(中)
第3話
「……安田道夫は人殺しだ…………」
こうした匿名電話が警察に来たのは、例年よりまさる最高気温が日本で観測された日のことで、
「二〇二三年連続人体消失事件のように、面倒な事件はごめんだな」
という無意識によって、この一一〇番通報は簡単に一度は処理されたのである。
ところが、今度ばかしは人間がからんでいそうだ、と正木警部は思った。事実、電話は毎週々々わざわざ場所を変えて、公衆電話からかかってきた。これは、通報者が逆探知されたくないからにほかならないのだが、いやがらせにしては、ちょっとばかし悪質だ。はてな、もしやこれが犯罪事件とどこかしらで結びついているのかもしれない、そう警部は考えていたのであるが、証拠もないので、同僚たちには話さず、かわりに、友人の大学教授に相談したのだった。
「そうはいわれても、事件になりそうな気配もないじゃないか。安田道夫なんていう名前はざらにいるぞ。それこそ、うちの大学にもおるからな。だから、どうやって調査するのかも決めなきゃならん」
「公衆電話をすべて逆探知したんだ」
「ほう。それでどうだった」
「通報のあった場所を点にして、つないでいくと、いびつだが円形になった。あんた、これが偶然だと思うかい」
「さあ、偶然かどうかはさっぱりわからんね。けれど、君がいいたいことは、おおよそ理解した。つまり、その円の内側に通報者が住んでいる、ということだ。ところで、君、こんな大事なことを一般人に話してもよかったのかい」
「なにをいってやがる。あんたは、うちの課長から信用されてるんだよ。ベンチャー企業重役失踪事件、呪いの仮面事件、三十年前にセレネスでおきた、あの大事件だってみんなあんたが解決しちまった」
「じゃあ、その地図とやらを見せてもらおうか」
正木警部は彫りの深い顔で、
「まだ警部はやめられないようだね。事件になりそうな頃に、あらためておしえてくれればいいよ」
「ああ」
正木警部は力なくうなずいた。
男は、
坪田は、丸眼鏡をかけていて、左手の親を
以上の会話は、カフェテリアでのことだ。
けれども、正木警部の予感は的中することになる。坪田はこれが事件化することを、はたして予測していたのであろうか。いずれにせよ、電話はかかってきた。いつもと変わらぬ若い女性の声で、早朝、紀ノ内署に仕事を与えたのである。
「……森沢大学の
「ハッ、なんだって」
警察官は困惑した。
「どこのどいつが殺すんだ。それに、君はなぜこんなイタズラをするんだ」
返事はなかった。
警察官は、すぐさま正木警部を呼んだ。警部が、なにごとかと駆け付けると、電話はもう切られてしまったのだが、しかし、逆探知のほうが成果を上げた。結果によれば、通報は円をえがいた地図の内部にあった。それも、森沢大学からである。「森沢大学に電話を入れるんだ。今日の講義は休みだとな」
正木警部は車に乗らず、六、七分ほどかかる大学までの道を走った。坪田の存在を思い浮かべながら、彼に向けて送話したのだが、肝心なこの瞬間に、天才教授は不在のようで、がっくりと肩を落としつつも、足をはやめた。
大学に不審な者はいなかった。偶然近くにいた大学生の男も、そんな人は見なかったといっている。正門のわきに設置された公衆電話は、なにごとも語ってくれず、念入りにそれを調べてみたのだが、やはりというべきか、犯人は現場に証拠をのこしていない。あわてて、警部を追ってきた警察官が説明を求めてきたのだが、彼は、警部が有益な情報をなにも手に入れられなかったと知るやいなや、落胆のあまりに身動きが取れなくなった。しかし、荒井大輔という大学生の無事を確認すると、彼は、今回の殺害予告について、まったく見覚えもないようで、ただただ警察を混乱させただけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます