文鳥ですが守ります!

仲町鹿乃子

第1話

 アリス・ウイスランドは、白銀の髪に緑の瞳をした十六歳の男爵令嬢だ。

 ――つい、十八分前までは。


 緑豊かな爽やかな夏のある日の、王宮内の後宮の一室。

 マホガニーのテーブルの上に立っているのは、手のひらサイズの真っ白な一羽の文鳥。

 これが今のアリスの姿である。

 そして、アリスの前にいるのは、猫足の椅子に座るこの国の十一番目の側室であるビクトリアと、アリスに文鳥の魔法をかけた顎に白い髭を生やした年老いた魔法使いだ。

 彼はビクトリアの親戚の古い友人だそうだ。

 椅子に前かがみになったビクトリアが、アリスと目を合わす。


「いいですか、アリス・ウイスランド。確認のためにもう一度伝えておきます。決まりごとは二つ。一つ目はわたしの一人の息子、レイモンド王子を王立学園に入学するまで守ること。そして二つ目は、自分が人間であると自ら告げないこと。とくに、これを破るとかけられた魔法に作用して」

 そこで言葉を切ると、ビクトリアは艶やかな唇を少し歪めた。

「人間には戻れなくなります」


 アリスは薄紅色のくちばしをきゅっと閉じ、真っ白な羽で覆われた体をぶるりと震わす。

 つまり、文鳥のままだということだ。

 さんざん説明され、納得済みとはいえ、恐ろしくないといえば噓になる。

 でも、もうあとには引けない。

 すべては浪費家の両親から、たった一人の弟を救うためだ。

 弟を王立学園に通わすには、お金が必要なのだ。

 アリスは一歳年下の優しい弟を思い、不安を消すかのように首を振り、決意を新たにした。


 レイモンド王子は六歳。

 王立学園への入学は十五歳。

 つまりこれから九年間、アリスの人生はレイモンドとともにある。


「お任せください、ビクトリア様。わたくし、アリス・ウイスランドはレイモンド王子を――」

 そこでアリスは小さな白い首をきゅっと上げ

「文鳥ですが守ります!」

 きっぱりと決めたはずのその声は、人間だったときのアリスより若干ピーピーとしたかわいらしいものへと変わっていた。


 ◆


 言うは易く行うは難し。


「……母上、こののんきそうな顔をした文鳥をいつもぼくの肩にのせていろと?」


 魔法使いと入れ替わるようにビクトリアの部屋にやって来たレイモンドは、座っていた猫足の椅子から下りると小さな肩を怒らせた。

 レイモンドは六歳。

 さらさらとした金色の髪に、瞳は海の青より深い色をしている。

 眉や鼻や口までも、あるべきものが理想の形できっちりと配置され、この年ですでにその美は完成していると言えよう。

 あとは年を重ね、魅力的な男性としての深みを出していくだけ、といった具合である。


「レイモンド。この文鳥は、あなたに幸せを呼ぶ鳥なの」

「文鳥が幸せを呼ぶ?」

 冷たい声とともに、レイモンドは六歳とは思えないシニカルな笑いをビクトリアに向けた。

「幸福を呼ぶ鳥としてぼくが知るのは、東の国に生息するツル。ツルは長生きの象徴であるそうです。また、フクロウも夜行性で夜でも見通しが良いといった特性から運が開けていく意味があるとか。実在はしませんが、かの国には鳳凰と呼ばれる色とりどりの架空の鳥がいるそうです。世に平和と安寧をもたらせてくれるとか」

 そこまで一気に話したレイモンドが、賢そうな青い瞳をアリスに向けた。

「お言葉ですが母上。こんな、のんきそうなあほ面した小さな鳥に、どれだけの幸運を呼ぶ力があるというのですか」


 のんきそう?

 あほ面?

 きれいな顔をしたこの王子様は、全世界の文鳥愛好家を敵に回すようなセリフをすらすらと言い放った。


「レイモンドったら、また小難しいことを言って。いいこと、ともかく王立学園に入学するまでの間、あなたはこの文鳥を肩にのせて生活をするのです」

「そんなことをしたら、まるでぼくがのんきそうであほ面した変人みたいじゃないですか」

「それが狙いです」


 互いに一歩も引かない母と息子の応酬を、アリスは机にのったまま小さな首を右と左に振りながら見守る。


「お聞きなさい、レイモンド。あなたは、辛辣でしかも頭もいい」

「ありがとうございます」

「褒めていません。あなたはたしかにいろんな知識はあるのでしょう。でもそれをひけらかすのは、ここでは命取りになります。たとえば、あなたがどこかの商人の息子であれば、その知恵や知識は店を盛り立てるのに役立ったでしょう。しかし、あなたがいるのはここ、後宮です」


