見えない壁
ゆでたま男
第1話
「カラオケに行こうぜ」
同じ大学の同級生数人で歩いていた時、一人が言った。
「いや、俺はいいや。帰る」
僕は、それを断る。
「何でだよ」
「別に意味はないけど、なんとなく」
「じゃ、またな」
「あ、あぁ。また明日」
彼らと別れた。
僕には誰にも言えない秘密がある。
誰に言っても理解されることはない。
それどころか、変な目で見られる。
例えば、ここからみんなと一緒にカラオケ屋へ向かうとする。みんなは通れるその道を、僕だけ通れない。普通の人は、そんな馬鹿なと思うかも知れないが、通ろうとしても、何かにぶつかって、進めなくなってしまう。
そこには、見えない壁があるのだ。
この辺一帯の壁の位置は、全て把握している。だから、壁にぶつかる事はない。
例え目の前にあるコンビニでも、見えない壁がある場所は遠回りしなければいけない。
なんとも厄介だ。
大学に入るまでは、普通に暮らしていた。
何処へでも行けた。
ところが、ある日突然壁が現れた。
何故なのかは、分かるわけもなかった。
いつもの公園のベンチに座る。
子供達が楽しそうに遊んでいる。
子供が蹴ったボールが、足元を転がっていった。あのボールをとってあげたいけど、
このベンチのちょうど真ん中にも壁がある。僕は向こうに行くことは出来ない。
ボールは、隣のベンチまで転がった。
女性が座っていた。彼女は、本を読んでいたが、栞を挟んで本を閉じた。
立ち上がると、ボールを手にして転がした。
僕の前を通り、子供のところまでたどり着いた。
「ありがとうございます」
その子は、またボールを蹴り始めた。
僕が彼女の方を見ると、彼女は、優しい笑みを浮かべて会釈した。
僕もそれを返す。
彼女は、また本を読み出した。
その時、急に強い風が吹いた。
すると、彼女の読んでいた本から栞が飛んで、僕の足元に落ちた。
僕は栞を拾った。
もちろん、向こうにはいけない。
彼女は、立ち上がって歩いて来た。
僕は、壁のこちら側から、栞だけを壁の向こう側へ出した。彼女は、栞を受け取る。
「ありがとうございます」
彼女は、振り返り歩き出す。
「あの」
僕はつい声をかけてしまった。
「はい」
彼女は、こっちを向いた。
「あの、なんの本を読んでるんですか?」
「水沢夏音の小説です」
「僕も好きです。その作家」
「本当ですか?」
彼女は、とても可愛らしい笑顔になった。
「私・・・」
言いかけて、急に苦しそうな顔をしてバランスを崩し、手をついた。
僕は驚いた。
彼女は、何もないところに手をついていたからだ。そう、まるでそこに壁があるように。
彼女は、ベンチに座った。
「大丈夫ですか?」
僕は聞いた。
「はい。大丈夫です」
「あの、もしかして、ここに壁があるんでじゃないですか?」
「え?」
「僕も同じなんです」
僕は壁に手をかざした。
「同じ」
驚いた顔をして、彼女も手をかざした。
見えない壁の話をするのは、初めてだった。
あっという間に時間が過ぎた。
「また、会えますか?」
僕は聞いた。
「はい」
彼女は答えてくれた。
その後も、僕は何度も公園に行った。
彼女とたくさん話した。
二人の間には壁がある。
他の誰にも見えない二人だけの壁。
なぜか、それがとても嬉しく思えた。
その日も彼女はやって来た。
でも、いつもと違い悲しそうだった。
「あの、もう会えないかもしれない」
彼女は、唐突にそう言った。
「え?」
「手術するの」
「手術?」
「私、子供の頃から心臓が悪くて。凄く難しい手術らしくて、治るかどうかも分からないの」
僕は、その時なんと言ったらいいか、分からなかった。
「治るよ。絶対治る」
「うん」
「治ったら、また話そうよ」
「うん」
彼女は、小さく頷いた。
それから、僕はずっと待った。
時間がある限り公園のベンチに座った。
また、彼女に会いたくて。
また、彼女と話がしたくて。
そして、気がつけば1年が過ぎていた。
だが、彼女は現れなかった。
僕はふと思った。
この壁は、いったいどこまで続いているのだろうか。その先がどうなっているのだろうか。
僕は自転車に乗った。
いけるところまで行ってみようと思った。
何度も壁にぶつかった。
すぐに行き止まりになった。
また戻って、別の道を探した。
そうやって、少しずつ先に進んでいる
気がした。そこで気がついた。
これはきっと迷路なのだと。
お金がそんなにあるわけではない。
食べる物はコンビニでおにぎりをかった。
夜は野宿をした。数日間走り続けた。
そして、見覚えのある公園に辿り着いた。
いつもの公園だった。
いつものベンチに腰を下ろした。
初めて見る、こちら側からの景色。
彼女は、いつもこの景色を見ていたのだ。
もし、僕の目の前に見えない壁が現れなければ。もし、彼女の前にも見えない壁が現れなければ。僕は、彼女に出会うことはなかったかもしれない。
僕は、壁の向こう側できっと今でも座っていたはずだ。
「あの」
声がした。聞き覚えのある声だった。
声の方を見ると、彼女が立っていた。
「そこ、私の席なんですけど」
「あ、ごめん」
僕は立ち上がった。
彼女は、可愛らしい笑顔を見せた。
僕も笑った。
「どうやってこっちに来たの?」
「探したんだ。新しい道を」
「新しい道?」
「座ろ」
もうこのベンチに二人は座れない。
隣のベンチに二人で座った。
また、僕らは話しをした。初めて出会ったあの時と、何も変わらなかった。
ただ一つ、二人の間には、もう壁が無いということを除いては。
人生は迷路の様なものなのかも知れない。何度も迷って、正しい道を探し出さなければいけない。例え、行き止まりになっても、諦めずに新しい道を探し続ければ、いつかきっと進むべき道が見つかるはずだ。
僕がそうであったように。
見えない壁 ゆでたま男 @real_thing1123
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