第6話 無事を売ってあげよう-3

 壁の東門には血の惨劇が広がった。魔法からなる紫の炎が木々に燃え広がり、ホールデニアの兵士の凄惨な死体が辺りに散乱している。

 中心に立っている長身の男はさもピクニックに来たかのような笑顔を見せた。


「しつこかったがそれだけだなぁ〜。ギャクザのやつ、暴れるのに夢中で遅くならなきゃいいんだけど」


 兵士を皆殺しにして突破したバレンは悠々とエルフの小国に向かっていく。


 ──────


「何……? いくらで?」


 早速お金の話を持ち出したヨウにマブロは面食らった。


「ああ。いくらで何をやらせたいんだ?」

「……この任務で出された軍資金の一部をやろう。だから、エルフの居住区をこれから来る襲撃から守って欲しい」

「襲撃? あぁ、あるって言ってたな。だけど守って欲しいなんて言われてもよ、守るのはお前らに与えられた仕事なんじゃねーの?」

「この通り敵は強大で、我々には手も足も出なかった。だが先程の戦いを見て分かった。この現状をなんとかできるのはお前しかいない。頼む、エルフの国を守ってやってくれ」

「ふーん。だが『軍資金の一部』じゃ引き受けられねーな」

「なんだとっ!?」


 焦りと怒りがこもった声でマブロは言った。


「お、お前……! これから大勢死ぬかもしれないって時に足元見て交渉か!」

「はぁ? 足元も何も当たり前だろ。軍資金全部でも足りねーんだ本当は。不公平な取り引きなんざしたかねーよ」

「不公平だと?」

「侵略を止められねーお前らの戦力に支払われた軍資金より、なんで侵略を止められる俺に払う金が少ないんだ? 悪いが、俺は俺以外に都合の良い取り引きはしないことに決めてんだよ」

「こんな時に何言ってやがる!」


 するとマブロは傷だらけの体を引きずってヨウの前まで詰め寄った。


「お前が動かないとどれだけのエルフが死ぬと思ってんだ! お前はなんとも思わんのか!?」

「バカがよ。情で動くんなら勇者でもやってるわ」

「ふざけるなよ! お前には助けられる力があるのに、襲われるエルフの国を黙って見過ごすつもりか!」

「……それはお前次第だろ? 俺にはなんの関係も無いんだぜ」

「エルフをなんだと思って───」

「だからテメー次第だって言ってんだろ!」


 ヨウはマブロの胸ぐらを掴み、そのせいで首が上向きになったマブロを少し自分の方に引き寄せた。


「何度も言うが俺は対価を貰ったら動くんだよ! エルフ共が助かるかはテメーの行動次第だ! それをなんだ!? テメーは随分エルフ想いらしいが、そいつらを助けるために俺の要求を呑む覚悟もねーのか!?」

「くっ……!」

「おい! テメーはエルフの国を守るためにすることが、ただ情に訴えて厚かましく頼むだけか? さんざん言っておいてテメーの覚悟はその程度なのかよ! 別に俺はこのまま帰ったっていいんだぜ!?」

「ち、違う……! 俺は……!」首が上を向かせられているため喋りづらそうにマブロは言う。

「えぇ!? 何が違うんだよ!」

「俺には……、な、なんだってする覚悟はある……! あ、あの街を守るためなら……っ!」


 ヨウは怪我人相手だというのに乱雑にマブロの胸ぐらから手を離した。マブロが崩れ落ちてその場に座り込む。

 ゴホゴホと咳き込むマブロを見下ろしてヨウは言った。


「じゃあ聞きてーが、お前はエルフの無事のためにいくら出せる?」

「何……?」

「言葉の通りだよ。お前にとってエルフの国の無事はどれくらいの価値があるんだ? お前がいくら出せるか、それを聞いて頼みを聞くか判断しよう」

「……分かった」

「ただし」とヨウは食い気味に言う。「一度だけだ。やり直しはしない。断られた後で値打ちを変えるとかは無しだ」


 一瞬困惑したマブロだったがすぐにヨウの意図に気づいた。

 のだ。提示してしまえばそれ一回で終わるので、安く済ませようとして半端な値打ちを言えなくなった。

 つまりヨウは次のチャンスを無くすことで強制的に、マブロが出せる最大限の覚悟を示さなければならなくさせた。

 だがしかしマブロは、いくら出せるかを聞かれた時から答えは決まっていたようだ。


「俺の全てだ……。俺の差し出せるもの全て。エルフたちが無事で居られるのなら、このくらいは出せるさ」

「言ったな?」


 するとヨウの口角は少しだけ上がった。それはどこか嬉しそうだった。


「交渉成立だ。エルフの国の無事を売ってやる! 今馬車から契約書を持ってくるから自分で署名してくれよ」


 ──────


 居住区にいたエルフたちは続々と避難していった。彼らは誘導の元で五十人ほどに別れて行動し、兵士たちの助けを借りて壁を乗り越えていく。

 エルフの種族は戦いには向いておらず、戦闘に長けたエルフもいることはいるが数は少ない。魔力を増幅させて魔法を使えるといっても、温厚な種族なので戦闘用の魔法は身につきにくかった。なので襲われた場合エルフたちはなけなしの攻撃魔法で対抗するか逃げるしかなかった。

