僕たちはまだ目覚めてすらいない

六野みさお

第1話 ただの帰り道のはずだったのに

 「吉岡よしおかを外すことになったから」


 岸星羅きしせいらからそう言われたのは、塾からの帰り道だった。午後7時に塾が終わって、僕と岸、それに相原涼花あいはらりょうかは家路についていた。今は11月、少しずつ冬に向かっていく季節で、もうすっかり空は黒くなりきっていた。


「やっぱりな。……で、どこまでがそれに加わるんだ」


 僕が慎重に探りを入れると、岸はさりげなく僕から目線をそらした。


「女子は全部と考えていいわ」


 俺はその言葉に驚きを隠せなかった。


「何だって!? ということは、中野なかの川村かわむらが合同したってことか?」


 中野と川村は普段は仲が悪い。この二人が協力するということは一大事だ。たぶん僕が中学校に入学してこのかたなかったことだ。


「そういうことになるわ。高見たかみも知っての通り、吉岡はもともと中野の方にいたわけだけど、まあ、あの子のことだから、川村の方でも受け入れがたいってことらしいわね。そんなわけで、明日からそっちの二つは『始める』らしいわ。もちろん、私は傍観するつもりだけど」

「なるほど……ということは、俺たちは吉岡を無視しさえすればいいわけだな」

「その通り。私も、中野と川村のやろうとしていることは一線を越えていると思ってはいるんだけど……でも、吉岡をよく思っていない人は、私たちの中にもいるから」

「そうだな」


 岸はーー吹奏楽部を除く文化部の女子全員に影響力を持つ敏腕美術部部長は、唇に手を当てて、考えるような仕草をした。一部のファンからは『岸そのものが名画』といわれる美貌を持つ岸の顔が、わずかに苦しそうに歪む。


「どうやら中野は、どうしても吉岡を修学旅行に行かせたくないようよーー週末までに絶対に再起不能にするって息巻いてたから」

「ずいぶんと急いでいるな。つまり、一週間以内に吉岡を不登校に追い込むということだろ? そんなことができるのかよ」

「今のところ、私たちの学年でそういう例はないけど……でも、学年全体が一人を攻撃することで一致している例もなかったわけだから、私にはどうなるのか予想がつかないわ」

「学年全体、か」

「そうね。あ、言い忘れてたーー男子にもしっかり情報を共有しなさいよ。美術部と文芸部は、男女問わず先生に見つからない程度で徹底的に吉岡を無視するーーということになるから。まあ、大野おおの佐竹さたけはもう少し協力的なことをするだろうけど」

「あの……」


 今まで黙って聞いていた相原が、遠慮がちに口を挟んだ。


「ずいぶん大変なことになっちゃってるみたいだけど……もし、万が一、吉岡の身に何かあったら……」


 岸はそこで初めてわずかに口角を上げた。


「そのために私たちは傍観しているのよ。そうなれば、再起不能になる人物が増えるだけねーー中野たちもそうならないように努力するはずよ」


 俺と相原がうなずくと、岸は改めてにっこり笑った。


「さあ、この話はここまでにするわよーー何てったって、今日は『あれ』の日だから」


 俺たちはその『あれ』に心当たりがあった。


「『勇者シュンペー』の最終回だな!」

「今季一番人気の大ヒットアニメ!」


 俺と相原は一瞬で顔がほころぶ。


「いよいよね。果たしてシュンペーは魔王を倒すことができるのか!」


岸がノリノリでナレーションじみた文句を叫んだとき。


「ん? あれは……」


 俺は前方に嫌な予感のする人影を発見した。


「ん……あっ!」

「あっ!」


 すぐに岸と相原も気づいた。彼はこの辺りでは比較的顔が知られている。俺はできることならなるべく会いたくないのだが。


 だが、彼はこちらに気づいてしまったらしく、ずんずん俺たちに近づいてきた。


「やあ、保人やすと! ほとんど一年ぶりだな!」


 ついに俺は彼に声をかけられた。もう俺はこう言うしかない。


「げっ、親父!」


 そう、この男ーー高見零児たかみれいじは、俺の実の父である。だが、俺は最近この男に会ってろくなことがあった試しがない。案の定、親父はにやにやとこちらを見ている。絶対によからぬことを企んでいるに違いない。


「実は、保人にある知らせがあるのだ」


 親父は横の物陰を向いて手招きした。


「おい、もう出てきていいぞ!」


 すると、物陰から一人の少女が現れた。


「…………」


 俺は全くわけがわからなくなった。どうして親父が俺の知らない少女を連れているのだろうか。親父は多忙でほとんど家を空けているが、親父が俺と俺の妹の他にも子供を持っていたとは考えにくい。


 だが、親父はそこで俺に衝撃的な発言をかました。


「実は、保人は今日から家族が三人増えることになる。そしてこっちの女の子は保人の義妹だ」


「ええっ!?」


 俺より先に大声を上げたのは岸だった。

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