 ビクトリアが人差し指を床に向け二度差した。


「あなたは二十九番目ですが、この国の王の子として生まれました。そんな気がなくても、なにかのきっかけで担ぎ出されてしまうことがあるのです」

「二十八人ものきょうだいを越えて王に、ということですか」


 ばかばかしいとばかりにレイモンドが鼻を鳴らす。

 この国は男女関係なく王位に就くことができるのだ。

 アリスもさすがに二十八人抜きはないんじゃないかと思うけれど、過去にあった疫病を思い出すと、なくはない話だなとも思う。


「レイモンド、これは確率の問題ではなく、立場の問題です。立場が人を思わぬ方向へと動かしていくのです。幸い、わたくしたちの心は一致しています。あなたにもわたしにもそんな野心はありません。では、どうするのか?」

 その先を聞きたいといったレイモンドが、聡明な眼差しをビクトリアへと向けた。


「変人を装うのです」

「…………」

「とはいえ、あなたにそんな人物を演じろといってもなかなか難しいでしょうし、継続するとなるとさらに厳しいでしょう。けれど、あなたが肩にいつも文鳥をのせていたら……。あら不思議、それだけであなたは変わり者だと思われます。つまり、この小さな文鳥が、あなたを外野の思惑から守ってくれるのです。これを思いついたときのわたくしを、わたくしは褒めてあげたい!」


 ビクトリアが膝にあった絵本を開く。他国の童話の本である。

 青い鳥を探して歩くきょうだいの話だそうで、それを読んだときにこの案を思いついたのだそうだ。


「しかし、ぼくは変人だと思われたくありません」

「周りの評価がなんですか。宝石はたとえ泥の中にあっても、その価値を変えたりしません」


 ビクトリアの言葉にレイモンドが息を呑む。

 賢い息子は、そこに母の本気を見たのだろう。

 王立学園は、全寮制だ。警備も厳しく後宮よりも安全だとビクトリアは言う。

 後宮には側室の数だけ宮と呼ばれる別棟がある。その中でビクトリアの宮は一番小さく質素だ。

 そんな待遇でありながらも、自分のままで生きられないレイモンドをアリスは不憫に思う。と同時に、そこまで息子を想う母親の存在が羨ましくもあった。

 すべてはレイモンドをこの後宮で生き延びさせ、王立学園へと進ませるためである。

 その気持ちは、弟を持つアリスも共感できる部分ではあった。


 さて、この王子はどうするだろう?

 それでも、変人の真似などできないと言うのか。

 それとも?


 レイモンドは溜息を吐くと、出窓のそばまで歩き外を見下ろした。

 彼の視線の先が気になったアリスは、パタパタと飛び出窓の床板へと着地する。

 窓からは後宮の小さな庭が見えた。

 庭では、レイモンドと母違いの姉と兄が毬で遊んでいる。

 彼らは九番目の側室の娘と息子で、レイモンドよりも年は一つ二つ上だ。

 二十九人いる王のこの中で年が近い三人だそうだ。

 姉兄きょうだいは、すらりとしたレイモンドとは違いコロコロとしていた。

 姉の名はデリア。兄はローガン。


 文鳥になる前の一週間、アリスはこの宮の隅でビクトリア直々に人間関係及び、王宮のしきたりについての教えを受けた。


 側室はその順番により上下関係があるとか。

 王族は魔法使いになれないとか(ビクトリアは、これを非常に残念に思っていたようだ)。

 あれこれある王族としてのしきたりや、決まり。

 そして後宮での生活の中での一番の面倒ごとが、九番目の側室と姉兄きょうだいだそうだ。

 側室だけでなく姉兄も、ビクトリアやレイモンドに難癖をつけてくるらしい。

 大きな被害はないが、面倒だとビクトリアはぼやいていた。


 レイモンドが窓から視線をビクトリアへと戻す。

「わかりました。ぼくは変人を装うためにこの文鳥を肩にのせていればいいのですね」

「そうです」

 ビクトリアの笑顔にアリスもほっとした。

 これからいよいよ、レイモンド王子を守るアリスの生活が始まる。


「しかし、心配事があります」

 レイモンドの困ったような声に、アリスも耳を傾ける。

「なにかしら、レイモンド」

「フンをされると困ります」

 王子の発言にアリスは赤面した。

 ビクトリアが心配そうな眼差しをアリスに向けたので、慌てて首を振る。


「…………大丈夫です。彼女はそんなことはいたしません」

「彼女、ということはこの文鳥は女性なのですね。名はあるのですか?」

「それは直接お聞きなさい」

「なんと! この文鳥は話せるのですか?」

「そうです、レイモンド。大切なことを言い忘れていましたね。この文鳥は、あなたのために国中駆け回り見つけた、とても賢い文鳥なのです。彼女は人の知能と心を持ち、人の言葉を話すのです」

「文鳥なのに人の知能?」

 レイモンドの青い瞳が意地悪に輝きアリスを見据えた。

 その瞳にアリスは、びくりとした。


「文鳥よ、円周率を答えよ」

「…………」

「母上。やはりこれはただの文鳥のようですが?」


 意地悪なレイモンドの声に、この王子とうまくやっていける気がしなくなったアリスは、頭を抱えた。


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