裏方令嬢と王子様 ~彼女と彼がおとぎ話になるまで~

響 蒼華

おとぎ話の裏事情

うまい話には当然裏がある

 王国一の淑女、理想の令嬢と名高いキャロライン・カードヴェイル伯爵令嬢。

 妖精のように愛らしく美しい見目ばかりではなく、その優れた知性と教養、優雅な物腰は人々から憧憬の眼差しを向けられていた。

 そんなキャロライン嬢は、この度王太子の妃として望まれた。

 皆はキャロライン嬢ならば当然と口を揃えてそのおとぎ話のような出来事を囁く中、彼女の王宮入りの日がやって来た。

 王宮入りしたキャロライン嬢を王太子ベネディクトが出迎えた、まさにその華やかな晴れの場で。

 地味な侍女の服に身を包んだあかがね色の髪の女性の前に、その人は跪いていた。


「妹君を心配のあまり、侍女に身をやつしてでも見守ろうとする優しい心に感動致しました」


 周囲の驚愕と憧憬の眼差しの中。

 絹糸のような金色の髪と紺碧の瞳が美しい、まさしく「御伽噺の王子様」としか言い様のない青年は。

 優雅な身のこなしで彼女の前にひざまずき、手の甲に口付けするとそう告げた。


「どうか、私の妃になって下さい。シャノン・カードヴェイル嬢」


 驚きに目を丸くしている妹と、その伴侶となる王太子殿下の姿が視界の端に映っている。

 手に触れる感触は確かなものなのに、キャロラインの姉・シャノンはどこか遠い世界の出来事のように感じていた。

 元々白い肌を、更に蒼褪めさせ。呆然とした表情で、翠玉の瞳を見開きながら。

 何故という単語で、脳裏を埋めつくしながら……。




 ――ああ、空が蒼い。

 そんな現実逃避をする、晴れの日の昼下がり。

 衝撃に心が麻痺してしまったシャノンは、蒼を基調とした装飾が美しい宮の一室で外を見上げていた。

 供されているお茶もお茶菓子も、今まで喫した事がない程に素晴らしい。

 腰を下ろしている長椅子も施された繊細な彫刻、張り布もまた緻密な刺繍に埋めつくされていて。柔らかに受け止める感触に、座り心地は言うまでもない。

 麗らかな日差し、鳥の囀りを遠くに聞きながら、美しい調度に囲まれゆったりと流れる時間……。

 けれど、シャノンの心の中は疑念が渦巻く荒れ模様。周囲の素晴らしさも穏やかさも、茶の味も、もはやそれどころではない。


「お口に合いませんでしたか……?」

「いえ、殿下。けしてそのような事は……」


 心中が表情に表れてしまっていたようだ。

 シャノンは慌てて表情を引き締め、否定を紡いで首を左右に振る。

 気遣わしげに問いかけてきたのは、先だってシャノンの前に跪いた青年だ。

 シャノンに殿下と呼ばれたこの人は、国王陛下の二人目の御子……つまりは、この国の王子であられるエセルバート殿下。

 国王の寵愛最も深き側妃を母に持ち、母方の実家の権勢の強さも相まって、兄である王太子殿下を凌ぐ勢いを持っていると言われる方。

 自身も文武両道に秀でており、美貌の持ち主。宮中の女性の熱い眼差しを一身に集める人物。

 ……が、何故かシャノンに突然求婚をしてきた。

 衝撃覚めやらぬうちに、どう返答すれば相手の面子を潰さないかと思案している間に、彼の宮に連れてこられて現在に至る。

 何度かこっそり頬を抓ってみたが痛い。これは確かに現実だ。

 エセルバートは、シャノンとテーブルを挟んで向かい合って長椅子に腰を下ろしている。

 光を受けて輝く金色の髪に、空の色を映したような蒼い瞳。

 ただそこに座っているというだけなのに、兎にも角にも絵になるし、所作の一つ一つに気品が漂う。

 ああ、この方は本当に王子様なのだなあ、と心の中で溜息を吐く。

 どうせなら素直にこの美貌に夢をみてときめく事が出来る性質であったなら、きっと色々と楽だったろうと思う。

 何も気づかぬまま居た方が幸せな事がある。

 そう、心蕩かすような微笑みの底に潜む何かを、感じ取る事もなく……。

 傍らには侍従であろう男性が、全く考えを読み取らせぬ無表情で姿勢正しく控えている。

 エセルバードは端整な顔にわずかに苦い笑みを浮かべながら、首を傾げた。


「随分を浮かない顔をしてらっしゃる。……そんなに私の求婚が不快でしたか?」

「不快など、とんでもない。……ただ、何故、あのような真似をなさったのかをお聞きしたいのです」


 しかも、あの場所で。

 あれは、国一番と名高い令嬢が王太子の出迎えを受け、王宮に一歩を踏み出した令嬢の輝かしい晴れの舞台だった。

 その場で、彼は突然侍女の一人の元へと歩み寄ると跪き、侍女が令嬢の姉である事を皆の前で明かし、求婚した。

 場は騒然となり、注目を一身に受ける筈だった主役たちも呆然とこちらを見ているしかできなかった。

 その隙をついて、この王子はシャノンを自分の住まう宮へと連れ去ったのである。

 自分達が居なくなった後、残された人々がどのような大騒ぎとなったのか、伝え聞く事すら恐ろしい。


