夢亡き世界

一昌平

第1話

 白いもやがかかった世界が広がっている。息が詰まるような濃いもや。その中にいると呼吸が苦しくなってくる。もやの中を抜け出そうと必死に走ろうとする。それでも足がもつれて思うように動けない。


 腕を動かしても空を切るばかり。押しつぶされそうな重いもや。もうダメだ、そう思ったときにもやの中から光が差し込んできた。もやの向こうに何かいる。しかしもやがさらに濃くなり光が見えなくなる。


 目を覚ますと、見慣れた天井が広がっている。しかしユメは戸惑いを隠せなかった。今見ていたもやの世界は何だったのだろう。普段は眠りについても目が覚めるまで何も見たことはなかった。


 思い違いかもしれない。しかし起きたときの速く動く心臓の鼓動は、あの世界が存在していた証明のようだ。


 こんなときは自社製品のキャピタルに調べてもらおう。ユメは部屋の片隅にあるカプセルに入っていった。


 キャピタルはサイバーメディカルが開発した医療機器だ。西暦二二〇〇年創業。「個人の家を総合病院に」をモットーにカプセル型の医療機器としてキャピタルを開発、世界的大企業になった。今年で創業二三〇年を迎える。


 キャピタルに入ると自動でソフトが起動する。内部のセンサーによって身長、体重から体温や心拍、血圧、脳波などあらゆるバイタルが測定される。症状を伝えれば、人工知能が問診や診断を行ってくれる。必要があれば、血液検査や簡単な手術もキャピタル内で行える。


 ユメはキャピタルのメンテナンス担当としてサイバーメディカルに勤務している。出勤前の測定も日課のひとつだ。


 六時三十二分、普段より測定時刻が一時間ほど早い。心拍も普段よりは三割増しで高い数値を示している。しかし結果はオールグリーン、異常なしだった。


 てっきり何かしらの異常が出ると思っていた。しかし問題ないのであれば、これ以上できることはない。やはり気のせいだったのだろうか。今となってはもやの世界があったことすらおぼろげになってきている。


 キャピタルから出て、いつもどおり身支度を整えて朝食を取る。朝食を取ったら出勤のため自宅を出る。寝ている間に起きたことを除けば、何ら変わらない日常だ。


 しかし社宅を出て自動運転車の乗り場に着いたときにはたと気づく。いつもの癖で家を出てしまったが、このまま職場に向かうと一時間ほど早く着いてしまう。


部屋に戻ろうかとも思ったが、ある考えが浮かぶ。このまま歩いて会社に向かってみよう。


 ユメはふと思いついた考えに後押しされるように乗り場をとおり過ぎ、誰もとおらない道を歩きはじめた。



 クロミヤは社長室でキャピタルによって得られた測定データを机の上に置いたディスプレイで眺めていた。すると割り込むように着信画面が表示される。端末を操作すると目の前の画面に男性が映る。


「クロミヤ社長、おはようございます。今日も赤のメガネがお美しい」


「おべっかなんていらないから、さっさと始めるわよ」


「失礼しました。送ったデータは見ていただきましたか」


「ええ、夢を見た子は久しぶりね」


「しかも今、歩いて職場に向かっています」


 そういって端末に映し出された映像では、人っ子ひとりいない大通りを歩いているユメの姿が映し出される。クロミヤは赤いフレームのメガネを押し上げながら映像を見る。


「これは確定でいいわ。いつもどおり適当なタイミングで調整をお願い」


「わかりました」


 通話が終了する。しばらく映像を眺めてからクロミヤはスーツのポケットから通信端末を取り出した。画面に触れて操作してから耳にあてる。コール音を聞きながら、これからの予定を考えはじめた。



