第4-1節:雨の精霊と心身への負担

 

 畑からお屋敷に戻り、昼食を終えた私はポプラと一緒に自室へ戻った。早速、雨の精霊を使役することにする。


 もちろん、私が精霊使いであることはフィルザードにいる誰にも言っていない。この世界全体でさえも、その事実を知るのは父だけだ。


 もしよこしまな者に私が精霊使いであることが知れたら、拷問ごうもんや脅しなどで無理矢理にでもその力を使わされるかもしれないから。


 精霊を使役する力は、悪用すれば世界が大混乱におちいりかねないほど強いもの。ゆえに心の底から信用できる相手以外にその力を明かすことは、絶対に避けなければならない――と、幼い頃から父に釘を刺されている。


 今回もポプラには単に『オカリナの演奏をするから聴いてほしい』とだけ伝えてある。彼女のことを信用していないわけじゃないけど、一方でそんなに焦らなくてもいいかなという気もして、今は真実を話す踏ん切りが付かなかったのだ。


 ただ、ポプラの心が優しくて真っ直ぐなのは確信しているし、私の間近にいればいつか必ず違和感に気付いてしまうはず。だから私はそう遠くない未来に彼女へ全てを打ち明けるような気がする。


 それが原因で私の身が危険にさらされたなら、その時は仕方がない。私に見る目も人徳も運もなかったと受け入れるだけだ。


「――じゃ、演奏を始めるね」


 私はベッドに腰掛けると、温かな瞳をポプラに向けた。そして精霊を使役する時にいつもやっているルーティーンの言葉を今回は心の中でだけ念じ、オカリナの吹き口を唇に添える。



『精霊さん、どうかフィルザードに雨を降らせて……』



 その想いを込めつつ、私は演奏を始める。


 曲目は『優しき空の協奏曲コンチェルト』。ゆったりとしたスピードで、聴き手の心に穏やかさを与えるような印象のメロディが特徴だ。でも……。



 ……ぅぐ……。


 精霊を使役する際に、こんなにも苦しさと気持ち悪さを感じるのは何年ぶりだろうか……。


 演奏している私自身は精神と肉体が同時に疲労して、魂が少しずつ体から染み出してしまっているかのような感覚におちいる。得体の知れない恐怖感と寒気、気怠けだるさに襲われ、油断すると倒れてしまいそうになる。


 今回はいつもと違って魔法力のほかに体力も精霊を使役する対価としている。しかもそれらの消費量は半端なく大きい。心と体が悲鳴を上げるのも無理はない。


 そしてそうしたことは想定済みだからこそ、万が一に備えてあらかじめベッドに腰掛けて演奏を始めている。これならもし途中で意識を失ってしまったとしても、倒れて大怪我をするという心配はないから。


 今もオカリナから音とともに銀色の光が止め処なく吹き出し続け、開いた窓から大空へと流れていっている。それなのに未だに『雨の精霊』の気配を感じない。つまりまだ使役するためのエネルギーが足りていないのだ。


 やはり身の回りに存在する精霊と違い、一筋縄ではいかない。私は気合いを入れ直し、一心不乱にオカリナでメロディを奏で続ける。


 するとしばらくしてようやく遠くの空に『雨の精霊』がどこからか現れ、私の奏でた音楽に合わせて踊り始める。外見は白い蛇のようだけど、精霊はどれも共通してコミカルな感じがあるから不気味さや怖さはない。


 また、彼がやってきたことによってその能力が発動し、周囲の空気が徐々に変化を始める。例えば、部屋に吹き入れる風は湿気を含みながらひんやりとしてきて、土の匂いも濃く感じられるようになる。


 さらに空全体を覆うように鉛色の低い雲が広がっていき、太陽の光がさえぎられたことによって周囲は日没直後のような暗さに包まれていく。さすがにこの明らかな状態の変化にはポプラも気付いたようで、外の景色を見て目を丸くしている。


 やがて私の演奏が続く中、ついに外から雨音が響き出す。しとしととした優しい雨。地面もお屋敷の壁もほこり臭い乾燥した空気も、何もかも柔らかく湿らせる。


「……あっ! す、すみませんっ、シャロン様っ! 演奏の途中で申し訳がありませんが、ちょっと失礼しますっ! 外に干してある洗濯物を取り込んできますっ! 雨が降ってきたみたいなのでっ!」


 深々と頭を下げ、慌てて部屋を飛び出していくポプラ。私は手を止め、クスッと微笑みながら『転ばないように気を付けてね』と声をかけてその後ろ姿を見送る。


 そしてフッと気を抜いた瞬間――。


「っ!? っ……ぅ……」


 世界が引っ繰り返るような目まい。視界は暗くなり、心臓が大きく跳ねる。また、冷や汗も全身から吹き出してくる。ただ、幸いなことに意識だけはなんとか保っている。


 やはり天候系の精霊を使役するのは、想像以上に心身への負担が大きい。そのことをあらためて実感する。



(つづく……)

 

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