第50話

 階段を降りる音が、壁に反響する。

 水はけが悪いのか、それとも換気が悪いのか、壁際には結露が溜まり、水滴がぽたり、ぽたりと地面に落ちていた。

 城の中は暖かかったのに、牢屋は冷たく、肌寒い。

 ネズミすらも寄り付かないであろうその牢屋は、地下に存在していた。

 階段を降りきると、鉄格子の檻が見える。

 その中に私の探していた人物が捕らえられている。

 ユーリックブレヒトは手鎖をはめられ、力なく椅子に座っていた。

「ユーリックブレヒト!」

「旦那様!」

「大丈夫ですか?」

 駆け寄る私たちを、ユーリックブレヒトの赤い瞳が一瞥する。

 美しかった彼の目は、今やこの牢屋に漂う荒廃した空気に濁ってしまっているようだった。

 ユーリックブレヒトの瞳が私を見た瞬間、彼の両眼がほんの僅かに見開かれる。

 しかし彼は私からは視線を外し、ソルヒとショルミーズへ顔を向けた。

「どうしてお前達が、ここに?」

「そんなの、決まってるじゃねーですか」

「旦那様が心配だったんですよ! 急に告発されて、屋敷の使用人たちも大慌てで……」

「それは、すまなかったな」

 素直に謝るユーリックブレヒトに向けて、ソルヒがやれやれと溜息を零す。

「いやー、ほーんと参ってたんですよ? でも奥様が屋敷に戻ってくださいましてー、それで今すぐ城に向かうぞって、それで私たちもどうにか動き出すことが出来たんですよー」

「……なるほど、戻ってきた、か」

 そこで初めて、ユーリックブレヒトが私とまともに目を合わせる。

 彼は気だるげに、口を開いた。

「それで? もうハーバリスト公爵家ともクロッペンフーデ大王国とも無関係なセラ嬢が、何故ここに?」

「決まっておりますわ。私はアシュの母親で、そしてユーリックブレヒト。あなたの妻なのです。息子と旦那の窮地に無関係を気取れるほど、人間が出来ておりませんの」

 その言葉に、ユーリックブレヒトは眉をひそめる。

「だが、お前との離婚は成立していて、この城には入れな――」

 そこまで言って、彼は何かに気づいたように口をつぐむ。

 そして、呟くように口を開いた。

「なるほど。離婚の成立は今日まで。つまり、俺との婚姻関係は今日まで有効、というわけか。その権利を使って、お前はここまでやってきたと、そういうわけか」

「さすが、話が早くて助かりますわ」

 その言葉に、ユーリックブレヒトは皮肉げに笑う。

「だとしたらこんな所ではなく、アシュバルムの元へ行ってやれ。俺がここにいると知っているのなら、あの子が今誰の元にいなければならないのか、知っているはずだ」

「ええ。ラルヴァ男爵の屋敷にいるらしいですわね。王族のお付きの方とご一緒に」

 そう言うとユーリックブレヒトは、酔っていないのにもかかわらず、珍しく語気を荒らげ、犬歯を剥き出しにして私に吠える。

「それがわかっているのに、何故こんな所で平然としていられる! 今あの子は頼れる存在もおらず、心細い思いをしているはずだ。それがわからないお前ではあるまい?」

 彼の言葉に、私は神妙に頷く。

「その気持ちは痛いほど、本当に痛いほど理解できますわ。ですが、あのラルヴァ男爵が私とアシュの面会を認めるとは到底思えません」

「俺の公爵家夫人という肩書を使える今なら――」

「お忘れですの? ユーリックブレヒト。あなたは今、王族の血筋を簒奪した大罪人なのですわよ? その結果、王族はアシュが実の父親であるグルスドレーラーと一緒にいた方がいいと判断して、ラルヴァ男爵の屋敷にあの子を連れて行くことを許可した。その大罪人の妻である私が、アシュに近づけるわけありませんわ」