 ユメは初めて歩いて職場に向かったが、足取りは軽やかだ。誰もいない道を歩いていると、世界を独り占めしている気分がしたからだ。


 あと五分ほどで会社に到着するだろう。ユメの横では何台もの自動運転車が社員を乗せてとおり過ぎていく。


 八時四十六分、普段と同じ時間に到着できた。いつもどおりセキュリティゲートをくぐって出勤の打刻をする。ロッカールームに向かう道中で同僚のイシベに会った。


「おはようイシベ。ねえ聞いて、今日は早く起きちゃったから歩いて来たんだ」


「おはよう。仕事中は私語厳禁だ。じゃあ」


 挨拶だけするとイシベはさっさと離れていく。確かに職員マニュアルでは私語厳禁だ。一方、職員同士のあいさつは奨励されている。


 ルールに対して過不足なく対応する。実にイシベらしい返事だ。ただスキャンゲートをくぐった時点で仕事開始とみなすのはイシベくらいかもしれないが。


 八時四十八分、制服に着替えて席につく。八時五十五分、始業五分前に着席、これもマニュアルで決まっている。


 九時の始業開始のベルが鳴ると同時に社員は一斉に仕事を始める。ユメもいつもどおり与えられた業務をこなしていく。


 ユメの仕事は簡単にいうとデータのチェック係だ。製薬会社や検査会社からデータがキャピタルに送られる。データは自動で更新されるが、その内容に間違いがないか目視で点検する作業だ。


 送られてきた情報を紙に印刷して、指差しをしながらチェックしていく。情報が同じであることを、ひたすら確認し続ける作業。今まで何度となく繰り返している作業だったが、今日はどうしても集中できなかった。


 どうして自動で更新される情報をわざわざ比べないといけないのだろうか。しかも画面でも確認できるのにわざわざ印刷までして。ここで五年は働いている。それでも一度も間違いなんて見つかったことはないのに。


 朝の出来事を思い返し、どうにも集中できない時間が続いていた。するとユメの端末に着信が入った。こんなことは勤務してから初めてだ。相手は上司のヤマダだ。端末を操作すると画面にメガネをかけた作業着姿の男性が現れる。


「はい、ユメです」


「ヤマダです。作業中に申し訳ないのですが、事業管理部から六十六階の会議室Dに来てくださいと連絡がありました。作業は中断して構わないので会議室に移動してください」


「用件は何でしょうか」


「詳細は会議室で伝えるとのことです。それでは移動をお願いいたします」


「……わかりました。すぐに向かいます」


 仕事中に呼び出されるのは初めてだ。ユメは通話を切り席を立つ。


「えーっと、事業管理部は六十六階の会議室Dに来いっていってたよね」


 小さくつぶやきながらユメはポケットから通信端末を取り出す。画面に触れながら操作して案内機能を起動した。


 サイバーメディカルでは、デスクに置く作業用の端末だけでなく、社員ひとりひとりに通信端末も支給される。


 それは本社ビルが規格外の大きさのためだ。案内機能を使わないと、あっという間に迷子になってしまう。


 行き先を入力すれば、紫色のルートが白色の床に浮かび上がる。あとはルートに従って歩くだけだ。


 エレベーターに乗り込み六十六階に到着する。会議室Dはエレベーターからもかなり遠いところに位置していた。ユメはノックして部屋に入る。


「失礼いたします。メンテナンス部のユメと申します」


「わざわざ来ていただいて申し訳ない。事業管理部のヤマモトと申します」


 机を挟んで白髪交じりの男性が座っていた。年は五十代くらいだろうか、鼻の下に蓄えたひげは綺麗にそろえられている。またメンテナンス部ではめったに見かけないが、茶色のスーツを着ている。


