影ある故に光は光

『くれぐれも上手くやるのよ! しくじったら、分かっているわね……!』


 我が身を打つ鞭の痛みが鮮やかに蘇る。

 忘れられるものなら忘れてしまいたい。

 鞭を振り下ろしながら叫んだのはジョアンナ――シャノンにとっては継母、キャロラインにとっては実母である現・カードヴェイル伯爵夫人だった。


 ジョアンナは元々父の愛人だった女である。

 父との間に異母妹キャロラインを産んだ後、屋敷に乗り込んできてわが物顔で振舞い始めた。

 母がどれ程抗議しても、愛人の色香に惑いっぱなしであった父は聞く耳持たず。むしろ妻を邪険に扱い、ジョアンナ達に愛を注いだ。

 母は心労に病み、徐々に弱り、そして亡くなった。

 都合のいいもので、父は母が亡くなってからようやく自分のした事に気付いたらしい。

 自身も罪悪感から心を病み、表舞台から退く羽目になり。そこに至ってジョアンナは牙を剥いた。

 父を療養させるという名目で僻地の屋敷に監禁し、伯爵家の全権限を自分に移すとカードヴェイル家を支配するようになったのだ。

 手始めにシャノンを召使の身分に落して、朝から晩まで働かせた。

 ご丁寧に使用人を総入れ替えし、シャノンがカードヴェイル家の長女である事実を知る人間を遠くへ追いやった。

 表向きには、シャノンは醜い我が身を嘆いている上に社交性に欠けるため、外には出ようとしないのだと言う事になっていたようだ。

 下女のする重労働から、キャロラインの身の回りの世話である侍女の仕事まで実に幅広くこき使ってくれたものである。

 持っていたドレス等は全て奪われ、母の形見は売り払われ。

 使用人の古着につぎを当てて着るような状態で、食事すらジョアンナの機嫌次第では容易く抜かれる日々。

 泥のように疲れて眠りについていても、継母の気分次第で叩き起こされ、無理難題を命じられる。

 屋敷の外に出る事は禁じられ、脱走が露見しかけた時には地下に閉じ込められた挙句に酷い折檻を受けた。


 その一方で、シャノンの能力についてはある程度認めていたのか、キャロラインが社交界デビューする少し前からシャノンをキャロラインの『影』として利用するようになる。

 幸か不幸か、シャノンは亡き母の教えを受けてかなりの教養を身に着けていた。

 刺繍裁縫、お菓子作り、手紙の代筆、季節の贈り物選び、気の利いた受け答えのカンペ作り、ドレスや髪型選び等々。数えればキリがない程、キャロラインの『実績』作りに貢献させられた。

 シャノンが心を砕き励んだものは、全てキャロラインのものとなった。

 時には外には出してもらえるようになった――キャロラインの付き添いの侍女として。お目付け役兼フォロー役として。シャノンの事はすっかり忘れ去られ、彼女は名も無い侍女となった。

 当の妹は何も考えていない様子だった。

 姉が自分の代わりに全てやってくれる事を、姉に助けてもらう事を、特に疑問に思わず当たり前として暮らしていた。

 あの子は、良くも悪くも素直なのだ。母親のいう事に従っているだけ。何時かお姫様にという夢を叶えたくて、母親の言いなりだった。

 大変な事や辛い事は全てシャノンが代わりにやってくれる。だからお前は可愛らしく微笑んでいるだけでいいの、と常に言い聞かせられていたのを知っている。


 シャノンの尽力により、キャロラインは高い教養と優れた知性を持つ理性の淑女としての名声を築き上げていった。

 全てはキャロラインの評判を高め、何時か高貴な方へと嫁がせる為。

 その執念は結実し、キャロラインは王太子の妃として迎えられる事となる。そしてゆくゆくは王妃となるのだ。

 ジョアンナは、シャノンを侍女として送りこんだ。

 今まで通りに側でキャロラインの『栄光』を支え続けさせるために。

 当然といえば当然だ。今までその実績を代わりに築いてきた存在を切り捨てれば、あっと言う間に今までの評判は本人の実力ではないと露見するだろう。

 絶対に自分がキャロラインの姉と……カードヴェイル家の娘と露見させるなと脅して。

 あくまで一人の召使として、生涯をキャロラインの影として生きろと念押しして、あの家を出された。

 断ったところで行く場所もない、帰る場所もない。身の安全と衣食住の為、そしてもう一つの理由の為、シャノンはただ頷いた。


 シャノンは正直馬鹿馬鹿しいと思っていた。

 借り物の実績で評判を作り上げたとして、それで高貴な方に嫁ぐまでこぎつけたとして。

 嫁いだ後はどうするのだろう? 求められるものはより一層高度なものとなる。その時、張りぼての栄光はきっと通用しない。

 シャノンとて万能ではない。王宮で求められる水準を支えるには限界とてある。

 見せかけだけの輝きに惑わされてくれる者達ばかりではない。真実を見抜く人とているだろう。光あるところに影がある――影ゆえに光は光であるという事実に。

 そう、この王子が気付いたように……。


 今頃、キャロラインの乳母は慌てている事だろう。

 何せキャロラインの名声を支えていた人間が連れ去られてしまったわけだ。

 この先王太子の妃としてやっていくのにぼろが出ないように、侍女として送りこまれたのだ。

 それがよりにもよって弟王子の妃として持って行かれてしまったとあっては、恐らく今頃知らせを受けた継母が狂乱しているのが容易に想像できる。

 だが如何にジョアンナとて、この王子相手に強く出る事も出来まい。

 それに、義娘を返してくれと言ったならば、何故仮にも伯爵令嬢に侍女の真似事をさせていたのかと問われて答えに窮する事になるだろう。


「あの張りぼて令嬢が公の場で派手にぼろでも出してくれれば、兄上の面子は丸つぶれだからな」


 盛大に迎え入れた妃が実は借り物で装飾した欠陥品だったと知れたら、と嘲笑を浮かべながら言うエセルバート。

 その言葉に思うところは多々あったけれども、シャノンは彼を見据えたまま沈黙を保つ。

 その表情は小悪魔などというものではない、もはや悪魔。おとぎ話の王子様にはとんだ裏があったものだとシャノンは内心嘆息。

 エセルバートはキャロラインの名声の真相が露見することで、兄の失墜を狙っている。その理由は……。


「色々と揺さぶってはいるが、ここでひとつ大きく恥をかいていただけば、あとは自分から降りて下さるだろう」


 続いた言葉に、予想が当たったと内心で盛大に溜息をつくシャノン。

 降りるとは、恐らく王太子の地位。兄にあって、彼が持たないもの。

 これは妹と自分を巻き込んでのお家騒動ではないか。

 この王子は、王太子の地位を狙っていると言う事なのか。

 けれども、胸を過るこの違和感のようなものは何だろう……。

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