 私の言葉に、ユーリックブレヒトは舌打ちをした。

 いつもの彼なら、少し考えればこうした事情は私に言われるまでもなく、すぐに察することが出来ただろう。

 しかし、最近アシュを連れて公務に出ているため心労がたたり、更に大罪人として祭り上げられてそこまで頭が回っていないのだ。

 ユーリックブレヒトは頭を抱え、深い、深い溜息を吐く。

「……この後俺がどの様に裁かれるか、その段取りは知っているか?」

「傍聴型の裁判形式と」

「そうだ。王族が主催し、貴族たちが集まる裁判だ。そこでラルヴァ男爵が主張する俺の罪とアシュバルムの親権が争われ、その結果が決まる」

 王族主催という事は事実上、このクロッペンフーデ大王国での最終決定に他ならない。

 そこの裁判で負ければ、文字通りユーリックブレヒトは全てを失うことになる。

 私は率直に、彼に問うことにした。

「勝てますの? その裁判」

「……いや、勝ち目はかなり薄いだろう」

「旦那様!」

「諦めないでください!」

 ソルヒとショルミーズの言葉にも、ユーリックブレヒトは首を振るだけだった。

「お前達も、知っているだろう? この国は貴族社会で、血筋が絶対だ」

 そうしてユーリックブレヒトは、ゆっくりと何故自分が裁判で不利なのかを語っていく。

「アシュバルムの実の父親、グルスドレーラーがラルヴァ男爵に傀儡として演技をさせられているのであれば、まだ抵抗する余地はあった。裁判中での発言や言動の矛盾を指摘し、男爵に操られていると証明できれば、全てはラルヴァ男爵の謀りごとだと白日の下に晒す事が出来る。だが、廃人同然の状態では演技以前の問題だ。そもそも今のグルスドレーラーの発言には意味がない。だからラルヴァ男爵がグルスドレーラーを保護しているという言い分も通りやすく、論点が純粋にアシュバルムがグルスドレーラーの血を引いているのか否かが裁判の焦点になってしまう。親権問題でも圧倒的に振り出し、俺が王族の血でない事もアシュバルムを誘拐したと言われる論拠になり得るんだ」

「……そもそも、そのグルスドレーラーさんという方は、本当にボッチャンと血が繋がっているのでしょうか?」

 ユーリックブレヒトの言葉に、ショルミーズが口を開く。

「奥様が先程ラルヴァ男爵と会話していた時、『王族の方々が認めたのは、グルスドレーラーさんがジメンドレ前婦人と結婚した事実のみ』だったと、そう確認されていましたよね?」

「おー! 確かにそうだったなー。グルスドレーラーっつー人がボッチャンと血が繋がっていない、ってんなら、ラルヴァ男爵の言い分は通らねーから、裁判でも有利になる。やるなー、ショルミーズ!」

「……いいえ、残念だけどそれは難しいですわ」

 盛り上がる二人に、私は口を差し込む。

 ショルミーズの話を淡々と聞いていたユーリックブレヒトも、もうこの可能性に辿り着いてるようだった。

「ラルヴァ男爵はアシュを連れて行く時、王族の方々にこうおうかがいを立てているわ」

 

『ユーリックブレヒトはその咎を問われる身。この城の牢屋に閉じ込められております。アシュバルム様については実の父親であるグルスドレーラーと一緒にいた方がいいだろうと王族の方に進言させて頂き、吾輩の屋敷で保護させて頂いております』

 

「王族はラルヴァ男爵の言った、実の父親であるグルスドレーラーとアシュが一緒にいる方がいい、という判断を肯定したことになりますの」

「ってこたー、王族の方々は、グルスドレーラーとボッチャンが血縁関係にある、って事実上認めてる、ってことですかー?」

「そ、そんな……」

 ソルヒとショルミーズは、二人して顔を暗くする。

 ユーリックブレヒトは、皮肉げに口を開いた。

「残念ながら、流れる血は変えられない。変えられるのなら、変えてしまいたかったがな」

「それで、ユーリックブレヒト」

 そんな彼に向かって、私は口を開く。

「私、外(貴族社会)を担当していたあなたが、こういう事態を想定していなかったとは思えませんの。何か腹案を用意しているのではなくって?」

「……確かに。お前が帰ってくるとは思っていなかったから頭の中から除外していたが、一つだけ方法は用意している」

「それは、どんなものなのです?」

 そう聞いた私に、ユーリックブレヒトはハッキリとした口調で、こう言った。

 

「アシュバルムを連れて、国外に逃げてくれ」

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