペンキで塊になった髪が落ちてきて、彼女はそれを煩わしく思いつつも、自分の髪が夕焼け色になっていたのに始めて気が付く。

「謝らないで。嫌じゃない、いや、ううん……」

 遥が顔を上げる。雪は日傘の影の中、はにかんでいるように見えた。

「ちょっと、嬉しかったから」

 そう言ってから、雪は視線を彷徨わせて、それから恥ずかしくなったのかくるりと踵を支点に回れ右。遥へと背中と日傘を向けてしまう。それから数歩前に進んで行き、遥はそんな彼女の後ろを付かず離れず付いていく。

「やっぱり、大丈夫じゃ、無かったんだと思う」

「雪……」

 遥がどう言葉をかけようかと迷っている中、雪は振り返って、心配そうな表情をする遥へと笑顔を向ける。

「スカッとした!」

 言葉を選んで、もう一度口を開く。

「殴りかかるのはどっ……どうかと思ったっ……けど……」

 雪が嗚咽を漏らしながら言葉を続けようとする。遥はそんな彼女に近寄り手を伸ばして、彼女の潤む赤い瞳の横から溢れる涙を、指先で拭っていく。しかし、彼女の流す涙は多く、すぐに手で拭うことはできなくなってしまう。

 遥はハンカチを取りだそうと雪から手を放す。すると、雪はその離れていこうとする遥の両手を、自らの手で取った。

 日傘が落ちていき、その影の中から雪が現れる。

 夕焼けで雪の髪や肌は茜色に照らされていた。けれども、遥を見つめるその瞳の方が夕陽よりもよっぽど鮮やかで綺麗な赤色で、涙の跡もキラキラと光っていた。そして、何より遥は、雪が飛び切りの笑顔をこちらに向けていることに、一番見惚れてしまった。

「怒ってくれたのは嬉しい!」

「……うん」

「嬉しかったんだよ!」

「うん」

 つかまれている手がどうにも熱い気がする、なんて明後日のことを考えながら遥は頷く。

 そして、雪も、遥の髪や顔が夕焼けで赤くなっているのに、笑みをさらに深める。

「綺麗だね」

「……そっちこそ」

 遥は目を逸らしながら言葉を喉の奥から絞り出して、雪の手を少々乱暴に振り払う。そして、地面に落ちた開きっぱなしの日傘を拾いあげて、それを雪に差し出した。

 手を繋ぐほどの距離にいた二人の間の日傘は、相合傘のように夕陽を遮る。影の中の雪は真っ白で、遥は夕陽の色が映ったように赤かった。

「雪」

「なに?」

 雪が首を傾げ、遥は言葉を選ぶためか、目を閉じてそれから一度深呼吸をした。

「陰口を聞いて、それを聞いてなかったことにするのはやっぱり無理があると思う」

「うん」

 遥のその言葉に俯くように頷く雪。彼女自身、涙をこんなに零すなんてびっくりしていた。自分は、自分自身が思っている以上に傷ついていたのだ。

 だから、遥の忠告に素直に頷く。

 それから頷いた後、雪は上目遣いに遥に目を向けた。

「なんか誤魔化されてる気がする」

 遥は目を閉じたまま何も言わなかった。しかし、何かを考えているのか言いかけたのか、口を開いて、一旦閉じた。それから、もう一度口を開く。

「先生たちも、いじめがあったのを把握したし。親に連絡入ったし、多分、まあ、表面上は大丈夫だろうけど、何かあったら絶対に言うんだよ」

「はーい」

「返事は伸ばさない!」

 遥は声を僅かに荒げながら手に持った日傘を雪へと押し付ける。そして、踵を返してすたすたと早足に歩いて行ってしまい、雪はあわててそれを追いかける。

「遥!」

「何」

 ぶっきらぼうに返しながら遥が振りかえる。彼女はやっぱり夕焼け色だったけど、日がさらに落ちたのか、今は僅かに紺色が入っていた。それでも、彼女の顔は穏やかな赤色で、そんな遥に雪が頭を下げた。

「その、本当にありがとう」

「いいの」

 すぐに返ってくる、優し気な言葉。そして、「いや」と小さく呟いて、遥は言葉を言い直した。

「どういたしまして」

 雪が顔を上げて、微笑む遥の元へと走り寄る。そして、肩をぶつける様にして彼女と半ば強引に腕を組み、二人で日傘の中に入る。最初、遥は嫌がる様に日傘の下から出ていこうとするも、腕を組まれていては仕方がない、彼女は観念した。

 そして、二人は徐々に暗くなっていく道を、家の方向へと向けて歩き出す。その道すがら、密着したからか遥から香ってくるペンキの匂いに、雪は横を見て彼女の白い髪を見る。

「本当に染めちゃう?」

「先生に怒られるよ」

 その前にまずはお母さんに怒られるか、と制服も駄目にした遥がため息をつく。それに雪がくすくすと笑い、彼女の髪を一房手に取る。髪を染めるためのものじゃなく、塗装用のペンキで染められた髪はお世辞にも綺麗とは言えない。

 少し匂うし、まだらだし、髪同士がペンキでくっついて絡まってしまってもいる。最低限地肌付近のペンキは取り除いているけれど、逆にそのせいで変な感じなっていた。

「でも、本当に綺麗」

 それでも、雪はそう言った。

 自分の肌と髪の色で苦労したことは多い。疎ましく思って、黒く染ようと思った事も何度だってある。でも、遥が自分と同じ色の髪を持っていると、胸の奥の方がふわふわした。

「好きだな」

「っ!」

 遥がばっと雪が持つ自分の髪を引き寄せて、それから明後日の方向を向く。

「あー……うー……私も……」

 遥は唸りながら雪から少しずつ離れていき、日傘の下から出ようとする。腕を組まれているから無理だったけど。

 茜色の空は随分と暗くなっていていたけれど、遥は夕陽が差し込んだかのように赤かった。彼女はそんな頬を片手で抑えながら、ぼそぼそと呟く。

「雪の事…………好きだよ」

「うん!ありがと!」

 雪は嬉しそうに日傘をくるくると回しながら頷く。

 そんな彼女の反応に、遥は下唇をきゅっと引き結び、それから、大きく溜息を吐く。

「日傘、回さない。危ないよ」

「はい」

 雪は頷き、星が出始めた空を見上げてから、日傘を畳む。

 紺色の空の下、二人はその色を髪に乗せて歩いて行くのだった。

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