1章 緋石と未だ届かぬ蒼穹6

「んぐぐっ!」


 上層についてすぐ、ランドスコッパーに乗ったクローネは言うことを聞かない機械に悪戦苦闘していた。

 ……油は硬いし、グリス塗ってないの!?

 前にも後ろにも進まないスコッパー。そもそも操作のためのレバーは岩のように固く、頑として動かない。

 エンジンもなく燃料もなくタービンもない。ただパワーセルによる空圧を駆使してスコッパーは動く。ドロッパーにあった炉すらないため、スコッパーの内部を流れる油を温めるには蒸気を当て続けるしかない。

 普通ならば寒冷地用の油を使っているはずなのに、動きを見る限りどう考えても標準油。それも使い古して目減りし、不純物も多く含まれているせいでクローネの想定の半分も出力されていないし、倍力装置も働いていないためレバーが硬いのだ。

 それに加えて全体的に軋んだ音が響く。潤滑油が切れているせいでスムーズな動力移動がなされず、ガコンガコンと大きく揺れる。つり上げ用のチェーンも錆び付いていて今にも切れそうだ。


「あー、もう! ポンコツがぁ!」


 レバーを折る勢いで体重をかける。見た目だけ元気に息を吐き出すスコッパーは、少しづつだがその動きに滑らかさを取り戻していた。

 好き勝手やらせて貰うんだから。

 水も凍てつく温度のなかで、クローネは顔を熱した鉄のように真っ赤に染めていた。額には雫を滲ませ、予備の作業服には脇に汗じみをつくる。

 五連直結のパワーセルでも、この勢いで蒸気を吐いていたら直ぐにガス欠してしまう。しかしそんなこと構うものかと、クローネは元栓を全開にしていた。そうしないとてこでも動かないからだ。


 運ぶ荷物は大粒の火成岩だった。噴火によって大量に溜まったそれを加工する術が上層には無い。だから安く買い取って中層、もしくはそれより下で加工すると聞かされていた。

 上層には燃料となるものなどない。それこそ人を燃やして暖を取るなどと揶揄されるほどだ。パワーセルも中層から蒸気を詰めたものを使用しているため既にだいぶ冷えてしまっている。

 とはいえ上層には上層の生き方があるが──


「おっと。変な気を起こすんじゃないよ」


 クローネは腰に吊り下げた機械弓を手に取って照準を合わせる。先端に短矢ボルトを取り付け、あとは引き金を引くだけで何時でも射出出来るようになっている。

 矢の向いた先には一人の男がいた。痩せて、見るからにみすぼらしい格好だ。ろくな物を食べていないだろうと推測できる。

 その男はクローネの脅しに飛び上がり、走って逃げた。それを追うような真似はしない。不埒な事を考えているのは奴だけでは無いからだ。

 ……困ったわ。

 スコッパーを操作し始めてから二時間。同じような理由で追い返したのは既に三人目だ。

 彼らは人足として雇われている上層の人間だ。スコッパーについたカゴに火成岩を詰め込み、層間移動用のエレベーターで荷降ろす。替えがきくが居ないと困るのだ。

 舐められているのか、たまたま不真面目なのが集まったのか。ただをこねるスコッパーの事も考えると不快感がクローネの顔に出る。幸いにも積み作業は終わっているため、荷降ろしの際に他の人足を補充するつもりだった。


「よぉ、精が出るな」


 エレベーターまで到着すると、声をかけられる。

 男性だ。まだ若く、二十歳そこそこに見える。

 厚い防寒具に身をつつみ、手には機械弓、そして握りのついたパイプを持っている。

 どちらも自衛にしては些か過剰だ。その理由は言わずもがな、堂に入る姿は少なくない回数凶器を正しい使い方してきたように見える。


「まったく手間がかかるわ。気晴らしに引き金が軽くなるくらいにはね」


 クローネは機械弓を愛おしそうに撫でる。

 男性は怖い怖いと適当に言葉を投げかけると、周りにいた人足を呼び集める。

 余計な気を回して、さぁ……

 二人は血の繋がりのない兄妹だった。

 レン グレイン。彼とクローネは共に下層から捨てられた子供である。成人から子供まで厳しく人数制限されている下層では不用意な出産は認められない。限りある資源を長く使う為にはそうするしかないからだ。

 殺されないだけ温情でもあった。代わりに中層に捨てていく。ありふれたことでもあった。


 同じ孤児院で育ち、技術を学び、独り立ちした。仲は良かった。でないと他に味方がいないからだ。

 その縁が未だ続いていたことに、毛先の束で撫でられるようなこそばゆさをクローネは感じていた。 

 レースを見ていないはずがない。派手に事故したことも知っているはず。その手助けとして割のいい仕事を紹介したのだった。

 他に候補がいくらでもいる中でどうして自分がと思っていた謎が解消されて、照れくささから態度に困っていた。五年も先に独り立ちしてから今まで会わなかったことも、その感情を助長させる。


 しかしいざ話をすると当時と何ら変わりのないレンがいた。褪せた錆色の記憶が現代に更新されていく。肩透かしをくらったクローネは、急に馬鹿馬鹿しくなって昔の気軽さを表に出していた。

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