2章 雪兎と冬燕7
「よう、大馬鹿野郎」
クローネに声をかけてきたのは長身の男性、レンだった。
現在いる場所は燃え盛る火山の中ではなく、曇天が蔓延る純白の大地の上だ。とはいえその灰膜も今日は薄く、太陽が朧気な輪郭を作り空を漂っていた。
外気は冷たいが、厚手の衣服と適度に休憩を挟めば耐えられないほどでは無い。かつては永久凍土と言われた外界も、ここ百年で気温が上昇傾向にあるため過ごしやすく変化していた。
「大馬鹿なんて大層な呼び名じゃない。喧嘩なら買うわよ?」
仕事の為に集まってそうそうの暴言に、クローネは拳を作って虚空を殴る。一度、二度と押し出された覇気がレンの顔を撫でる。
二人以外にも数人の頭がチラホラと散開していた。皆、切り出し用の道具を手に、スキーを履いた
雪兎、そう呼ばれる職だ。本来ならば上層のさらに上、外へと繋がる最上層へ出稼ぎに行き集めるのだが、一部坑道跡が解禁されてからは輸送の手間を省くために作業が行われるようになっていた。
下層のか細い地下水脈以外で水が湧き出るところがない為、雪兎の仕事は重大なライフラインとなっている。生活から工業、農業まで必要な水を雪を溶かして得ているからだ。
配管工であるクローネがその仕事をしているかと言えば、懲罰的な意味合いが強かった。本来なら死罪である外への横穴を開けた関係者を無罪にする訳にはいかず、無給の奉仕活動という刑に服していた。
それでも最上層で作業しろと言われないだけ温情だ。エレベーターのない山頂では毎日梯子を昇り降りするだけで数時間がかかる。ましてや背中に雪嚢を背負ってなど体力がいくらあっても足りはしない。
二年間、定期的に呼び出されては他の作業員と共に雪を切り分け、圧縮し、雪嚢に詰めてはネコで坑道の入り口に運ぶ。指定の量になるまで延々とそれの繰り返しだ。三日目辺りでクローネの心は無になった。
監督は交代で持ち回っているようで、下層の人も度々訪れる。その目は殆どが鉄くずを見るようでクローネは苦手としていた。
何かされる訳では無い。ただ機械的に見つめてくるだけ。タールのようにまとわりつく居心地の悪さだけがそこにはあった。
今日は知り合いだと、気楽に思っていたところだった。落胆よりも憤りで頭に血が上る。
「喧嘩売ってるとかじゃねえ。頼むからもう少し大人しく出来ねぇのかよ」
それは予想外の反応だった。注意にしては悲壮にあふれ、懇願というにふさわしい。
……なにかしたっけ?
基本的に変わり映えのしない毎日を送っているクローネは首を傾けてレンを見つめていた。
思い当たる節はない。あえて言うなら昨日のレースで勝てたことだがそれは凶事ではなく吉事だ。
分からないと表情で示すクローネに、レンは目眩する頭を抱えて、
「あのな。普通は二回のレースで二回とも医務室送りにはならねぇんだよ。酷い火傷なんだろ?」
「いや、全然。あれは付き添いだけだし、雪当ててから軽い火傷もないよ」
「……あの火事で?」
うん、とクローネは頷く。
心配するほどのことでは無い。ただの救命活動に自分の命をかけるほど馬鹿では無いからだ。
見た目は派手だったかもしれない。上空のワイヤーを炙るほど高く立ち上っていたが、所詮は低質のガス火、振り払いながら歩けば焼かれる前に脱出するなど容易であった。
だからやきもきする必要などないのだと、クローネは媚びた目で訴える。結果として一人の少女を救えたのだ、罵倒よりも賞賛を纏いたい。
「……人間、だよな?」
「そんなにゴリラに見える?」
レンの猜疑に満ちた目に、不安が渦を巻く。
腕を見れば山中では珍しい日焼けした肌がある。
……毛深くはないんだけどなぁ。
既に絶滅した霊獣、その姿と自分を重ねても一致することは無かった。
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