「さっそく要件に移りますね。ユメさんは今日、自動運転車に乗らずに職場に来ましたね。それはなぜですか」


 突然の質問にユメは答えられなかった。なぜ歩いて職場に来たことを知っているのだろう。


「すみません。唐突でしたね。実は職員マニュアルには通勤時、自動運転車に乗ることが義務づけられているんです。知りませんでしたか」


「マニュアルはすべて頭に入れてたはずですが……。申し訳ありません。今日は朝から変なことがあったので忘れてしまいました」


 ユメが謝るとヤマモトの表情が険しくなる。


「変なこととは具体的になんですか」


「それは寝ている間に別世界に行ったみたいな体験をしたんです。そのせいか早く目が覚めてしまって」


「なるほど……。もしかしたら体調がよくないのかもしれませんね。こちらからメンテナンス部には連絡しておくので今日は早退してください。作業の進みもよくないみたいですし」


 ユメとしては体調が悪いとは思わなかった。しかし作業に集中できていないのは確かだ。


「お気遣いありがとうございます」


 一礼してからユメは会議室から出ていく。


 ヤマモトはユメが扉を閉めたのを確認してから内ポケットから通信端末を取り出す。画面を操作し電話をかけ始めた。


 帰りも紫色の案内を頼りにユメはメンテナンス部へと戻ってきた。帰る準備をしながら、先ほどヤマモトにいわれたマニュアルを確認しておく。


 六三五ページに出勤時のマニュアルが載っていた。確かに出退勤時は自動運転車に乗ることが義務づけられていた。


 他のページにも目をとおすと、頭に入れていたはずのマニュアルに違和感を覚える。なんども見ているのに、なぜか初めて見るような感覚がする。こんな大量のマニュアルを頭に入れていたのが信じられない。


 帰りはマニュアルどおり自動運転車で帰る。会社の前に止まっている自動運転車に乗り込む。社員証を自動的に読み取り、行き先が自宅でよいかの確認のアナウンスが流れる。


 ユメは了承を伝えると、静かに動き出す。五分ほどの道のりであるが、目を閉じているとゆっくりと眠りに落ちていった。


 またあのもやの世界だ。息が詰まるほどの濃いもやに包まれた世界。しかしさっきとは違いもやに薄いところがある。そこに向かっていけば息苦しさやまとわりつく重さから逃れることができるのではないか。


 ユメは必死に足を動かす。さっきより足取りはしっかりしている。進む先には明るさを感じる。なぜかわからないが、光の正体を知らないといけないと感じる。


 しかし白いもやがまた濃くなってくる。振り払おうともがいてみるが、ほとんど効果がない。そのうちまた白いもやはどんどんユメを取り囲んでくる。やっぱりダメだ。ユメは観念して白いもやに飲み込まれていく。



 目が覚めると寝過ごしたと直感した。五分ほどしかかからない道のりにしては、たっぷりと眠った感覚があったからだ。しかし顔を上げるとユメは仰天した。


 そこは車の中ではなく部屋の中だった。もちろんユメの部屋ではない。目の前は鏡張りの壁だ。左右を見ると他はすべて白い壁でおおわれている。


 あわてて立ち上がろうとしたがうまくいかない。自分の手足を見ると、手首と足首が黒い木製のイスに布で縛りつけられていた。


 顔を上げて鏡を見る。鏡には拘束されたユメとそのうしろに扉が映っている。それ以外には何もない。


「ちょっと! どういうこと!」


 手足を動かそうにもしっかりと固定されているためがたがたと床を鳴らすだけだ。


 そのとき、うしろから金属音が聞こえた。鏡に目を向けると、扉を開けて男がふたり入ってきていた。ひとりは白衣を着た線の細い男性。もうひとりは黒のスーツを着た体格の大きい男性だ。