 兵士たちが壁から続々とエルフを逃がしていると、兵士の一人にリッタの母親が話しかけた。兵士はそのエルフの並々ならぬ様子に緊迫する。


「あ、あの! すみません! どこにもリッタがいないんです! 見ていませんか……?」

「いや……た、多分別の仲間が預かってると思うぞ」と兵士は取り繕う。

「そ、そうですよね、そうですよね……! あぁ、リッタ……!」


 ──────


 襲撃の報せが入ったことで兵士たちによって居住区のエルフたちが集められた頃、リッタは居住区から少し離れた場所のとある木に足を運んでいた。

 リッタはその木に刻まれた自分の祖母の墓標を物悲しそうに眺める。彼女の祖母は二十年前、三百三十歳の頃に老衰で亡くなっていた。死去した頃に比べてリッタの背も伸び、大人のエルフの仲間入りまであと少しの年齢になっていたが、心はまだおばあちゃん子のままだった。


 リッタのおばあちゃんは大の他種族嫌いで、ホールデニア国と友好を築いたり壁を建設したりするのにも大反対していた。一時期流行したエルフ密猟の被害者が身内にいたからであった。

 エルフの小国がようやくホールデニアの人間を信用し始めてもそれは変わらず、そしておばあちゃんの背中を見て育ったリッタもまた他種族、特に人間に敵意を持つようになった。

 ここのエルフの小国では、遺体を埋葬する時は木の麓にして、最期に栄養となり自然へと還る伝統がある。リッタはおばあちゃんが埋められた場所の木の幹に抱きついてしくしくと涙を流した。


「うええぇぇん……! おばあちゃん、どうしたらいいの! ぐすっ、ホールデニアにいいように扱われて、アドラスに侵略されて、しまいには商人にも舐められて……! エルフは食い物にされっぱなしよ! ぐすっ、みんなも話聞かないしっ、もうエルフ族はおしまいだわ! うわあぁぁん!」


 リッタは子供の頃泣いて帰ってきた時のように、存分におばあちゃんに甘えるように泣いた。


 ──────


 リッタが居住区に帰ってきた時にはもう既に全員が街を離れていて、音一つしないもぬけの殻の街並みが不気味さを醸し出して出迎えた。


「あれ? みんな?」


 晴天の下でしばらく歩き回りながらリッタは他の住民を探すが一向に現れない。その不安と焦りから、だんだんと歩きではなく走りになっていった。彼女に嫌な汗が吹き出す。


「みんなー! どこなの!? ねーえ! お母さん! お父さん! どこなのよーっ!!」


 自分だけ取り残されたんじゃないかという考えが確信に変わりつつある中で、だんだんとリッタの瞳に涙が浮かんでくる。

 するとその時、街のどこかで爆発音が鳴り響いた。驚いてビクンと身体を震わせた彼女がそちらを見やると、音の発生場所から怪しい紫色の煙が空に立ち昇っていることに気づいた。


(何かいるの!? あ、あそこには近づかないように───)


 考える時間も与えずもう一度ドーン!と爆発音が鳴る。音の発生源はさっきの地点とは違う場所で、また同様に紫色の煙が昇った。


(えっ? また───)


 とリッタが考えているうちにももう一度別の場所で爆発音がする。それに驚いているうちにまた爆発音が、それに驚いているうちに爆発音が───と街への連続した攻撃で彼女は震え上がり一歩も動けなくなってしまった。

 そのうちに彼女のところにもその炎が燃え広がって狡猾に彼女を取り囲む。


 いつもの見慣れた場所が、大好きな街並みが、思い出のたくさん詰まった光景が、無慈悲な紫色の炎で燃やされていく。

 あらゆるものを貪欲に喰らい尽くす炎は家屋から家屋へと広がり、満足そうに煙を巻き上げながらエルフの街を征服せんとしている。リッタは拳をギュッと握り締めながらその様を道の真ん中で眺めていた。



「あ、ようやく見つけたよぉ〜」


 突然の男の声にリッタはガバッと振り返った。背は高いがやけに細い男は、ニタニタと笑ってリッタを見ているため、彼女は気味の悪さと恐怖を覚える。


「初めまして。僕はバレン。エルフが全然居ないから困ってたんだけど、君がいてよかったよぉ〜」

「っ! まさかあんた! あんたがこの街を燃やしてるのね!?」

「そう。何か不満かい?」


 リッタはバレンの瞳に籠った邪悪さに身震いして今にも逃げ出したい衝動に駆られた。

 だがそれ以上に腹の中で沸き立つものがあった。握った拳をわなわなと震わせ、その沸き立つものが全身を満たした時、彼女は溢れた涙と共に強く叫んだ。


「よくも私たちの街を! 絶対許さない!!」


 その言葉と共にリッタの周囲に魔法による風の刃が十七本召喚される。短剣の形をして固まった半透明の空気の塊は、切っ先をバレンに向けていた。それを見てバレンは楽しそうに言う。


「おっ! 珍しい、戦えるエルフかぁ」


 怒りに任せて放たれた風の刃は、動揺の色を見せないバレンに向かっていった。

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