杖と杯
西野ゆう
前編
テレビのニュース系チャンネルは同じ映像ばかりだ。今年度ノーベル医学生理学賞最有力候補だった米国人医師タケゾウ・モトキが、勤務するマサチューセッツ総合病院内で殺害された。
単純な事件ではない。それはFBIが即座に捜査権を握ったことで明らかになった。
被害者のドクターモトキは、同じマサチューセッツ州にある製薬会社との繋がりも密接であり、メッセンジャーRNAワクチン開発の立役者として名が知れている。
だが、著名な人物とはいえ、彼一人が殺害されて動くFBIではない。捜査機関からの記者会見は行われず、第一発見者の警備員は証人保護の名目で厳しい監視下に置かれてメディアが近づくことさえできず、各局のキャスターたちは憶測で言葉を繋ぎ続けている。
「いいのか? ガビー。好き勝手に喋らせて」
「スミス捜査官、何度も言うようだが、私のことはガブリエルと呼ぶか、どうしても縮めたいのならギャビーと呼んでくれよ」
「はいはい、ギャビーね。そっちこそチームに入ってもう半年にもなろうってのに、スミス捜査官なんて他人行儀だとは思わないのかい?」
「家族も作らず、国のために尽力する君に敬意を表してだよ。それと、文化的な違いさ。そう認識してくれ」
フランス系のギャビーに対して、アンディー・スミス捜査官は心中で「自分の知るフランス系の人間は皆フレンドリーだよ」と短く嘆息した。
「で、ギャビー。『蛇』については充分理解できたかい?」
「ああ。確かに今回の事件との共通点は多いね。普通に考えたら同一犯だろう。そうじゃないって考える方が不自然さ」
ギャビーはそう言いながら、死後硬直の解けた被害者の左腕を持ち上げて見せた。手首から肘にかけて、約二インチ幅で螺旋状に皮膚が剝がされている。腕に巻き付いた赤い蛇のようだ。
さらに、その被害者の手に握らされた二枚のカードをギャビーが手に取った。
一枚には杖、もう一枚には杯が血液で描かれている。
「この血液からDNAは採取できるかね?」
「それはバラスコ先生に訊いてみないとね」
科学捜査官のジニー・バラスコは、ギャビーと同じフランス系でありながら、ギャビーとは全く馬が合わない。そのことを知っていながらアンディは、ギャビーが差し出そうとした二枚のカードを避けるように横たわる被害者の反対側へと回った。
「前回の事件は八年前。その時は血液型までしか分からなかったらしいが、DNAの一部だけでも」
「過去の被害者の血液と断定できれば、大手を振って捜査ができるってもんだな」
自信のない独り言のように尻すぼみになっていったギャビーの言葉をアンディが続けた。下唇を噛んでそれを聞いていたギャビーも頷く。裁判の証拠としては不完全なDNAでは弱いが、地元警察を黙らせるには充分だ。
「地元警察から『メディアへ出たがりなアルファベット』なんて言われるのが、どうも私は好きじゃない」
「分かっているさ。実際に出たがりなのは郡警察の奴らだよ」
無駄口を叩きながらも、ギャビーは過去の資料を見ながら目の前の被害者を観察している。実際に過去の事件の捜査を担当していたアンディは、自身の記憶を五感で呼び起こしていた。
八年前に月に一人、連続して四人を殺害した「蛇」と捜査官に名付けられた犯人。彼、または彼女の殺害方法は様々だが、被害者の死後に腕の皮を螺旋状に剝ぐことと、血液で書いた杖と杯のカードを持たせていること、金品等を奪われた形跡のないことは共通している。ただし、事件とは無関係の可能性も高いが、最後の四人目の女性被害者が身に着けていた跡の残る指輪は発見されていない。
なぜ今回八年ぶりに凶行に出たのか。何かの罪で八年間囚われていたのか。眠っていた猛獣に犯行の引き金になる何かが起きたのか。そこに多くの捜査官の注目が集まる中、ギャビーは一人違う景色を見ていた。
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