 ユメは恐怖で声が出せなくなっていた。状況がまったく飲み込めないまま、拘束され見知らぬ男性が部屋に入ってくる。暴れたり悲鳴を上げたりする余裕はなかった。


「起きたときの反応は特段おかしくないようですね」


 白衣姿の男がユメの前に回り込みながら黒のスーツの男性に話しかける。


「注意した方がいい。いつ夢の力が出てくるか分からない」


 白衣の男が腰をかがめユメの顔を近くでながめる。


「ユメさん。初めましてナカハラといいます。うしろにいるスーツの男性はイチガヤです」


 名前を名乗られてもユメは返事すらできない。


「あなた今日『夢』を見ましたね?」


 おかまいなしにナカハラは続ける。


「……ユメ? 私のことですか?」


 かろうじて声を出せても質問の意味が理解できない。


「ああ、名前と同じだから紛らわしいですね。質問を変えましょう」


 薄笑いを浮かべながらナカハラはユメから離れ、うしろを向いてしまう。しばらく沈黙していたかと思うと急に振りかえった。


「寝ている間に何か見ましたよね?」


 あの白いもやの世界のことだ。しかしなぜそのことを知っているのか、そして知ろうとしているのか。質問の意図が分からずユメは答えられないでいた。


「だんまりですか……。まあここでおびえずに質問に答える人なんて見たことないですが。イチガヤ行きますよ」


 ナカハラに促されるとイチガヤも正面に回りこんでくる。そしてそのままじっとユメを見つめ始めた。しかし顔を見つめているようで、どこか遠くを見つめているように感じる。


 するとユメの体がすっと軽くなった。同時にナカハラたちを見下ろしていた。鏡に視線を移すとユメ自身がイスごと宙に浮かんでいる様子が映っていた。


 恐怖で声が出そうとするがなぜか声が出ない。できるのは手足をばたつかせるだけだ。


「何度見ても信じられないですね夢の力というものは。私は夢を見られないので羨ましい限りです。さあ行きましょう」


 扉がひとりでに開き廊下へと連れ出される。イスごと浮いたユメと向かいあう形でふたりはついてくる。ユメはなんとか首をうしろに回して行き先を確認しようとするがよく見えない。


