1章 ドロッパーレース4
鉄扉の入口から見て、ハンガーの一番奥。そこに選手たちは集まっていた。
六の鐘も近い時間になっていた。ハンガーの外から徐々に集まってきた観客の喧騒が微かに響く。レースを今かと待ちわびる人々に選手の気持ちも揺れ動いていた。
レースの順番を決めるくじ引きが始まる。一レース四人で走る、その出走順とレーンを決めるための。
「クローネ」
皆を差し置いて最初に呼ばれたクローネは人垣をすり抜けて前に出る。
くじ引きの順番は新人、または勝率の低い方からと決まっていた。
壇上に上がる。鉄でできた足場に鉄の台。そこで待っていたのは男性で、火山では珍しくシルクのスーツ姿だった。
高そう、そんな感想を抱きながらクローネは台に置かれた鉄板を見つめる。
手のひらに収まる程の小さなカード状の板は几帳面に揃えて並べられていた。表面は薄く輝き、何かしらのメッキが施されているようだ。
運命の一枚、始まりの一手をクローネは迷っていた。何も考えずについ真ん中辺りを選びそうになり、彷徨う手は力を込めて一番角の、クローネから遠いところを取る。
それで何が変わる訳でもない。わかっていても一番を取ることに執着していた。
背後から突き刺さる下世話な視線を感じつつ、鉄板を裏返す。指にかかる重さに狼狽しながら、彫り込まれた数字に目を奪われていた。
「クローネ、一番」
出来すぎだ、クローネはそう思いながら振り返り意気揚々と鉄板を掲げる。
まばらな拍手が起こる。あまりに浮かれた行為に冷ややかな目を向ける者もいた。
……負けるもんか。
初めてと言っていいほど人前に立つ経験がなかった。自分を鼓舞しなければ膝から崩れ落ちそうなほどに人々の目が怖い。しかしこれからそれ以上の人々に注目される事を考えると、泣き言を言っている余裕はなかった。
その後は粛々とくじ引きが行われていた。
次々に対戦相手が決まっていくのをクローネは不安混じりの表情で眺めていた。一レース目の三つあった席も既に二つが埋まっている。しかしその後が中々決まらない。
対戦相手が誰かを重要視しているのは主に賭けに興じる観客で、選手にはあまり関係がない。それでも相手が決まらないことへの座りの悪さは拭えない。
とうとう最後の二人まで残ってしまった。次にくじを引く人が外れれば、現在最高成績の選手とレースすることとなる。つまりはセナ モハマドだ。
……まさか、ね。
つい先程豪語したばかりでその実証の機会が与えられるなんて、物語にしてもやりすぎだ。そんな他愛のない妄想に乾いた笑みがこぼれる。ありえないと心を補強しないと折れてしまいそうだった。
「スクリム、二番!」
鬨の声が上がる。くじ引きの結果が発表され、同時に人々が散っていく。
クローネは思わず安堵を口から漏らしていた。いっそいい機会だと開き直れなかった自分の小ささに、今後の暗雲を見たような気がして逃げるように自分の機体が眠るハンガーへと向かっていた。
一番目のレースはくじ引きからそう時間を置かずに開始される。
クローネは背中にのしかかる何かを忘れるように準備に没頭していた。
ドロッパ―の推進力のほとんどは蒸気の噴射だ。そのためレース直前にパワーセルに蒸気を溜める作業から始めなければならない。
パワーセルは円形のボール型をしていた。二重構造の半円を二つくっつけて、その周囲をボルトとナットがきつく締めている。小型の牢獄ともいえる中に蒸気口から熱いガスを限界圧力まで取り込み、封をすれば完成だ。
クローネが用意したのは四つ。普通は二つ、多くても三つのところを四つも使うことがバイラル型の特徴だった。
単純に推進力を増やせばそれだけ早いということはない。蒸気の噴射は一定ではないからだ。二門の排出口のバランスが崩れれば恐ろしい勢いでスピンをして中の搭乗者は間違いなく脳震盪を起こす。だから推進力として使う一つの他に左右から噴射する制御用に一つというのが通例となっていた。
バイラル型もそれは変わらない。余った二つの使い道はとっておきの秘密兵器だった。
「準備はいいか?」
「はい、大丈夫です!」
ドックの外から届く声にクローネは鐘をついたように怒鳴り返す。そうでもしないと声は周囲の雑踏に掻き消えてしまうからだ。
パワーセルを両手に持ち、機体に飛び乗る。座席の後方にあるハッチを開けてセルを並べて配置。確認用の整備レバーを捻ればセルは隙間風のような音を響かせ白い息を吐く。
……よし。
異常なしを指差しで確認し、クローネは下に降りる。機体を支えていたジャッキの油圧を下げると機体はがくっと落ちて宙ずりになった。
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