第10話 病院
週末、電車に揺られて、県の総合病院へ向かった。
隣に座る母は無言だった。
私は、妙にひねった調子の車掌のアナウンスを、イヤホンから流れる曲でふさいだ。
先月に一度、見舞いに行った。その時も、母と一緒にこの電車に乗った。
前回は昼からで、今日は朝からだから、時間帯は違うけれど、つまりは、何も初めての道中ではない。
しかし、先月か。考えると、たいそう自分の薄情さに驚いた。驚く思考も、気分が悪かった。
電車の揺れが、盛り上がった横並びの椅子越しに定期的に伝わってくる。
無言が気になる。電車内ではお静かに、がお決まりだ。
だから喋らなくても当然だった。けれど、こういう時に何を話していいのか、いつも考えてしまう。そしていつだって、結局答えは出ない。
家から数駅離れたところにある、少し大きめの駅――そこが、私達の目的地だった。灰色の建物以外、周りに何もないロータリーに降りる。
立ち食いうどん屋と、遠くでウナギの焼ける匂いがしていた。
でも、それを「いつもここいい匂いするね」なんて、母に言える空気じゃなかった。母はやっぱり、ずっと無言だった。
いつも後をついて行っているせいで、朧気にしか道を覚えていない。けれど、母の背を追い、あたりの景色を見ながら歩いている内に、ふわふわとした土地勘を取り戻してきた。
私はここを知っている。あの信号を右に曲がった先、いや、曲がる前から見えているあの建物が、姉の麻衣のいる総合病院だ。
以前来た時も思ったけれど、綺麗な病院だと思った。
私が普段予防接種に通っている病院とはひどく違った。とても清潔そうで、看護師さんは、いわゆる白のナース服じゃなくて、花柄の明るいそれを着ていた。
ひたすらに清潔だ。中に入って、大きな窓からさんさんと光が差し込み白の壁や床を照らすのを見て、とにかくそう思った。
清潔。病院とは本来こうあるものなんだな、と今更ながら感じるくらい。
それでいて、暗すぎない。私の嫌いな、陰気な消毒液の匂いさえ、単なる清潔にしすぎた結果、ととれるくらいに。
母がナースステーションで、看護師さんに声をかける。看護師さんは、にこやかでゆったりとした応対をした。母が会釈をして部屋に向かうのについていきながら、
「姉もここならよかっただろう」と思った。
それは、初めてここを訪れた時と、同じ感想だった。
「わかってると思うけど、間違っても、変な顔しないで」
病室の近くにやってきて、広めの道に二人きりになると、母は私に強い声で言った。
それは、今日見舞いに来ると決まった時から、何度だって言われている事だった。
母は、口を開けば、今日までそれしか言わなかった。なので、さすがに自分の信頼のなさに悲しくなったけれど、母は、後百回でも念を押したい様だった。
そして今回は、ひときわ真剣な目で言った。
ほんの少したじろぎつつも、私は頷いた。気迫に、心の底が、ほんの少しざわざわしてしまった。
「麻衣ちゃん」
来たよ。
個室の扉を引いて開けると、そっとそよ風みたいに優しい声で、母は姉に挨拶をした。姉の声は聞こえなかった。カーテンで仕切られていて、向こうが見えない。先に入った母が、カーテンの隙間から、私を目で促した。
よし。
私は意気込み、足を踏み入れた。
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