「いいですね。訳も分からず恐怖におびえて必死な表情を見るのは。寝ている間に調整してしまうより、よっぽどやる気が起きる」


 調整? なんのことか分からないが不穏な響きを感じる。


「大丈夫。これからキャピタルに入るだけですから。そうしたらまたいつもの日常が戻ってきます」


 かわらず薄笑いを浮かべてナカハラが話しかける。イチガヤはずっと遠くを見る目つきが変わっていない。


 それからふたりは無言になってしまった。なんど声を出そうとしても声がでない。


 しばらく無言で廊下を進むと急に動きが止まった。宙にういたままのユメに向かってナカハラがしゃべりだした。


「この部屋で調整します。徐々に恐怖が強くなっていく表情はよかったですよ」


 ナカハラが通信端末を操作する。うしろで先ほど聞いた扉を開ける金属音が聞こえる。部屋の中に入るとイスが回り前を向く。そのためユメは室内を見られるようになった。


 部屋の奥にはキャピタルが置かれている。しかしユメの目にとびこんできたのはキャピタルの前に立つふたりの男だった。


 ひとりは長身で手足も長くモデルのような体型の男性だ。髪はみじかいが顔は中性的で一瞬女性と見間違えるほどだ。


 もうひとりはイチガヤよりも大柄な男性だった。身長も隣の男性より頭ひとつ分は大きく、かつ筋骨隆々だ。無精ひげを生やし腕を組んで立っている。


「うわっ、ホシダとシマですか。貴族服と道着、また滑稽な格好を」


 ナカハラの嫌そうな声がうしろから聞こえる。


 ユメにとってはふたりの格好は見たこともないものだった。長身の男は刺繍が縫いつけられた薄い紅色のジャケットを羽織っている。パンツも濃い紅色のものをはいている。


 筋肉隆々の男は厚手の白い上着と足元が隠れるゆったりとした黒い服をはいている。


「新人を迎えるには礼儀を欠いてはいけないからね」


「お主が今はまっている映画の服装じゃろ」


 全身紅色の男の言葉に筋骨隆々の男が応じるがユメはなにをいっているのかまったく理解できない。


「シマさん。声が大きいと相手を怖がらせてしまうよ」


 全身紅色の男がユメに近づき笑顔を見せる。


「びっくりさせて、すみません。僕はホシダといいます。こっちがシマさん。よろしくお願いします」


 ホシダに挨拶されても事情が呑み込めないユメは宙に浮きながらふたりを見つめる。


「それじゃあユメさんをお預かりします」


 そういうとホシダの目がイチガヤと同じように遠くを見るようになった。すると手足が楽になる感覚がした。


 誰も触れていないのに手足を縛る布がほどけていきイスから離れていく。しかし自由になってもなぜかユメは手足を動かせなかった。


 ホシダが手を広げるとホシダたちがゆっくりと近づいてくる。しかし同時に周りの景色も動いている。ユメは自分がゆっくりと宙を浮きながらホシダのもとに移動していることに気づいた。


 ホシダはユメの膝と背中を支えて抱えあげる。ユメはなんども声を出そうとするが、変わらず声を出すことはできない。なぜか顔だけは動かせるためふたりの顔を見比べる。


「動けなくても体に害はないので安心してください。詳しいことはあとで話します。まずはここから出ることを優先させてください」


「やはり普段から夢の力を使っている人にはかないませんね。ただこのままおいそれと引き渡すわけにもいきません」


 ナカハラが通信端末を取り出して操作をする。すると急に耳をつんざくような音が鳴り響く。


「こっちもイチガヤを傷つけるわけにもいかないので退散します。ただ非能力者の意地くらい味わってください」


 ナカハラとイチガヤは踵を返して部屋を出ていく。


「なんじゃ、あっけないのう」


「これから警備員が来るってことでしょ。ユメさんもいるしさっさと退散しよう」


 ホシダとシマは扉を出て走り出す。廊下を何度か曲がり扉を開くと、そこは非常階段につながっていた。ユメはあいわらずホシダに抱えられたままだ。


 何階分上っただろうか。下からは足音がいくつも聞こえてくる。


「おそらく一階の出入り口はすべて封鎖されているだろうね」


「わしらだったら正面突破するのは造作もないじゃろう」


「万が一にもユメさんを傷つけたくないんだ。……そうだ! ひとついい案があるんだ。アクション映画さながらの大脱出劇をやろう」


 ホシダの顔から笑みがこぼれる。


「ユメ殿の安全を優先する割には楽しさを優先してはないか? こんなときにもお主のアクション好きが発揮されるとは大概じゃのう」


「シマさんの格闘好きには負けるよ。真面目な話、正面突破より安全なのは保障する。相手だって能力者ならどうせ正面から来るって思っているだろう。その裏をかくことになるからね。とりあえず五十階まで上って窓のある部屋を探そう」


 五十階にたどり着き扉を開く。廊下の風景を見てユメは気づく。ここはサイバーメディカルだ。さっきまで本社の地下にいたということだろうか。


 地下と異なり警報音は鳴っておらず静かだ。全体照明がついておらず間接照明だけのため薄暗い。


「扉を開けた時点で五十階にいるのがばれたはずだからさっさと始めよう。とりあえず窓がある部屋に向かうよ」


 抱えられたまま観察するとふたりともまったく息が上がっていない。ホシダにいたってはユメを抱えながら五十階以上の階段を駆けあがったにもかかわらずだ。


 どうやらホシダとシマはユメのために行動してくれている。そのことだけはなんとなくわかる。話す内容、行動、それ以外はなにもわからないが。


 またユメの体の奥底から湧き上がってくるもの、それがこのふたりからは強く感じられる。そのことが、なぜかとても大切なものだと思える。


 シマが廊下の端にある扉を開けた。そこはメンテナンス部と似た作りをしていた。複数の端末が置かれている。一面はすべて窓になっていて外の様子が見える。空は青と茜色が混じっていて日の光は室内に差し込んでいる。


