1章 緋石と未だ届かぬ蒼穹4

「こりゃあ……まじか」


 レース翌日、自宅にて再度ひと眠りしたクローネは五階から持ってきた忌々しい石をアグに見せていた。

 今は四の鐘が鳴った後だ。もう少しで仕事が終わるという時間なので飯場のある広場にはアグ以外は誰もいなかった。

 アグはその石を見て、つまんであまつさえ軽く噛んで見せた後、クローネの手の中に腫物を扱うようにそっと返す。

 一瞬受け取りを躊躇したクローネは着替えた服で軽く石を拭う。その間奥歯にものが詰まったように言葉を詰まらせていたアグは大きく息を吐いてから、


「その石、どっかから盗んだって訳じゃないんだよな?」


 可能性としてありうるとでもいうような、渋い表情を浮かべていた。

 ……とんでもないことを言うなぁ。

 目線で射殺すように突き刺すクローネに、アグは悪かったと手を振る。

 窃盗は重罪だ。限られた資源しかない環境下では皆で協力をしないと生きてはいけない。そもそも昨日の事故で満足に身体も動かせないクローネが窃盗などという難しいことが出来るはずもなかった。


「で、何なんですかこの石は?」


 不機嫌さを言葉に乗せてクローネは尋ねる。

 今までの反応からただの小石ではないことはわかっていた。しかし、価値のあるものならそれなりにピンとくるはずなのにどうにも思い当たる節がない。それが虫が身体を這うような気持ち悪さを醸していた。

 アグはただじっとクローネを見つめていた。それほどまでに話すことへ覚悟がいることなのだろうか。急に不安になって石を誰かに見つからないよう、ポケットにしまう。

 三呼吸ほど時間をおいて、アグの口から出たのは意外な言葉だった。


「それはな、アグニの花だ」


「……まじっすか」


 アグニの花。それは正しくは花でも石でもない。

 高エネルギーの結晶体。指先一つのかけらでも膨大なエネルギーを内包している。下層で産出される主な結晶だった。

 ただ単体ではただの不活性な結晶でしかない。エネルギーを得るためには特定の活性剤を混ぜる必要があった。

 火山の熱だけではどうしても足りないこともある。すくい上げることも配管を通すことも難しい溶岩では、溶鉱炉のようにピンポイントで欲しい熱源として利用はできない。不純物の多い原油では煤や排ガスの問題もある。閉鎖的な環境では一度溜まった毒はなかなか抜けないからだ。

 その問題を一挙に解決できるのがアグニの心臓と呼ばれる大鉱脈の存在であった。

 燃えるのではなく、熱を放出する。使い終わればほとんどカスも残らない。都合のいいものだけにその存在は下層の人間が独占していた。

 ではなぜそんなものが中層にあるのか。原因は火山の噴火以外にあり得ない。

 それを運よくクローネが拾っただけの話であった。しかし一つだけ納得できない話がある。


「ねえ、緋色じゃないんだけど。これ本当にアグニの花なの?」


 アグニの花といえば水のように透き通った緋色が鮮やかであると言われていた。

 実物を見たことのある人は中層にはほぼいないが、話になるほどに有名ならばその最たる特徴くらいだれでも知っている。

 手の中にある石は似ても似つかない屑鉄色だ。たばかるつもりにしても出来の悪い話だった。

 しかしアグは大口を開けて笑っていた。まるで宝物を見せびらかす少年のように目に性根の悪い笑みを貼り付けて、


「そりゃあただ表面が酸化してるだけだ。物には変わりはねぇよ」


 無知を笑う。

 顔に悔しさを滲ませるクローネは、直ぐに反論を用意することが出来ずに歯がゆいまま低く唸る。

 ムカつく。グツグツと煮立つ心が暴れそうになる。

 それを片頬を膨らませることで表に出す。手を出すわけにはいかないからだ。


「……なんでそんなに詳しいの?」


 ふと湧いて出た言葉を投げかける。

 噂程度しか出回っていない以上の事をすらすらと述べるアグに、不信感に似た感情を抱いていた。


「おいおい俺を誰だと思ってるんだ? 中層二階を取り仕切ってんだ、これくらいの知識がなかったら下層の連中にいいように言いくるめられちまうだろ」


 アグはこともなげに淡々と答える。

 ……そうよね。

 何言ってんだと、思慮浅い言葉を口にしたことをクローネは後悔する。

 階層間の人の移動は自由には行えない。行われるにしても上に上がることはあっても下がることは容易ではなかった。文字通り住む世界が違う、明確な線引きがあった。

 しかし物の移動だけは別だ。その最たるものが水、雪である。

 下層ではほぼ手に入らないそれらは上層を越えてさらに上、最上層若しくは外から入手するしかない。他にも深度によってとれる鉱石にも差があるため、モノとカネだけは比較的自由に行き来が許されていた。


 その交渉役にアグが一枚噛んでいるのだからそれなりに詳しくて当然のことだった。

 だから納得すると同時に、興味も失せる。

 アグニの花は中層にとってとても貴重なものであると同時に無用の長物でもあるからだ。

 熱源としては魅力的でも、活用する方法も基盤も整っていない。たった一握りでは個人の役に立っても街で使うには小さすぎた。

 ならば下層に持っていけばいいかといえばまずその伝手がない。よしんば売れたとしても、下層では珍しいものではないため買いたたかれるか、アグの最初の言葉のように窃盗を疑われるだけだろう。

 それならば家宝として埃をかぶってもらうしかクローネは使い道が思いつかなかった。


「ま、あんま人に見せびらかすなよ」


 アグは忠告すると、手を振って立ち去っていた。

 いらぬ混乱を招くだけの劇薬に、クローネは本気で投げ捨てるかを迷っていた。

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