第4-6節:ぶつかり合う激情

 

 その後、話し合ってお互いに知っている曲を選び出し、目顔でタイミングを合わせて演奏を始める。


 奏でるのは『空を舞う小鳥たちの遊戯ゆうぎ』。数十年前に吟遊詩人たちによって世界中に伝えられ、今では老若男女を問わず知っている有名な曲だ。演奏もそんなに難しくないし、覚えやすいメロディなのも嬉しい。



 …………。


 曲調は楽しげで明るい。小鳥たちが優雅に大空を舞い、遊んでいる風景を見事に音楽として表現している。


 演奏していて私もお義姉様も自然と笑みがあふれてくる。そしていつの間にか窓の外では雨が上がり、日差しが優しく部屋の中に差し込み始めている。



 ――そんな時のこと。


 廊下で何やら物音や誰かと誰かが言い争うような声がしたと思うと、この部屋のドアを何度も激しくノックする音が響く。その物々しい雰囲気に、私もお義姉様も目を丸くして思わず演奏を止めてしまう。


「姉上っ、入りますっ!」


 直後、強い口調で叫びながら部屋に入ってきたのはリカルド様だった。


 眉を吊り上げ、肩を大きく上下させながら息をしている。どこかから走ってやってきたのかもしれない。でもなぜそんなにも焦った様子なのだろう?


 当惑していると、彼は私を睨み付けながら唇をワナワナと震わせる。


「シャロン、これはどういうことだっ? オカリナとヴァイオリンのアンサンブルが聞こえてきて、もしやと思って来てみれば想像通りだった。なぜがここにいるッ? 僕は立ち入りを許可した覚えはないぞっ!」


「えっ? あ、あの、私は……」


「……離縁だ。お前とは離縁だッ! 今すぐこの屋敷から出ていけ!」


「っ!?」


 リカルド様の怒号が私の胸に突き刺さる。耳の奥がしびれ、頭の中も周囲の景色も真っ白になって、世界から私だけが隔絶されたかのような気分になる。


 呆然としたまま立ちつくし、次第に全身から力が抜けていく。




 でもその時――っ!



「リカルドっ! 今の言葉、取り消しなさいッ! そしてシャロンに謝りなさい!」


 リカルド様に負けず劣らずの怒りに満ちた叫びが、不意に私の横から上がった。いや、むしろ迫力と勢いは何倍も勝っていたように感じる。


 我を取り戻した私が視線を向けてみると、そこではお義姉様が柳眉りゅうびを逆立てながら彼の方へと身を乗り出している。


 さっきまでの穏やかな雰囲気からは想像もつかない憤怒ふんぬの表情。ただ、額にはじんわりと汗が滲み、拳で胸を強く押さえている。呼吸も少し乱れているようだ。急に大声を張り上げたり、怒りを爆発させたりしたから体に過度な負担が掛かっているのかもしれない。


 それでもグッと奥歯を噛み締め、苦しみに耐えつつリカルド様を睨んでいる。


 一方、彼はすっかり意気消沈して狼狽うろたえている。お義姉様の逆鱗げきりんに触れたことや、そのせいで彼女の体に負担を掛けてしまったという負い目が影響しているのかも。


「あ、姉上……」


「シャロンは私が呼んだのです。ルーシーに頼んで連れてきてもらったのです。当然、この部屋への立ち入りも私が許しました。何か問題がありますか?」


「……ぅ……」


「リカルド、黙っていないで何か言いなさい。これ以上、私を怒らせる気ですか?」


 その問いかけに、リカルド様はうつむいて両拳を強く握り締めた。前髪が垂れ、その表情をうかがいい知ることは出来ない。


 室内は重苦しい空気に包まれている。私は息を呑んで事態を見守る。


「……シャロン、僕が悪かった。離縁という言葉は取り消す。聞かなかったことにしてくれ……っ……。――くっ!」


 やがてリカルド様は苦悶くもんに満ちたような声を漏らすと、部屋を飛び出していってしまった。ドアに向かって振り返る瞬間、悔しそうな表情と瞳に光る涙の粒が見えたような気がする。


「リカルド様っ!」


 慌てて私が名前を呼びかけても、彼の足が止まることはない。反射的に伸ばした私の手から彼の背中がどんどん遠退いていく。このまま心すらも完全に離れ、二度と元には戻らないかのような気さえする。


 それを認識した瞬間、なんとも言えない寂しさと不安が心の中に広がった。居ても立ってもいられない。私は即座にお義姉様に声をかける。


「――すみません、お義姉様! 私はリカルド様を追います!」


「シャロン、屋敷の南にある見張り塔へ行ってみて。あの子、何かあった時はいつもそこへ逃げ込むクセがあるから」


「は、はいっ!」


 お義姉様の温かな瞳に見送られ、私も部屋を飛び出した。ドアの前に立つルーシーさんやポプラの横をすり抜け、廊下をひたすら走っていく。ただ、リカルド様の姿はすでに見えない。


 これはお屋敷の構造をどれだけ理解しているかの差もあるだろうけど、彼自身の足もかなり速いということだと思う。さすが畑仕事で足腰が鍛えられているということはある。


 いずれにしても、私はお義姉様のアドバイスを信じてその場所へ行ってみるだけ。もしそこにいなかったら、お屋敷内をしらみつぶしに捜せばいい。なんとしてでも見つけ出してみせる。



(つづく……)

 

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