「心配のあまり侍女に身をやつしてでも妹を見守ろうとする優しさに感動して、と伝えた筈ですが?」

「……失礼を承知で申し上げます。……今一つ、求婚の理由としては説得力に欠けているかと」


 辛く苦しい日々を送っている少女が、眉目秀麗な王子様にある日突然求婚されて結ばれ、めでたしめでたし……。

 残念ながら、そんな御伽噺を素直に信じる程無邪気ではない自覚がある。

 実際にそのような場面に、自分が求婚される側として遭遇しても、感激よりも警戒が先に立つ。

 正直に言うと、かなり胡散臭い。相手の笑顔も、ひたすらに胡散臭い。

 妹想いの優しい姉だから恋に落ちました、それで結婚を申し込みました。

 いやいや、有り得ない。今一つどころか二つぐらい理由としては浅い。

 恋愛物語としても、あまりにひねりが無さ過ぎて文句を言われそう。

 もしかして、最近読めていなかったから流行りが変わった? 今はこういう流れが主流なの?

 脳裏を埋めつくす疑念に次ぐ疑念。飛び交う問い、消えない胡散臭さ。

 しかしながら、目の前の相手にそんな事を素直にいう訳にはいかない。故に、歯切れの悪い婉曲な言い回しになってしまう。

 考えを整理する為に一度大きく息を吐き、シャノンは改めてエセルバートを見据える。


「そもそも、私がキャロラインの姉である事は伏せられておりました。私がカードヴェイルの娘である事を知る者も、今は屋敷におりません」


 素性は念には念を重ねて伏せられていた。

 シャノンは、確かにカードヴェイル伯爵家の長女で、キャロラインの姉にあたる。

 しかし、共にキャロラインに付き従ってきた侍女の中に、妹の乳母以外でシャノンの事を知る人間はいない。

 そして、屋敷を探ろうとも、今は彼女がカードヴェイル家の長女である事を知る者は居ないのだ。

 容姿にコンプレックスを持つが故に社交嫌いで引き篭もりとされる長女と、今ここにいるシャノンをイコールで結びつける事は難しい。

 ――他の理由があって、入念に探ろうとしなければ。


「今の私はただの一介の侍女。故に、何故とお伺いしております」


 輝く美貌の王子が、ある日突然王太子妃の名も無い侍女に目を留めた。実はその侍女はたまたま侍女に扮していた王太子妃の姉だった。

 あまりに、出来過ぎた偶然の重なりだ。

 そして、あまりに、この権勢誇る王子にメリットがない話すぎる。

 彼ならば名だたる令嬢達との縁談が降るほどに湧いているだろう。

 それを棒に振って、ただの侍女に求婚するなど有り得ない。

 理由があるとすれば、それは。

 ――彼が予めシャノンの素性を知っていて、何かの目的があって求婚したということだ。

 哀しいことに、シャノンにはひとつだけその目的の心当たりがある。

 

 シャノンが語り終えた後に、その場には沈黙が満ちる。

 シャノンが見つめる先、エセルバートは黙したまま俯き、従者はやはり一言も語らない。

 纏わりつく重い沈黙が耐えきれなくなってきて俯いてしまった頃、シャノンの耳に何かが聞こえた。

 それは――笑い声だった。

 弾かれたようにエセルバートを見ると、始まりは堪えたような小さな笑いだったものが、徐々に大きくなっていく。

 見る見る内に、彼は耐えきれないといった様子で大笑いを響かせ始めた。

 やがて、何とか笑いを堪えようとしながら、エセルバートは目尻に涙すら滲ませて傍らの従者に問いを投げかける。


「なあ、ヒュー。やっぱり『俺』の言った通りだろう?」


 それまでの穏やかさや気品はなりを潜めてしまっている。人の悪い笑みを浮かべながら、尚も愉快そうに笑い続けている。

 従者は先程までの、彫像のような無表情さが嘘のように口元に笑みを……それもやはり人の悪そうな笑みを浮かべているではないか。


「いや、安易にうまい話にのってこないあたりはむしろ好感が持てるな。慎重なのは結構じゃないか」

「……有難うございます」


 あの場で求婚した御伽噺の王子は何処へやら。

 すっかり消え失せた優しく温和な人柄の代わりに、意地の悪い笑みを口元に刻んで獰猛な獣のような笑いを噛み殺しつつエセルバートは言う。

 憮然とした面持ちになりそうな顔の筋肉を必死で押さえ、努めて冷静な様子を作りながらシャノンは短く返す。

 やっぱり何かあると思った。

 あと、やっぱり胡散臭いと思ったのは当たっていた。

 心の中で呟きながらシャノンが眼差し向ける先、エセルバートは肩をすくめながら告げた。


「理由は、……お前が、妹の『影』だからだよ」


 やはり、と身を固くするシャノン。

 明らかに表情を強ばらせた彼女に対して、エセルバートは恐ろしいものが潜む、けれど目を惹きつけて離さぬ笑みを浮かべながら問いかける。


「妹のメッキを剥がすのに協力してくれるかな? どうか我が妃に。本当の、理想の令嬢殿?」

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