 窓の向こうにはいくつものビルが見えるが影によって黒い輪郭だけが見える。その風景を見てユメは今が夕方だったことに気づいた。


「うん。この部屋がおあつらえ向きだ」


「窓のある部屋といっている時点で予想はしていたが、ここから飛び降りるということで合っているか?」


「ご名答。アクション映画といったらビルの窓をぶち破って飛び降りる。これが定番でしょ。本来は爆発もセットだけど、そこまでやる必要はないかな。目的はユメさんの救出で、このビルを壊すことではないし」


「アクション映画だと、その格好は合わないんじゃないか」


「だってこの前見た映画の舞台が中世ヨーロッパだったから仕方ないじゃん」


 シマが窓際に近づき外を眺めている。


「本当にこっちの方が安全なのか?正面突破でも変わりはない気がするが」


「飛び降りるなら着地にだけ気を遣えばいいでしょ。色んな方向から攻撃されるよりは安全だよ」


「まあそれもそうか。この高さなら衝撃もほとんど吸収できるだろうしのう」


 ホシダも窓際に寄ることでユメもそのまま外を見下ろすことになる。高さは一〇〇メートル以上あるだろうか。聞き間違いでなければふたりは、ここから飛び降りるといっていた。


 嫌だ! 瞬時に恐怖が体を駆け巡る。しかし手足を動かすことも、声を上げることもできない。呼吸だけが少しずつ速くなる。


「ユメさん、絶対に安全だから安心して。落ちるときの怖さもできる限り少なくするからね」


 ホシダはユメの変化に気づき窓際から離れて部屋の中央に戻る。その瞬間、入り口の扉が開く音がする。ホシダが振り向くことでユメの視界にも入ってきた人たちが見える。


 ヘルメットに防弾スーツ、それに銃を携えた男たちが部屋の中になだれ込んできた。サイバーメディカルの警備員だ。ユメは出勤時にいつも正面玄関で警備をしている人たちを思い出した。


「いたぞ!」


 警備員のひとりが叫び銃を構える。残りの人たちもそれに合わせて銃口をふたりに向ける。


「おとなしく抱えている女性を下ろして両手をあげるんだ!」


「追っ手がいる中での脱出劇。うんアクション映画らしくなってきた」


「いくよ」


 ホシダがそういった瞬間、遠くを見つめるような目つきになる。またあの表情だ。さっき体が動かなくなったときに見せていた表情。


 そのままホシダは振り向き窓に向かって走り始めた。シマは窓際に立っている。その目線も遠くを見ていた。


 ビシっという音が聞こえる。目の前の窓にヒビが入り広がっていく。このままだと窓にぶつかる!


 ユメの体に緊張が走ると同時に窓が砕けちる。突風が吹きこんでくるが物ともせずホシダは走っていく。


「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」


 風にかき消されそうな警備員の声がうしろから聞こえる。ホシダは走るのを止めない。発砲音が聞こえると同時にユメはビルの外に飛び出していた。


 落ちる! ユメは恐怖で呼吸が止まる。しかし予想に反して落下の感覚が感じられない。周囲を見ると景色が下から上へとゆっくり流れている。明らかに落下する速度が遅い。


 顔を頭上に向けてみる。先ほど飛び降りた窓際から警備員がこちらを見ている。銃は構えているが発砲してくる様子はない。


 今度はホシダに目を向けてみる。笑い声をあげながらユメにむかってウインクをする。そして落下しながらでもユメを抱える力は変わらず心地よさを感じる。


 地面が徐々に近づいてくる。着地の瞬間はほとんど衝撃を感じなかった。


 降り立った場所は一キロメートルほど離れたところにある公園の芝生だった。周囲に人影は見当たらない。芝生を囲むように舗装された道がとおっている。


「大成功だ。着地のためにスピードを緩めたことが、映画のスローモーションのシーンを再現しているみたいで興奮したよ」


「さっさと移動するぞ。ゆっくり着地したから場所は割れているはずじゃ。すぐに追っ手が来るぞ。」


「だね。さっさと移動しよう。ユメさんももう少しで動けるようになるからね。そうしたらちゃんと詳しく話すから」

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