本物

@captainorima

第1話


 叔母の訃報があり、急ぎ帰札した。


 葬儀には見知った顔が集っていた。皆一様にかなしみと思われる表情を浮かべている。列席者達が悲しみと名付けた、思惑を十分に孕んだ不純物が会場のそこここに積もった。

 誰かが故人との思い出を語った。皆その語りに耳を傾け、それぞれが様々な工夫を加えながら、このような場にいる人間に社会が要求する顔を作っていた。この中に何人の人が心臓が緊張したゴムのように張り詰め、耐えがたい本当の悲しみに苦しんでいるのだろうか。

 焼香を終え、会場の隅で煙草を飲んでいると何かがさあっと風を吸い込んだ。風が向かったであろう方に目を転じる。

 女だ。真っ赤なワンピースを着た女。頭はかきむしったのか所々禿げており、手には生命の供給元から離れたばかりで、まだかろうじて痙攣を残してると思われる真っ黒な髪が握られていた。顔全体には真っ白な白粉が塗されており、なぜか平安時代の貴族が命を削りながら美を求めた亜鉛の白粉だと想像された。唇には幾度も幾度も紅が塗りたくられたと見え、2倍にも3倍にも膨張しており、まるで毒を溜め込み過ぎて、その毒で自らの身を壊している芋虫のようだった。

 女は会場の中心まで来ると、馬のいななきのような声を上げ、膝から崩れ去った。ガチンと床にぶつけた膝の中では悲しみに耐えられなかった血管が出血を起こしてるのが想像された。

 女は張り詰めた金属の弦をのこぎりで引いたような、黄泉の国から憎んだ人間を引き摺ろうと叫ぶような声で歌い始めた。 

 「あんよは上手、転ぶはお下手。ここまでおいで。甘酒しんじょ。舌切り雀。四十の八滝。唐松心中。」

 私は初めて本物を見た。これが悲しみなんだ。1点の濁りも無い純粋無垢な悲しみ。海の潮のようにドブのような口臭のように有機的な悲しみ。私は初めて人間を見た気がした。

 私は女のように自身の髪を引き千切ると精神が安定していくのを感じた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

本物 @captainorima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る