第7話

 アシュバルムと私の鬼ごっこは、場所を屋敷から庭園に変えて、今なお継続中だった。私に捕まれば酷い目にあうのだとわかっているはずなのに、逃げる義理の息子の表情は、雲がわずかばかりも見えない晴天のような笑顔を浮かべている。

 ……本当に、笑っているだけなら、可愛らしいんですけど。

 そう思ってしまった自分の考えを振り払うように、私は懸命に足を動かす。

 ……ダメよ、セラ。あの外見に騙されては、ダメ。だってあの顔であの子は平然と嘘をついて、そしておばさん呼ばわりするんですもの。

 しかし、それら全ての行動に、悪気がわずかばかりもないというのは、私にもわかっている。わかっているからこそ、余計にたちが悪いのだ。

 ……本当に、誰かあの子に、嘘をついてはダメだって、女性は何歳になっても女の子として扱いなさいって、教えてあげなかったのかしら?

 使用人たちにもいたずらを仕掛けていたのであれば、誰か一人ぐらい、アシュバルムに注意をする人が出てきても、よさそうなものなのだけれども。

 オスコのユーリックブレヒトに対する反応を見る限り、私の夫となるはずのあの公爵は、使用人たちから嫌われてはいないように思える。

 いや、むしろその逆で、ユーリックブレヒトは使用人たちにかなり好かれているように思える。それこそ、ユーリックブレヒトに指示されるよりも前に、自発的に彼のために動き出したりするだろう。

 ……だからこそ、私にあんな部屋を用意したのでしょうし。

 そう考えると、ユーリックブレヒトの息子であるアシュバルムの将来を考えるのであれば、将来的に悪さをしでかしてしまいかねない悪癖を、子供のうちから矯正しようと考えるだろう。

 ……それをしないていうのは、逆にユーリックブレヒトを敬いすぎているからかしら?

 ユーリックブレヒトを盲信し過ぎるあまりに、彼の反感を買うのを恐れている、という線は、あり得なくはないかもしれない。息子のアシュバルムから不評だと告げ口された使用人が、解雇されるのを恐れている、という構図だ。

 ……もしそうなら、なおさら私が叱って挙げないと。

 甘やかされ、ワガママに育った貴族の痴態を、自分の国で見てきたからこそ、断言できる。親の威光にすがれなくなった井の中の蛙は、水の中ですら生きていくことが難しい。

 ……その筆頭なのが、まさに私自身になりますものね。

 ついさっきオスコから、国家元首の息女であることと顔以外取り柄がないと、そう言われたばかり。だからこそ自分はユーリックブレヒトの後妻として売られることになったのだけれどもーー

 ……でも、だからこそ自分の息子には、そうなってほしくありませんもの。

 しなくていい失敗や苦労なら、背負うべきではない。だから私は、アシュバルムから余計なお世話だと言われようとも、彼を全力で叱るため、必死になって足を動かしていく。

 走る私の視界の端に、青々と茂る草花の姿があった。この公爵家で雇われている庭師たちが、毎日丹精込めて世話をしているのだろう。美しい色とりどりの花々が、見るもの全てを癒すべく、色鮮やかに咲き誇っている。のだけれども、それを楽しんでいる余裕が私にあるわけもなく、まだまだスピードを上げるアシュバルムの姿を見失わなよう、彼の姿を追うので必死だった。

 ……庭師さん、ごめんなさいねっ!

 だが、一瞬でも別のことを考えたからか、背の高い木々が生える植え込みを曲がったはずのアシュバルムの姿を、私は見失ってしまう。

 ……そんな! 確かにさっき、ここを曲がったはずですのに!

 慌てて振り返るが、探している浅黒い髪の少年の姿は見えない。アシュバルムが驚異的なジャンプ力を披露してこの場から立ち去った、と考えるのは、あまりにも非現実的だ。

 ……なら、アシュバルムは、一体どこに消えてしまいましたの?

 と、視線を下げたところで、私はアシュバルムが消失してしまったからくりに気が付いた。

 植え込みと植え込みの間に、子供一人分が通れるぐらいの、穴が空いていたのだ。耳をすませば、ガサゴソガサゴソと音がする。恐らくアシュバルムがこの中を進み、植え込みの枝葉が彼の服に擦れて音を立てているのだろう。

 ……どうあがいても、私はこの中を進むことはできませんわね。

 では、ここで諦めましょう、とは、当然なるわけがない。

 そうなると、私としてやるべきことは、たった一つだけだ。

 ……アシュバルムがこの植え込みのトンネルを抜け出す先に、先回りですわ!

