第17話
空に浮かんでいる真っ黒な人間。それが形を変えて球体になっていく。混じりけのない黒色は空中に穴があいたように見える。その様子を見て周囲のざわめきが強くなる。
目の前に漆黒がせまっている。徐々に父親と母親が飲み込まれていく。恐怖が、不安がユメの心の中に広がっていく。
夢を見ている。頭の中でぼんやりと気づく。漆黒について考えた一日だったからだろう。断片的に、あのときの記憶が、目の前に映し出されていく。
目の前にスーツを着た少女が泣いている。あの漆黒を経験した少女だ。彼女がクロミヤと同一人物といわれたからスーツ姿なのかもしれない。
「助けて」
少女が駆け寄ってくる。その悲痛な面持ちに思わず手を伸ばす。少女に触れた瞬間、目の前の光景が次々と変わっていく。
漆黒によって失われた空間がある。そのかたわらで涙を流し崩れ落ちている少女がいる。
成長した少女が白衣姿の老人と言い争っている。
大人になったクロミヤが社員の前で朝礼をおこなっている。整然と並ぶ社員は同じ姿勢で微動だにしない。
クロミヤはキャピタルの前に立っている。ずっと無表情で立ち尽くしていると思ったら背後の端末から音がする。端末を操作すると彼女は目を見開き少しずつ表情が戻っていく。
目の前に泣いているクロミヤがいる。全身が黒くなっている。鳴き声は叫び声に変わっていく。いや、よく聞くと電子音の様にも聞こえる。その音の隙間からかろうじてクロミヤの声が聞こえる。
「助けて」
差し伸べられた手に触れることはできなかった。
ユメが顔をあげると耳をつんざくような警報音が響き渡っていた。部屋は暗く端末の画面だけが部屋を照らしている。突っ伏した状態で寝ていたため腕がしびれている。
警報音の出所を探すために廊下に出てみるが、廊下も真っ暗だ。自動で消灯されているということは他の社員はとっくに帰っている時間のはずだ。つまりサイバーメディカルにはクロミヤ、ナカハラ以外はいないはずだ。
サイバーメディカルの警報音を聞いているとホシダたちと脱出をしたときのことを思い出す。
もしかしてDLFが来ている? しかし、夢の力に目覚めるような兆候がある人はサイバーメディカルに今はいないはずだ。
通信端末を取り出して、サイバーメディカルのシステムにアクセスする。アラートは中央サーバー室から発している。
「えっ!」
警報の原因を知るためにエラーメッセージを確認してユメは驚く。
キャピタルに入っている人のバイタルに異常が出ていた。意識に関する項目に昏睡と表示されている。
ただ驚いたのはその部分ではない。昏睡状態に陥っている人の数だ。ユメが見ているサイバーメディカル社員の一覧すべてに昏睡と表示されている。
就寝前にキャピタルを利用することがマニュアルで義務付けられている。みなスキャン記録はマニュアルどおり二十一時に実施されている。その段階でみな昏睡状態という記録に変わっている。
今の時刻は二十一時五分。キャピタルが異常を検知したアラートによって起こされたということだろう。
でも、なぜみな一斉に昏睡状態に陥ってしまったのか。なにかしらの感染症が起きた? 食中毒によるもの? 全員、昼食は同じものを取っている。食べ物に原因があったのか。それにしたって昏睡状態になる時間が同じなのはおかしい。
エラーメッセージを開いていくと、その内容に目を疑う。サイバーメディカルの社員に限らず、他の地域でも全員が昏睡状態に陥っていた。
どのリストにも昏睡の文字が抜けなく並んでいる。昏睡に陥った時間も同じ二十一時と記録されている。感染症や食中毒によるものではない。ユメは確信する。
幸い血圧や心拍など他のバイタルは安定している。意識だけがない状態で身体活動は続いているという状況だ。しかし、すぐに手を打たなくてはいけない。もしこのままの状態が続けば命の危険につながっていくかもしれない。
キャピタルには生命を維持するために必要な機能は搭載されている。栄養や水分を補給する点滴や人工呼吸器もついている。しかしそれは専門的な治療につなぐための一時的なものだ。
