なんかい事件
笠井 野里
りっとるんと美緒先生
りっとるんは、筆記体のLにマークを目と口をチョコンとつけたキャラクター。授業でリットルの説明をするときに、わかりやすくキャラクターとして書いたものが生徒に好評で以降算数以外でも使うようにした。いつの間にか自分でも愛着が出てきたらしく、りっとるんはここ六年、私の授業には欠かせなく――
なーんて、りっとるんともお別れしようかな。十年立った教壇も、もう耐えられない。今月は何回残業を、いや私、何回定時に帰れたの? 国からの書類も教育委員会に出す書類も、ホントに役に立ってるのかさえわからない。書類に追われて授業準備は残業なんて、しかも残業代は一律。子どもの夢のために勉強を教える教師が、寝不足で出来たくまを隠すために真っ白になるまで化粧を塗りたくって、それでも生徒に「先生つかれてる? 目の下黒いよ?」なんて心配されて、やってらんない。生徒は私のことを心配してくれるのに、私は生徒の心配をしてあげられない、
ふと枕をみると、大粒の涙がこぼれていた。生徒たちの顔が目に浮かんでは玉のような涙とともに落ちて消えてゆく。私はこの重みに耐えられない。楽しかった思い出も、どんどんと流れてゆく。私はスーツ姿のまま、うつ伏せになって枕に泣きついて寝てしまった。
時計を見ると四時頃だろうか、私は目を覚ましていた。鼻水が乾燥してカピカピしている。顔を洗おうと思ってベッドから起き上がると、部屋の真ん中には、ぬいぐるみサイズのりっとるんがいた。
「ねえ、やめちゃうの?」
りっとるんは、私にそう尋ねてきた。これは夢だろうか、目をこすっている感覚はある。目の前のりっとるんは不思議だが、彼と話すことを億劫とは思わなかったので
「やめちゃう」
りっとるんは、顔らしき線をバツの形にして悲しんでいる。
「どうして?」
「疲れたの、あと私、向いてないかなって」
「え!
「ありがとう。でも私、いじめを止められてないし」
「優未ちゃんは先生を頼ってくれてるじゃない、それが出来る時点でいい先生だよ」
「……いい先生だとしても、私にはもう耐えられない」
「そっか……」
下を向いてしまったりっとるんに、私は申し訳なさを感じた。この子とだって、もう六年の付き合いだもの。教師を辞めたら、この子ともお別れ。
「……美緒は教師やめたらなにをするの?」
「わからない、ただ一回北海道を回ってみようかなって思ってるんだ」
「いい夢だね」
「うん」
りっとるんは、朝焼けと夜空の間の紫色の空を眺めていた。その横顔は、やはりどこか寂しそうなものだった。
「りっとるんはなにをしたい?」
私は馬鹿げた問いを知らない間に発していた。
「まだ教師をしたい、クラスの皆のあの笑顔が僕は好きなんだ」
りっとるんは泣いていた、私も泣いていた。
「ねえ、美緒」
「ん?」
「僕だけでも、教師のままでいさせて?」
彼の切実な願いに私はうんと頷いた。その瞬間、六年間を共にした相棒のりっとるんと、別れたのだ。その寂しさがこみ上げてきた頃には、私はまたまどろみの中に落ちていった。
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