 そうなると、この背の高い植え込みは、今の私には障害でしかない。私の身長では植え込みの先が見えず、この場で飛び跳ねたとしても、その結果は変わらない。このままでは、どこにアシュバルムが出てくるのか、全く手がかりがつかめないだろう。

 ……でも、逆にこの植え込みだからこそ、どこかにアレを使っている人がいるはずですわ!

 時間的に、アレを使う作業がもう終わってしまっている、という可能性もある。気づけば時間もかなり進んでいたのか、見上げると日が沈み始めており、もうすぐで夕日と言ってもいい時間帯になりつつあった。流石に夜中まで鬼ごっこは続けられないだろう。私がアシュバルムを終える時間帯のタイムリミットも、刻一刻と近づいてきているのだ。

 ……とはいえ、もう私には、アレがどこかにあることにかけるしかありませんもの!

 焦りに突き動かされながら、私は額の汗を拭う間も惜しんで、アレを探し求めて庭園をかけていく。必死になりすぎて、探し求めて一分経ったのか、十分経ったのか、時間感覚を私が失ったところで、ついに私はアレを持っている人を、見つけることができた。

 私は走りながら叫ぶ。

「庭師さん! ちょっとその脚立、貸してくださらないかしら?」

 これだけ背の高い植え込みを手入れするなら、庭師は当然この植え込みより高い位置に登る必要がある。そのための脚立を持った庭師を、私はずっと探していたのだ。

 私は庭師に無理を言って脚立を借り、植え込みの上から、アシュバルムが向かうであろう場所と、彼が植え込みを抜け出した後に向かいそうな道筋に当たりをつける。

 ……後は、時間との勝負ですわね!

「ありがとう! 無理を言ってごめんなさいっ!」

 庭師にお礼と謝罪をして、私は当たりをつけた場所に向かって走り出す。

 やがてその場に到着するが、アシュバルムは既に植え込みの間を抜け出したあとだった。けれども、なんとか、先程当たりをつけていた場所で、彼の後ろ姿を発見することに成功した。

 更に運が私に味方したのか、お誂え向きにこの場は、しばらく両脇に植え込みが並ぶ一本道。脚立に乗って植え込みをハサミで剪定している庭師はいるものの、障害物となりそうなものは、全くない。ただまっすぐ進むだけなら私も道に戸惑う必要はないし、後は純粋なスピード勝負。

 ……ここなら、私の方に分がありますわ!

 そう思いながら走り出した私の存在に、アシュバルムも気づいたようだった。私に気づいた彼は、こちらを見て、朗らかに笑った。私から逃げているにもかかわらず、むしろ自分を見つけてくれたことを、アシュバルムは喜んでいるみたいだった。

 ……でも、笑っていられるのも、これで最後ですわ!

 私が彼を捕まえて、この鬼ごっこは終わるのだ。そしてその後、しっかりと二人で話をしなければならない。

 だが、アシュバルムも簡単に捕まってくれないようで、負けるとわかっていながらも、懸命に足を動かしていく。そして振り向きながら、こちらを挑発してきた。

「ほらほら、僕はここだよ! 捕まえれるなら、捕まえてごらんよ! おばさんっ!」

 しかし、こちらを振り向いたからか、アシュバルムの前方確認がおろそかとなる。

 普通であればぶつかりようがない、庭師が乗る脚立に、彼はぶつかった。

「うわっ!」

「お、っとっと!」

 アシュバルムはぶつかった拍子に、その場に転んでしまった。

 一方庭師の方は、流石いつも不安定な場所で作業をしているだけのことはあり、崩れたバランスを体重移動で上手くいなし、何事もなかったかのように、脚立の上に乗っている。

 でも、流石に両手を使わなくては、バランスを取るのは難しかったようだ。

 そう、庭師は、剪定に使っていたハサミを、その手に持っていなかった。

 では、彼が先程まで手にしていたその剪定バサミはどこにいったのかというと、今まさに宙から地面に向かって落下している最中で。

 その落下地点には、転び、ようやく起き上がったばかりの、アシュバルムの姿があった。

 アシュバルムの菫色の瞳が、自分に向かって落ちてくる剪定バサミを捉えた。でも、起き上がったばかりの彼に、それを何かどうすることもできようはずがない。

「アシュ!」

 焦る私の叫び声が、庭園に響き渡る。そして、剪定バサミが地面に突き刺さり。

 その刃から、赤色の何かが、滴り落ち始める。

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