もし昏睡状態が続き危険な状態に陥ったとしても一日程度しか維持できない。それに専門的な治療ができる人も昏睡状態に陥っているのであれば、維持したとしても意味がない。
ユメは通信端末を取り出してクロミヤに連絡する。しかしコール音が鳴り響くばかりで一向に出る気配がない。普段ならワンコールすら鳴らず出るのに。
ユメは通信端末を握りしめながら部屋を出て走る。少なくともユメが知っている限りで最大規模の問題が発生していた。
エレベーターに乗って最上階を目指す。わずか二階分のフロアを上がる時間すらもどかしい。この状況をなんとかするにはクロミヤの力を借りるしかない。
エレベーターが開くと同時に飛び出す。連絡がつかないことの不安を感じながらユメは急いで社長室へと向かった。
「失礼します!」
ノックもしないで社長室にとびこむ。しかし目の前の光景を見て、息を呑み体がこわばる。
目の前では、クロミヤの全身が黒く染まりつつあった。手足は完全に黒色に変化している。顔は変わっていないが、首元から黒色が上がり苦悶の表情を浮かべている。
漆黒になりかけている。ユメはクロミヤの姿を見て気づく。しかし、なぜこんなときに。
このままだと周囲一帯が漆黒に飲み込まれてしまう。クロミヤから見せられた漆黒の経験を思い出し、恐怖が全身をかけめぐる。
踵を返して逃げ出したい。逃げろと警報のように頭の中で声が繰り返されている。
「大丈夫ですか!」
声を無視するようになぜかクロミヤの方へと駆け寄っていた。
「ナカハラがキャピタルを乗っ取った……。そのせいで……」
息も絶え絶えにクロミヤが話す。漆黒に触れてよいかわかず、寄り添うために差し伸べた手が空中で止まる。
「いつ漆黒が広がるか、どれだけ広がるかわからない……。あなたに頼むしかない」
言い終えると悲鳴とも思えるようなうめき声をあげて、クロミヤの顔がゆがむ。
クロミヤは後ずさりしてユメから離れていく。
「DLFに行って。そして記憶の鍵を……」
クロミヤの背後の窓にひびが入りばらばらと崩れ落ちる。勢いよく風が流れ込み一瞬目を閉じる。
薄く目を開けると、クロミヤは窓の外に飛び出していた。
慌てて駆け寄るが、クロミヤは落ちることなく宙に浮いている。そのままビルから離れていく。
見上げると、クロミヤはさらに遠ざかり空へと浮かんでいた。手足が漆黒になっているクロミヤは、夜空と同化して体だけが浮かんでいる様に見える。
呆然とクロミヤを眺めているしかなかった。体が動かない。今起きたことが頭の中で、ただ繰り返されている。
突然、背後から電子音がなる。音に驚き飛び上がる。振り返ると社長室の端末に着信を告げる表示が出ていた。
着信音とビル風の音がユメの耳に響く。着信音に導かれるように、ユメは机へと近づいた。
端末を操作して通話画面を開く。画面には顔に傷がある強面の男性が映し出された。
「やっとつながった! 総帥! この状況はなんですか。みな昏睡状態になっているし、漆黒の反応がサイバーメディカルから出ている。指示をお願いします」
分割された画面の半分にコンドウが映っていた。こちらのカメラはオフになっているためか、半分は黒い画面が表示されている。
「あの……」
「誰だ! 総帥はどこにいる!」
ユメの声を聴いてコンドウの表情が変わる。
「おい! 聞こえているのか!」
呼びかけられても質問に答えられない。なにが起きているのか。総帥とは誰のことなのか。そもそもなぜDLFから連絡が入っているのか。
「まさかDLFの総帥も社長がやっていたんですね。さすがにそこまでは読めませんでした」
聞き覚えのある声が聞こえてユメは扉に視線を移す。ナカハラが社長室に入り、こちらへと近づいてきている。ユメを無視して端末を操作すると通話を切ってしまった。
「……あなた、何をしたの」
かろうじて出た声は震えていた。
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