1章 配管工のおしごと5

 ただその一点だけでどんな作業員も黙らせる。ある意味では最も班長らしい彼は、集まった人頭を指さして数えた後、えー、とそのハリのない声を披露する。


「今日の作業は昨日の続き。親十五の後ろ六節右のチェックな。あと昨日左のほうから作業後に異音がするっつうクレームが入ったからそっちにも人やるぞ」


 目を閉じて右手の人差し指で眉間を叩きながら今日の予定をそらんじる。テンカの癖だ。何かを思いだす時は必ずやる動作に、茶化して真似するものもいた。

 話を聞いて作業員の表情が一斉に曇る。レースで大事故が起こった時のような深い諦観の表情だ。一番年長の作業員が皆の思いを代表して一歩前に出る。


「するってぇと、右の点検を今日中にやるのは厳しいんじゃねえのかい?」


 同調するように首を振る顔が一つ、二つと増えていく。

 テンカ自身も頷いていた。それを見てほっと安堵する吐息が散見する。しかし、


「だな、頑張れ」


 それが結論だとでも言うように短い言葉を残して彼はエレベーターに向かっていた。

 ……あぁ、最悪。

 皆が同時に思ったことをクローネも心の中に抱えていた。

 今日の作業はテンカの言う通り後ろ六節。下から数えれば二十六本目の親管パイプから伸びる支線の点検作業だった。街は上に向かうにつれて広くなり、中腹より上は狭くなる。つぶれた饅頭のような形だった。その壁に沿うパイプは必然的にせり出して設置されている箇所があり、上に上がるにつれて増えてくる。時折背中を大きく逸らさないと点検できないこともあるため、後ろ十節の間の作業は不人気だった。


 長時間無理な体勢での作業は文字通り骨が折れる。それに延々と時間をかけているわけにもいかない。手早く、想定の時間内に終わらせないとそこに住む人の生活に関わるからだ。かといって手を抜こうものならアグのパイプのように太い腕からの拳骨を喰らうことになる。それを理解している作業員は顔に陰を作りながらテンカの後を追っていた。





 親管との接続を止めて、支線の蒸気を抜く。

 高温高圧の蒸気は笛のような音とともに勢いよく噴き出して、辺りを白く濁らせる。一気に蒸し風呂と化した現場にクローネは早くも薄い汗を服の下ににじませていた。

 水の匂いを鼻に受けながら減圧を待つ。次第に勢いを無くしていく音はさながら息の長い断末魔のようにも聞き取れた。


 余韻を残して途絶えた音に、作業員達は顔を合わせる。次に行う作業で息を合わせるためだ。

 一列に並んだ作業員が金属製のベルトを外していく。そこに止められていた断熱材を丁寧に剥がすと、ようやく中から陽炎かげろうで揺らめく鈍色の金属パイプが現れる。


 支線に使われているパイプは接続管から始まり子管しかん、子亜管、複管、複亜管と徐々に細くなっていく。そして最終的には指管ゆびかんとなって各家庭へと伸びていた。クローネ達が作業するのは複亜管までで指管に関しては別途依頼を受けないと対応しない。

 子管は太さが五十センチもあり、厚みもある為複数人で作業を行わなければならない。しかし複管以下はそれほど重くもないため一人での作業が求められていた。クローネの担当は正にそこで、複管を一人で点検することが配管工としての始まりでもあった。


 点検作業は単純で、パイプの外に錆や亀裂がないかを確認する。続いて内部に異物がないかをチェックして終わりだった。長い間使用していると水から溶けだした成分が管に固着して白い堆積物を作ることがあるからだ。

 複管は重いものでおおよそ二十キロ。長いものだと五、六メートルにもなるため中を覗いても先まで見るのは困難だった。また、まだ高温のパイプを覗くと目が焼けることがあるため基本目視でのチェックは出来ない。そこで使われているのが紐を括り付けたガラス玉だった。

 径に合わせたガラス玉をパイプに通し、スムーズに流れれば中に異常がないことが分かる。弾んだり、詰まったりしたら問題がある証拠だった。


 作業を開始してからある程度の時間が経過していた。複管を十本ほど点検したところでクローネは背中を大きく伸ばして一息つく。

 そろそろ三の鐘が鳴る時刻だった。滝のようににじみ出た汗がツナギに地図を作る。たまらず上半身をはだけてタンクトップ姿になると、近くで同じように小休憩をとる男性が話しかけていた。


「おいおい、ショーでも始める気か?」


 下品な想像をする男性にクローネは舌を出してたしなめる。


「馬鹿なこと言ってないでさっさと作業に戻りな。あんたはサボりすぎなのよ」


 クローネは足元に置いてあるバケツに手を入れる。水の中に浮かぶ雪をつまむと、恨みを乗せて彼に投げつけた。身体を冷やす為に用意されたそれは無駄遣いは出来ない。だからほんの一欠片だけに気持ちを込める。


 緩い放物線を描くつぶては、狙いすましたように男性の頬に当たり、砂糖菓子のように砕けて落ちる。避けもせずに受けた彼はいてぇなと気楽な笑みを浮かべていた。

 

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