赤くて遠い家

むきむきあかちゃん

赤くて遠い家

 私が当時、毎日職場に向かう汽車の車窓からは、薄い霧に包まれた赤くて遠い家が見えた。

 その家は、雪に一面覆われた大きな山を背にちんまりとそびえたつ、小屋のような家だ。

 私はここにレイルが敷かれてすぐ、中心都市から実母のいる郊外へ移住した。

 引っ越すときは当然、(当時流行っていた)自家用電気車を使ったのだが、荷物は汽車の荷物車を利用することを同僚に強く勧められたのでそうした。

 それから汽車を毎朝利用するようになったのだが、おそらく当時からあの家は見えていたはずだ(時に霧が濃くて見えない日もあったが)。

 いつも私の座る席の向かい側には、よく老齢のご婦人が、草で編んだバスケットを手に提げて座っていた。

 彼女はいつもバスケットから毛糸をはみ出させ、二本の棒を使って編み物をしていた。

 婦人はある日、うつらうつらとしている私の膝を、編み棒でポンポンと叩いて言った。

「見てくださいな、私の家。遠くにある小さな赤い家です。可愛いでしょう。あなたのような都会で働く人からしたら犬小屋みたいでしょうけど、私の大好きな家なんです」

 車窓には、絵やミニチュアのように真っ赤で小さな家が、ガラスにぴったり貼り付いて見えた。

「あそこは荒れた林だったんですけどね、死んだ旦那が若い頃に木を刈って建ててくれたんです。木を使って、自分でトンカチを握ってです。今日までまったく壊れたことのない、私たちの自慢の家です」

 そう言うと彼女は編み物をしまい、電車を降りていくのだった———この駅が最寄りなのよ、と言いながら。

 私は老婦人が、きっと少し遠くにいる若い息子にでも生活を助けてもらっているのだろうと思った。だが赤い家が恋しくなって昼にはそちらへ帰ってきてしまうのだ。

 私は養老院から毎日実家へ自分の足で帰ってくる父のことを思い出していた。

 老婦人はほぼ毎日、私の向かいの席に座って、いとしの赤い家の話をしたが、赤い家が見えなくなるほど霧の濃い日は、老婦人もさすがに戻っては来なかった。

 戻って来れなかった次の日の婦人の語りは、いつも以上に忙しかったのを覚えている。


 老婦人と話すようになって一年ほど経ったある日、婦人はいつものように編み物をしながら私に言った。

「私たちの家、壊されることになったの。新しく線路が敷かれたり、工場を建てたりするのに邪魔らしいです。大事な家だから壊さないでくれと何度も言ったのだけれど、聞いてくれなかったのよ」

 そう言う婦人の手元には赤い毛糸があった。

「だから私も今日で、この汽車に乗って家へ帰るのをやめるの。今まで家の話をいろいろ聞いてくれてありがとう」

 婦人は私に、編んでいた赤い毛糸の塊を差し出した。

 それは薄っぺらい、手のひらより小さい、赤い家の形をしていた。

それから一週間して、私は仕事の用があってあの赤い家の近くを通った。

たしかにそこには豪勢でギラギラした鉄道が敷かれ、真っ白い工場が林立していた。

 私は一緒に来た同僚に言った。

「この鉄道って、つい最近できたんだろう。ちょっと前までは赤い家が建っていて」

 すると同僚は目を丸くしてこう言った。

「何を言ってるんだい。この鉄道は一年前、君がいつも使ってる路線とほぼ同時期に敷かれたものだぜ。新聞に書いてあったじゃないか」

 彼の言う通り、鉄道の記念碑には一年前の西暦が彫られていた。

 かの老婦人も数ヶ月前亡くなっていたと知るのはもう少しあとの話だ。


 あれからもう三〇年くらい過ぎた。

 工場は随分と減り、街は不自然に清潔になり、私は不動産屋になった。

 使い道が無くなった実家を、取り壊して国に売ろうかとも思ったのだが、また木材の幽霊にでも出られたら困ると思ったので、少しリフォームして とある老人に貸している。

 田舎の土地が驚くほど高くつくので私の懐は火がつくほど温かい。

 また、世間的に木を刈る活動が徹底的に批判され、木を植え木を守ることが賛美されるようにもなった。

なのでいま、赤い家のあったはずの土地には、悲しくなるほどに沢山の木が無造作に植えられている。

 私はすでに父も母も死に、再び都会へと住処を移したのだが、今でもあの辺りでは住民から林が燃えていると通報がしばしば来る———だが消防士が来てみれば火も何もない、なんていうことがよくあるらしい。

 未だに赤い家の亡霊は、誰かに住んでもらうことを諦めてはいないらしい。

 もう人類が火星に移り住んで五〇年経とうというのに、けったいな話だ。

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